6/22 カラオケ

 今日は、金曜日。休みを控えた放課後に、毎週オオタキが放課後に遊びたがる曜日。

 バイトも、金曜日は意識して入らないようにしている。まぁ別に当日休みますって言っても、多分許されてしまうようなくらい暇なお店ではあるけど。でも、さすがにそれはダメに決まっている。


 昨日は曇り気味だったのが、今日は朝から雲の少ない空で日差しがきつかった。そろそろ、夏本番といった感じだろうか。日焼け止め、持ってくればよかった。と思いつつバイト先でお昼を受け取ってから、学校へ向かう。

 教室内は既に冷房が効いていて、昨日と違い既にオオタキの姿もあった。良かった、二日連続で遅刻は免れたみたいだ。遠巻きに見てうん、今日も可愛いね、と思う。朝のルーティーン。

 後ろの席に座るとオオタキが振り返って「おはよ、オガワ」とにっこり笑って挨拶をしてくれる。あまりにも可愛いその笑顔と声にやられて、椅子ごと後ろにぶっ倒れそうになる。

 はぁー……なに、もう……殺す気……? なんだ、君は、兵器か何かか……? もしかして、日本が核を持たない理由なのか……? と頭を押さえてため息を吐きたくなる。可愛すぎて。もう、可愛すぎて、胸が苦しい。

 などといつまでもアホなことを考えているわけにもいかないので、打ち切っておはよう、と返してから。


「今朝は、ちゃんと起きられたんだね」

「もちろん。学習したのさ」


 そう自分のことを称したオオタキは、一時限目の半ばくらいでもう眠りこけていた。おい、学習。高校生が教室で学習しないで、どうするんだ。彼女が授業中に眠っているのは、いつものことなんだけども。


 昼休み、ご飯を食べ終わってからオオタキが顎を机にのっけてぐでー、っとしていた。

 今日は暑いし、そうなっちゃうのも頷ける。

 私はと言うと、うーとかあーとか唸るつむじを見下ろしながら、左手だけで机に置いた文庫本を捲っていた。読みにくかった。

 右手は机の下にあり、オオタキの両手でぐにぐに遊ばれている状態。

 最近知ったことなのだけど、どうやらオオタキは私の手を触るのが好きらしい。

 ほぼ毎日されているんだけど、これには何の意味があるんだろうか。


「……楽しい? それ」

「え、どれ」


 尋ねると少しだけ上を向き、前髪の下で私を見上げる可愛い瞳が見えてどきりとする。その拍子にページを抑えていた指がずれて、栞も挟んでいないのにペラペラと捲れてしまう。

 あぁ、と思いつつ閉じて置いてから、オオタキの問いに答える。


「どれって……手ぇ、握ってるじゃん、私の」

「あぁ」


 納得したようにそう漏らして、視線がもとに戻る。またつむじしか見えなくなった。


「楽しいってか、なんか、ひまじゃん」

「……理由になってなくない?」

「じゃあ、楽しい」

「じゃあってなによ」


 掴み処のないやりとりに苦笑しながら、自由な左手でオオタキの長い髪を触る。濃い茶色に染めた、さらさらして気持ちがいい髪質を指先で楽しむ。あと、いい匂いがする。

 先ほどの「暇じゃん」という言葉が、少しひっかかった。


「……もしかして、退屈だった?」

「ううん、眠いだけ」

「あ、そうですか」


 懸念は杞憂だったみたいだ。ほっとして、今度は前髪に手を出してみる。真ん中あたりで分けて、綺麗なおでこと長い睫毛を見る。まばたきがゆっくりで、眠そうなのが伝わってきた。

 今、額にキスでもしたらどんな反応するかな。綺麗な肌を眺めて、そんな邪なことを考えた。……オオタキなら案外、しても何とも思わなそうな気が、しないでもない。


「ねぇ、オガワ」


 そんなことを考えていた時、ふいに名前を呼ばれたものだから、またどきっとする。


「なに?」

「今日、きんよーびじゃんか」


 幼さの混じる、間延びした言い方。

 机に乗っていた顎が横に倒れて、ほっぺたが溶けているみたい。柔らかそうだなと思って人差し指でつついたら、見た目通りぷにぷにだった。


「放課後さ、あそぼうよ」

「いいよ」

「やったぁ~」


 私と遊ぶのは嬉しいか。そうかそうか。

 そういう、なにかふわふわとした会話の中で今日の予定を決めたりした。


 そんなわけで、放課後にオオタキと二人でカラオケに行くことになった。ゲーセンとか何か食べに行こうとかモールに行ってみようとか。色々候補は出たけど、オオタキがカラオケがいいなと言ってくれたのでそこに決まった。

 校門を出て、いつも通る左手の道は駅方面。今日は逆に、右に行く。国道に出てから左に曲がって十分ほど歩くと、カラオケのお店が見えてくる。

 私としてはオオタキと一緒ならどこでも良いので、委ねられると困ってしまうなぁなんて思っていたから、助かった。

 こういうとき普通の高校生だったら「ほかに人誘う?」とか「ほかに誰来る?」とか聞くんだろうけど、私はオオタキの歌以外どうだっていい、というか昔から多人数で何かするのが壊滅的に苦手なので、そういう具合の話題は一切口にしなかった。

 むしろ、排除した。

 そういえば昨日の帰りもカラオケに誘われたっけ。私が来ないなら、ってことで結局行かなかったみたいだったけど。私なんか放っておいて、三人で行けばよかったのにね。

 そんな昨日の出来事を省みると、オオタキが一対一でも遊べるタイプの人間でよかったな、とか思ったりする。

 料金のシステムとか会員がどうとかそういうのはさっぱりわからないので、全てオオタキにお任せした。バイトはしてるからお金がないわけじゃないし、オオタキの歌を聴けるなら、何時間いたっていいし。

 学生証を見せてください、と言われて店員さんに手渡し、返してもらう時にオオタキに写真を見られて「なんでこのオガワ怒ってるの?」と笑われた。

 写真写りが悪いんだよ。放っとけ。

 二七番の部屋に案内されて、その前にドリンクバーで飲み物を注ぐ。中学校の部活仲間と行ったとき、コーラとコーヒーを混ぜてたバカがいたっけな。人の顔は覚えられないのに、こういうことは覚えてるんだよなぁ。

 重い扉を押し開けて部屋に入る。薄暗くて狭くて、なんだかいやらしい空間だなぁ、と馬鹿なことを思う。あと、煙草くさい。

 煙草に対して極端な嫌悪感はないけれど、全く気にならないわけでもない。

 制服に臭いがついたら嫌だ。


「最初、いれていい?」

「どうぞ」


 手慣れた手付きでピコピコと機械を操作するオオタキを眺めながら、アイスコーヒーを啜る。あまりおいしくない。

 目当ての曲を登録し終わってからマイクを握ってモニターの前に屈んで『あーあー、ぉあ、うわうるっさ、うるさいうるさいうるさい』なんてスピーカーからかわいい声が聞こえてくる。音量とかエコーとか、色々弄ってるみたいだった。

 それで思ってた通りだけど、オオタキ、めちゃくちゃ歌うまかった。

 歌手だ、あれはもう。

 ファルセットがあまりにも綺麗すぎて、涙出た。嘘だけど。でもお金払ってでも聞ける。むしろ払わせてくれ。今日の会計私に任せてって言いそうになった。点数はそこまで高くなかったけど。どこが精密なのか説明してほしい。きっと彼女の歌に採点要素がありすぎて数値がオーバーフローしているんだと思う。あとオオタキの歌のレパートリー、すごく幅が広かった。男性アーティストの曲とかも、普通にかっこよく歌ってた。玄米なんとか法師、みたいな名前を何度か目にした気がする。多分、間違ってる。

『あー、これ歌えっかわかんないなー』ってかわいく笑いながら言ってから、スッ、て表情変えてAメロに入るのがカッコよすぎて、もう、惚れた。


 いや、待って。もとから惚れてたわ。よかったー。


 曖昧な歌詞のとこで『あー、あぅあぁうんん、ふふん……ふんぅぉ、ぉううぉう』みたいな、誤魔化しで何を言ってるのか分からないのが、殺人級に可愛くて。

 私は音楽の方面にあまり明るくないから、知ってる歌は少なかったけど。でもオオタキが歌ってるってだけで、どれも名曲に思えて仕方が無くて。四時過ぎくらいに入って、出たのは九時前くらいだった。時間も忘れて、ずっと聞き入ってしまった。


 カラオケを出ると外にはすっかり夜の帳が降りて、乗用車のライトが眩しかった。

 こんなに遅くまでオオタキと一緒に過ごしたのは初めてだった。

「時間も時間だし、ご飯食べてかない?」というオオタキの提案を快諾してから、二人並んで信号を待つ。国道と交差する十字路で、待ち時間が長かった。携帯で『ご飯食べてきます』と母親に遅すぎる連絡をしてから数分経つ頃で、何の気なしに携帯を覗くと『帰りに目薬とメイク落とし買ってきて』と全く繋がりの無い返事が来ていた。

 それを確認したとき。


「あんまり、楽しくなかったでしょ」


 オオタキがぽつりと、そう溢して。

 黙りそうになって、だけど、言葉を重ねる。


「そんなことないよ」

「ホントに?」

「うん。オオタキの歌、すごい上手でびっくりしちゃった」

「そ、そうかな」


 へへへ、とあからさまに照れるオオタキから目線をずらして、何気なくされた指摘を咀嚼する。車道側を歩いているから、車のヘッドライトが眩しかった。

 楽しくなかったでしょ。

 きっとその中には「自分ばかり楽しんでしまったかもしれない」なんてオオタキの負い目も含まれている。そんな気持ちにさせてしまったことに罪悪感を覚えて、上手く表せない自分の貧弱な自己表現力を恨めしく思う。

 昔からなんだ。


「喜んでいるのか、怒っているのか、さっぱり分からない」


 小さい頃から、そんなことばかり言われて育ってきた。

 別に意図して自分の気持ちを押し殺していたりはしない。喜怒哀楽を感じていないわけでもなければ、隠しているつもりも無い。

 今日だって、ちゃんと楽しかった。

 なのに私の気持ちは、周りの人には中々伝わってくれない。

 そうして度々がっかりされたり、不機嫌にさせてしまうことがあった。小学校の頃にそれを自覚して気を遣うようになってから、しばらく言われることは無かったそれを今、強く意識する。

 彼女には、私のこんな性質、知られたくない。

 もし次があるなら、表情とか声とか、色々を気にしなきゃならないのかな。そういうことを思うと、少しだけ気が重くなってあぁ、ダメダメ良くない良くない。と思い直す。


「じゃ、あのさ……また、誘っても、いいかな」

「もちろん」


 いつもより意識して笑顔を作って向けると、同じようにオオタキも嬉しそうに笑い返した。


「やった」


 短いその言葉で、喜んでることも、嬉しいって気持ちも、私にはきちんと伝わって。私にはできないそれを、容易くやってのけて。

 ……不器用だな、私。

 感情で目の色でも変わるなら、わかりやすくて、いいのに。

 ファミレスで食事を済ませてから駅でオオタキと別れてからも、ずっとそんなことばかり考えてしまっていた。

 今だって、考えている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る