いつも野球帽を被っている彼女

夕凪

第1話 加藤さん

 バイトを終え、いつもの帰り道をアイスを食べながら歩く。私はこの時間が好きだ。なんというか、救われている気分になる。全てを忘れ、魂を解放できる時間なのだ。問題はいつも私を追いかけてくるが、この時間だけは彼も私に近づくことは出来ない。聖域なので。そこにいられる時間は、長くはないけれど。


 くだらないことを考えながら歩いていたため、前から近づいてくる人影に気付くのが遅れた。私は極度の人見知りなため人とすれ違うことを病的に嫌っているのだが、もう引き返すには無理な距離だった。嫌だなあ嫌だなあと思いながら歩を進めると、すれ違いざまに声をかけられた。クラスメイトだった。私は頭だけじゃなく目も悪いらしい。


 公園に場所を移し、二人で並んでブランコを漕ぐ。気まずい。声をかけてきた彼女、加藤さんは、学年でも有名な美人だ。悲しいかな、有名な理由は美人だからではないけれど。私たちの通う高校は自由を売りにしているため、制服がない。要するに私服登校なのだが、加藤さんは毎日野球帽を被って登校してくる。私は野球に詳しくないのでよく分からないが、色んな球団の帽子を日替わりで被っているらしい。というか、今も被っている。青色の帽子を。いや、そんなことは今はどうでもいい。何か会話の糸口を掴まないと、この重苦しい雰囲気に押し潰されてしまう。ちくしょう、なんで声をかけてきたんだ。私たち、クラスでも話したことが無いじゃないか。


「加藤さんって、プライベートでも帽子被ってるんだね。なんか、面白いね」


 結局、帽子に触れてしまった。なにかに負けた気分だ。加藤さんにはつまらない奴だと思われてしまうだろうが、別にいい。なんかもうめんどくさい。早く帰りたい。


「うん。野球帽、好きだから。野上さんは帽子被らないの?」

「被らないよ。特に理由は無いけど」


 帽子を被らない理由。なんだろう。強いて言えば、頭に何かを被せると思考が濁る気がするとかになりそうだ。別に濁らないけど。


「そうなんだ。私が被っているのには理由があってね。私、帽子を被ると一人になれるの」

「一人になりたいの?」

「なりたいの。一人に」


 なるほど、これはあれだ、この人は変な人だ。私の直感が、これ以上踏み込むなと言っている。


「なるほど。あっ、もう10時だ。じゃあまた明日学校で会いましょう。加藤さん、バイバイ」

「ちょっと待って」


 立ち上がった私の右手首を、加藤さんは掴んだ。そこそこの力で掴まれているので、結構痛い。痛いけど、驚きの方が大きい。


「な、なに?私そろそろ帰らないと……」

「私の家、ここのすぐ近くなの」

「そ、そうなんだ。それがどうかした?」

「見ていかない?」


 加藤さんは目を伏せると、蚊の鳴くような声でこう呟いた。


「帽子……見ていかない?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いつも野球帽を被っている彼女 夕凪 @Yuniunagi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ