第9話 勇者クレス
勇者クレスと言えば、もはや生きていながら伝説として扱われている男だ。
英雄グレン、それに他の仲間たちと共に王国を襲った未曽有の災害、魔王軍の侵略を抑えたパーティーのリーダーにして、五百年ぶりに光の大精霊と契約した男。
誰もが彼に憧れた。吟遊詩人たちの唄には、彼こそ真の主人公だと称える声ばかりが聞こえてくる。
しかし、そんな彼の人生も、順風満帆だったかと言われると首を傾げざるを得ない。
「クレス様と言えば、不遇の王子としても有名だな」
中庭でティータイムをしている楽しみつつ、ユースティアの言葉にシズルとルキナは頷く。
アストライア王国の王族として生まれた彼は、王家において才能なしの烙印を押されていた。
彼が生まれてからしばらく、王家である証の光魔術が使えなかったから。
この話は唄にもなっているため有名であり、王家としては消したい汚点でもある。
「元々、魔術以外の才能がある方ではあった。だがしかし、それ以上にこの王国は魔術の才能を重視する」
「……ジークハルト様もそうでしたね」
「ああ……」
ジークハルト・アストライア。ユースティアの元婚約者であり、大悪魔エステルと契約して魔術学園を崩壊に導いた元凶。
ある意味彼はクレスとは対照的な立場と言えよう。
血筋で言えばジークハルトは王族の中でも最下層。
しかしその才覚をもって時期国王の座に最も近い位置まで上り詰めたのだから。
今はどこで何をしているのか分からない彼だが、まあ多分元気にやっていることだろう。エステルも一緒のようだから、存外楽しくやってるかもしれない。
「……ジークハルト様か」
「ユースティア……」
「そんな顔をするなシズル。これでももう吹っ切れてはいるんだ。なにせ、お前たちが私を認めてくれて、傍にいてくれるからな」
そう微笑む彼女は凛としていて、初めて出会った時のように力強い瞳をしていた。
一時期はかなり悩んでいたが、今はこうして彼女が立ち直ってくれたことが素直に嬉しい。
それに、お前たちというのが自分とルキナの二人を指しているのは明確で、彼女なりに自分たちと生きる在り方を認めているのがわかる。
ルキナを見ると、嬉しそうに笑っていた。
自分の婚約者たちが二人、仲良くしてくれるのはシズルとしても安心するものだ。
もちろん、もし仲違いするような関係であれば、ユースティアには申し訳ないがシズルはルキナを選ぶ。しかし、そうならないように二人ともお互いを尊重し合ってくれているので、きっと大丈夫だろう。
「しかしまさかクレス様がやってくるとはな」
「父上は知ってたみたいだけどね。他は誰も知らなかったから屋敷は今大慌てだよ」
「それに、エリザベート様も怒ってました……」
「あ、うん……あれは思い出したくないから言わないでルキナ」
せめてエリザベートにだけでも言っていてくれれば、あんな恐怖を感じる必要などなかったのに。
そう心の中で愚痴るシズルだが、幸いなことに被害が直撃することはなかったのでまだマシだろう。
大変だったのはもちろんグレン。そしてなぜか飛び火を受けたホムラだ。
最初はグレンの所業について怒り、そこからこれまでの父の行動に対して怒り、そして今のホムラの現状について説教が始まるという悪夢。
エリザベートからすれば、さっさとジュリエット王女と婚約を決めて欲しいところだが、なんだかんだ理由を付けて避けている彼に我慢の限界があったのだろう。
親子そろって正座をさせられて怒られる様は見ている分には面白いのだが、万が一あれが自分に飛んでくる可能性があると思うと笑えない。
「ルキナ、ユースティア。俺たちは仲良くやろうね」
「……なんというか、今それを言われるとちょっと癪全としないのだが」
「シズル様……私もです」
「えぇ……?」
――シズルは女心が分かってないな。
心に問いかけるようにヴリトラからの追撃を受けて、若干ショックに思うシズルであった。
屋敷は勇者であり王族であるクレスの登場に大慌てだが、しかし戦士たちにとってはあまり関係のない話だ。
ルキナやユースティアとのお茶を終えたシズルは、いつものように鍛錬をするために中庭に向かう。すると先に鍛錬を始めていたエイルやグレイオスがこちらに気付いて手を止めた。
「これはシズル様。鍛錬ですか?」
「あ、エイル。ごめんね手を止めさせちゃって」
「いえいえ、お気になさらずに」
端正な顔立ちにこうして気遣いも出来る男。それでいてS級冒険者にもっとも近いとまで言われ、神速などという二つ名まで持っている男。
「……」
「あの、私がなにか?」
「いや、エイルも勇者なんて呼ばれてそうだなぁって思ってさ」
勇者かどうかは別としても、英雄譚あたりには名前を連ねていそうだと思う。
「子どもの頃には憧れていましたが……今の私ではその名はまだまだ分相応でしょうね」
「そう? エイルは十分強いと思うけど」
実際、単純な槍の勝負であればまだまだ彼には勝てないし、ローザリンデにも負ける始末。
この辺りは経験の差だと割り切っているが、しかし最強を目指すうえでは超えなければならない壁だと思う。
とはいえ、彼は彼なりに思うことがあるのだろう。多分これは、どれだけ強くなっても上がいる限り、みんな思い続けることかもしれない。
「しかし勇者に英雄が揃うたぁ、とんでもないことになりやしたね」
「まあ父上からしたら、友達が遊びに来ただけだって感じだけどね」
「俺らみたいな冒険者からしたら、あの人らはマジで伝説で憧れですから……正直震えますよ」
おそらく、グレイオスの言葉が全ての冒険者たちの総意だろう。
この国の冒険者たちは大なり小なり、同じような思いを抱いて冒険者になった者が多いはずだ。
シズルが生まれたときにはすでに戦争が終わって、父もあんな感じだったから憧れなどはあまりないが、それでもその冒険譚は見ていて楽しい。
「まあ、とりあえず俺にはあんまり関係なさそうだからなぁ」
「ははは、シズル様はやはり大物ですよ」
「だな。まあせっかくですから付き合いますよ。まだまだ俺もエイルも、現役なんでね」
そんな軽口を叩きつつ、シズルはその言葉に甘える形で彼らの鍛錬に混ざることのした。
そしてその夜――シズルの予想外に勇者クレスはシズルに近づいてくるのであった。
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