みそっかす
Planet_Rana
みそっかす
目の下の隈が意思を持ち、カビが浸食する如く顔色を悪くしている。
ベリーショートな茶髪を両手で掻きまわして振り向いたそいつは、同じく満身創痍の俺を力強く指差したかとおもうと、深夜三時壁の薄いアパートの畳に胡坐をかいてこういった。
「YOU、ちょっとそこで華麗なTurn決めてみる気はない!?」
「ねぇよ!」
「だよねぇー!」
適当な相槌のあと、作業に戻る茶髪。手元には部屋の様相に相応しくない近代文明の結晶デジタルパット。オシャンティに言うなら液タブ。
そこには制作の進んでいないほぼ白紙も同然のネームの下書き(尚人物風景に至るまでほぼマルバツ棒人間である)が表示されており、茶髪はその左手で滑り止めの包帯を巻きつけたペンをグルングルンと回した。床に落とす。拾う。回す。拾う。
「うるさいぞ、それ」
「んえ、あー、ああ、確かに」
前日九時から日が変わって入稿締め切りの今日、時代が進んだおかげでデジタル入稿という手段が使用できる状況にあるにも関わらず、彼等が握るペン先には覇気がない。
茶髪はぐでんぐでんになった人形の如く首を反らせた。視界には、もう一人隈を携えた男がいる。
「おい、ネームは?」
「無理。だからヨウくん、そこでちいと立ち上がってくれない」
「立ち上がって?」
突飛な要求に首を傾げながらもヨロヨロ立ち上がる、通称ヨウくん。
茶髪は濁った瞳を逆様にしたまま、うわごとのようにぼやく。
「右腕あげてー」
「?」
「左腕は前方に向かって平行に、肘は九十度でー」
「?」
「右足に重心傾けてー」
「?」
「振り上げた右腕と左肩を、浮いた左足と一緒に左に向けて遠心力を働かせ」
「おい、どさくさに紛れて回そうとしてんじゃねえよ俺を。まだあきらめてなかったのかよ」
しぇー。のポーズを華麗に決めたものの回転はしなかったヨウくんとやらは、指定された体制を崩して眉を細める。
茶髪の口元はハムスターであった。
「えー、いいものが描けそうなのにー。なんだかんだ言って毎月入稿を手伝っていただいている神様的助っ人のヨウくんが今華麗なTurnを決めてくれたなら、今世紀最高の迷作ができあがるきがするのにー」
「迷作って迷ってんじゃねえか。疲労蓄積から来る魔境にでも迷い込んだかー、お前の脳味噌は味噌でも詰まってんの?」
「白味噌以外なら何でもバッチ来いだぜー。頭開こうか!?」
「よし、分かった。寝ろ。お前ちょっと寝てろ。シナプスが壊滅する前に一度仮眠を取れ」
ずべし。
電源を切る。
「うえええええひどおおおおおい!!」
「ほらほら寝ろって。俺が考えた方が万倍早い」
「うえええええええぇぇぇぇぇぇ…………」
ぷちゅうーん。
「全く。何だよいきなり、昨日まで調子よかったって言うのに。カードリッジが古くなったか?」
この世の創作は、もはや人が作るものではなくなった。生身の作家は彼等が紡ぎ出す物語の監修役でしかない。
そういう時代になって、敢えて旧型を使い続けるヨウくんのような『自分一人でも創作できるような作家』は今時珍しい。
さて。言われた通り、ヨウくんは茶髪をまさぐる。蓋の引っかかりを爪に掛けて開ける。電子基板と配線コード。液漏れしていない綺麗なバッテリー。そして中心には型番が刻まれた白味噌が、プラスチック製の四角い箱ごと収まっていた。味噌は所々、茶色く変色している。
「あぁ、なんだぁ。白味噌が腐ってら」
次は赤味噌を買わなければ。と、ヨウくんは開いた茶色の頭を閉じた。
タブレットの色だけを反射する、生気のない目。それを床に寝かせ、何を思ったかヨウくんはくるんと回った。
――YOU、ちょっとそこで華麗なTurn決めてみる気はない!?
「鉄の思考が洒落を吐く。変な時代だなぁ、大先生」
時間は止まらない。時代も止まらない。Uターン禁止の道路標識が全て撤去されたその先。
発酵した脳で紡がれた物語は、誰の吸い物になるのだろう。
みそっかす Planet_Rana @Planet_Rana
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