第49話 偽心の愛
「……」
ヘルメスのその言葉に、シズルたちはなにも言えなかった。
そして、イリスの身体を使って彼の前に立っているディアドラもまた、なにも言わない。ただ、そこには少しばかりの悲しさがあった。
『ディアドラ様、躊躇う必要はございません。リッチキングは不死の化物。やつがまた復活をして外界に出てしまえば、世界は混沌とするでしょう』
その穏やかな声には心の強さを感じられ、決してすべてを諦めた男の声ではなかった。
『ディアドラ様、私は最後に貴方と会えて本当に良かったと思います。かつての私を導いて下さった、母なる精霊に看取られてこの長い生に終止符を打てるというなら、これほど幸福なこともありません』
ただ、すべてをやり切った。数十年の時を生き、そしてそこから千年もの間この暗いダンジョンの中で、とてつもない化物をこの世に解き放つまいと戦い続けた男。
王国にはその才能を危険視され、排除されてなお史上最高の錬金術師としての名は消されず残るだけのその異才はきっと、もし今を生きれば国を豊かにしたに違いない。
だがそれも『たられば』の話。
『私の友達はみんな、先に逝くのね』
『仕方ありませんよ。我らは悠久の時を生きることが出来ません。その代わり。私たち人間は自身の心を次世代に残し続けるのです』
『そうね……そうやって新たな命を育み、慈しみ、また次の世代へと未来を紡いでいく』
少し寂しそうな声でディアドラはヘルメスに応えると、アポロの方を向く。
『この子が、貴方の残した心かしら?』
『ええ。私がリッチキングのやつと戦うために生み出し、そしていずれ来るであろう災厄に我が友と共に戦うために残した、錬金術師ヘルメス史上最高傑作……アポロです』
「うー……」
二人の視線を向けられたアポロは、どこか泣きそうな表情だ。
『ねえヘルメス。その言い方が意地悪じゃない?』
『なに、すべて事実ですよ。アポロは私の作った最高傑作。これが成長したとき、たとえどんな災厄がやってこようと、きっと貴方を守ってくれます』
「ぅー……」
その言葉に対して、アポロはなにか言いたげだ。だが言葉の話せない彼は、それを伝える術はない。ただ感情を表に見せて、なんとか伝えようと必死に訴えかける。
『ほら、貴方が優しい言葉をかけないからアポロが泣いちゃったじゃない』
『いいのです。私にはこの子に優しい言葉をかける資格などありませんから』
そう言うヘルメスの声は、とても穏やかだった。
『アポロ、私からお前に伝えることはない。今のお前を見ればわかるからな。ここに来るまでに、ずいぶんと心を成長させた。その成長が、お前をもっと強くする』
「……ぅー?」
『だが足りない。だからアポロよ、もっと心を強く成長させよ。誰かを守りたいと強く思え。そうすれば……たとえお前の心臓が偽物だとしても、その心は本物の魂となって皆を助けることだろう』
ヘルメスの言葉に、アポロは瞳を丸くしてダンジョンコアを見上げる。その言葉の意味が、まだ理解出来ていないのかもしれない。
だがシズルには、その言葉が息子の未来を信じている父のような、力強い言葉に聞こえていた。
『アポロよ。お前の友は誰だ?』
「うー!」
先ほどの言葉と違い、今度ははっきりと答えながらアポロはシズルたちを指さす。
『お前が守りたい者は?』
「うー」
今度はイリスを最初に指さし、そして順番にシズルたちに向ける。どうやら、彼の中で少しばかりの優先順位があるらしい。
シズルはそれを見て、アポロが『ホムンクルス』ではなく、きちんと心の持った『人間』なのだとはっきり理解した。
『なら、お前のやるべきことはただ一つ――』
「っ――⁉ うー! うー! うー!」
ヘルメスの言葉の雰囲気を感じ取ったのか、それともこの先の言葉に気付いたのか、アポロは声を上げながら聞きたくない、そういう風に声を上げながら首を振る。
『聞けアポロ!』
「――っ⁉」
だがそれも、ヘルメスの一喝で止まる。そして、穏やかな声で幼い子を諭すようにヘルメスはさらに言葉を紡いだ。
『お前がやるのだ。このダンジョンコアを破壊し、リッチキングという脅威から彼女たちを守るのだ』
「うー……ぅー……」
『私の最期は、お前に見送られると決めていた。だからこそ、ずっとこの時を待っていたのだ。お前が成長し、偽物の心臓を本物の心臓になった今、思い残すことはもうない』
すでにアポロは涙を流していた。それを見て、シズルは思わずヘルメスを止めようとし――。
『駄目よ。これは、あの子がやらないといけないことなの』
「……なんでですかディアドラ様? アポロに、親を殺せって……そんなこと」
『それが、ヘルメスの望みだから。千年生きて、世界を守ってきた人の……最期の……」
シズルは言い返そうとして、しかし言葉が出なかった。
わかっていたのだ。史上最高の錬金術師ヘルメス・トリスメギスの覚悟が。そして、その想いの強さが。
「うー……」
『アポロ、私はお前になにもしてやれない。だが、これからお前の人生、お前が誰かに心を与える度に幸福になるだろう』
「……ぅー」
『だから、幸せになれアポロ。友を守り、友を愛し、友と笑い、友と泣け。そうして成長したお前はきっと、誰かを幸せにして、幸せな人生を歩めるはずだから』
アポロがフラフラと力なく前に進む。それはまるで迷子の子どもが両親を探す様に、ゆっくり、ゆっくり歩く。
「うーうー?」
『ああ……頼んだぞ』
「うー……うーーーーーーー‼」
アポロの言葉は、シズルたちにはわからない。だがしかし、ヘルメスにはしっかり伝わったらしい。
彼が頼んだと、そう言った瞬間まるでダンジョン中全てに響き渡るほどの大声でアポロが叫ぶと、両手を上げて拳を握り込み、一気に飛び上がった。
「うぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーー‼」
そしてアポロはそのまま、ダンジョンコアに突撃し、一気に貫いて破壊する。
水晶のようなコアは一瞬で砕け散り、その中にいたヘルメスがゆっくりと落ち始めた。
舞い散るコアの結晶は、キラキラとお互いの光を反射し合い、とても幻想的で、美しく、まるで彼の命の灯が消えていくように儚いもので――。
『あぁ……永い……永い人生だった……』
そんな彼を、優しい風が包み込む。
『お疲れ様、ヘルメス』
『えぇ……とても、疲れて……ですが……とても、とても良い、人生でした……』
千年の時を生きた偉大なる錬金術師ヘルメスは、最期に世界の未来と、そして己の心を幼い少年に託した。
賢者の石では永遠の命を得られなかった。
黄金錬成では無限の富を得られなかった。
だがしかし、彼はそれでも一つの真理に辿り着く。
それは――。
『永遠のものはない。だがしかし、人の心は誰かが継ぎ、そしてその心がまた次に繋がる。そうしてきっと、人が人である限り、そこにはどこかで残り続けるのだ……』
そうして、千年という悠久の時の中、人知れず世界を守り続けていた一人の男は、この世から消えることになる。
その想いを、一人の少年に紡いで――。
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