第8話

すると。




「うっ……え?」




教室の真ん中の方から、

誰かのうめき声のようなものが漏れた。



何かに驚いたような、

拍子抜けした声だ。



本当に小さな声だったが、

静まり返った教室にはよく響いた。



その声に、クラス全員が振り返る。




「え?なに?」



「誰?どうしたの?」



「え……愛美?」




教室中が困惑に包まれる。



どこかで声が聞こえたのに、

その実態はつかめない。



けれど、愛美、と一人のクラスメイトの名前が挙がったことだけは分かる。



愛美が何を……?




一番後ろの席にいた私は、

何も見えぬまま呆然とする。



そんな中、どこからか悲鳴が上がった。




「……ッ、キャァァァァ!!」



「愛美!何してるの!?」



「おい!真山!離れろよ!」




空気が凍る。



何が起きているか分からないまま、

私はその場に立ち尽くした。



美咲は何かを察したのか、

私のブレザーの袖をぎゅっと握る。



それでも、私は何も分からずに

視線が右往左往とするばかりだった。




「私、出来ない……

好きな人のために死ぬなんて無理!

だから鈴木が私の代わりに死んでよ!」




そうヒステリックに叫ぶ声の主は、

どうやら真山愛美まやまあいみらしかった。



何か異常なことが起きているのは分かるが、それを制止する周りの声で、あまり様子がつかめない。



現場を見るためにゆっくり歩み寄っていくと、愛美はクラスメイトの鈴木隆志すずきたかしの上に馬乗りになっていた。



愛美の手には、

小さなハサミが握られている。



それで鈴木を刺したようだった。




愛美は止まることなく鈴木を刺し続ける。



その鈍い音に、思わず目を瞑った。




「待てっ……待ってくれ……」




必死に鈴木が抵抗するが、

それを助ける者は一人もいない。



ただ、鈴木が何度も愛美に刺されているのを見ているだけだった。




それもそうだ。



ここで鈴木を助ければ、のちに放送で失恋者となる愛美を殺すことになる。



逆に鈴木を見捨てれば、

それは愛美を助けるのと同じことになる。



この電波もない閉鎖された空間で、既に刺されてしまった鈴木を救うことなど無謀なことだと誰もが分かっていた。




誰かを助ければ、誰かが死ぬ。



それならば、

助かる可能性が高い方を救えばいい。



この惨劇を止めなければいい。




私たちは、レンアイ放送が始まって間もない今この時間で、既に人間の取捨選択を覚えていた。



私も、助けたい気持ちをぐっとこらえて愛美を見守った。



ここで鈴木を助けることは、

ただの偽善に過ぎない。



それならば、助けないことが本当の善だ。




「隆志……ごめん……」




鈴木と仲の良かった依田輝之よだてるゆきが泣き崩れる。



友達を見捨てるのが、

どれほど苦しいか。



その苦しみを、まだ私は知らない。



けれど、この放送が進んでいく中で、

知ることになってしまうんだろうか。



美咲だけは救いたい。



この手だけは、離したくない。




「真山、待てって……」



「早く死んでよ!私、死にたくないの!」




そう叫びながら、愛美は

何度も何度も鈴木にハサミを振り下ろす。



漫画やドラマみたいに、

血飛沫が飛ぶことはない。



静かに、小さく、

鈍い音が響くだけだった。




「もう嫌だよ……」



「帰りたい……」



「私も死ぬのかな……」



「殺せなんて無理だよ……」




教室のあちらこちらで

そんな声が飛び交う。



私も、同じ気持ちだった。




鈴木には彼女がいる。



だから愛美は鈴木を殺したのだ。




私も、そうなってしまうのだろうか。



榊原を、殺してしまうのだろうか。




……怖い。



他人事だと思えないことが、

ただただ怖かった。


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