第47話 最奥の部屋

 壁一面に並ぶ本棚。中央には木造で出来たテーブルとイス。シズルたちが入ったそこは、これまでとは打って変わってずいぶんと生活感のある部屋だった。

 

 隠遁した魔術師や錬金術師が好むようなその雰囲気は、ここで今でも誰かが生活をしていると言われても信じてしまう。


 とはいえ、テーブルなどには埃の積もっており、かなり長い時間人が触れていないこともわかる。


「ここは……アポロがいた部屋に少し似ているね」

『ぅー……』


 アポロは普段あまり見せない、神妙な表情をしている。やはり、ここになにがあるのか心当たりがあるのだろう。


 キョロキョロと辺りを見渡し、なにかを探している。そしてこの部屋の奥にまだ先が続いているのを見て、駆け出した。


「あ、アポロ⁉」

「おい、一人で行ったらあぶねぇぞ!」


 シズルたちが追いかけると、そこには広い部屋があった。とはいえ、これまでの大型魔獣たちがいたような場所とは違い、様々な研究をしていた後がある。


 そして部屋の奥には巨大な水晶。それがこのダンジョンを維持しているコアだというのは、なんとなくわかった。


「……あれが、そうなんだ」

「おう……あんなでっけぇコアは初めて見たが……」


 これまでいくつものダンジョンを攻略してきたホムラでさえ、圧倒される巨大なコア。その力の波動はまるで神聖さすら感じ取れてしまう。


 きっとここがヘルメスが錬金術を追求していた場所なのだろう。あらゆる錬金術の基礎を生み出したとされる、王国史上もっとも偉大な錬金術師ヘルメス・トリスメギス。


 かつてエリクサーを探している時、彼の書物はいくつか読んだことがあるが、その異才ぶりはシズルをして凄まじい思ったものだ。


 そんな彼が晩年を過ごした場所と思うと、少しだけ感慨深くなる。


「うー……うー!」


 アポロが少し興奮した様子で、部屋の奥にある水晶に駆け寄った。


「うー‼」


 いったいなにが、と思っているうちにアポロが一心不乱に水晶を見ながら声を上げてさらに。そこには、どこか悲しみの声があった。


『いこうシズル……このダンジョンの真実を知りに』

「イリス?」


 何故か、イリスもまた悲しそうな顔をしている。そういえば彼女だけがアポロの言葉を理解していたが、今の状況についてなにか知っているのかもしれない。


 泣くように声を上げるアポロの傍にイリスが歩き出すので、シズルたちもそれについて行った。


 そして、水晶が近づくにつれて、その中に黒い影があることに気が付いた。


 その影はまるで人のようで――。


「え……?」

「こいつは……」

「先ほど戦ったヘルメス……なのか?」


 シズルだけでなく、ホムラとローザリンデも呆気に取られたように言葉を零す。


 ローザリンデの言葉の通り、その水晶の中にある影は、ヘルメス・トリスメギスそのものだ。ただし、先ほど戦った若い青年の姿ではなく、その面影を残した老人であるが。


「うー‼ うーうーうー‼」


 アポロは必死に声を上げる。それはまるで死んでしまった親の姿を見て悲しんでいるような、そんな声だ。


「イリス……これは?」

『これがヘルメスだよ。正真正銘、本物の、偉大なる錬金術師ヘルメス・トリスメギス』

「でも、それじゃあ……」


 イリスの言葉が真実なら、先ほど戦ったヘルメスはいったいなんだったのか。


『ようやく、この時が来たか……』

「っ――⁉」


 そう思ったとき、重厚な声が部屋の中に響き渡る。


 前後左右、あらゆる方向から聞こえてくるその声がいったいどこから聞こえてくるのかわからなかったが、それでもなぜか発信源が目の前の水晶なのだと、わかってしまった。


『アポロよ……よくぞこの悠久の時の中、役目を果たしてくれたな……」

『うー……』

『そうか……大変だったか』

「うー! うーうーうー!』


 水晶の中のヘルメスとアポロが会話をする。ヘルメスの声は穏やかで、アポロは自分の苦労を聞いて欲しいと言わんばかりに、必死に声を上げていた。


 その姿は、まるで祖父と孫の語りのようにも見える。


『さて……まずはアポロをここまで連れてきてくれたこと、感謝する』

「貴方は……本当にヘルメスなのですか?」

『ああ、そうだ。といっても、にわかには信じがたいか』


 ヘルメス・トリスメギスは千年前の人物だ。たしかにこのダンジョンが封印から解き放たれた段階で、この錬金術師のなにかが原因だろうということは推測されていた。


 しかしそれが、まさか本人が生きているとは到底思えない事態である。


 先ほど戦ったヘルメスも、いきなり襲い掛かってきたから考える暇はなかったが、あれもまた異常だったのだ。


『あまり深く理解を求めようとしなくていい。錬金術の深奥は、その領域に踏み込んだもの以外には理解出来んものだ』


 水晶の中からそう語るヘルメスの声は、どこか寂し気なものだった。まるで、理解者を得ることが出来ないことに対する愚痴のようにも聞こえるが、それはきっと気のせいだろう。


『久しぶりね……ヘルメス』

「イリス?」


 一歩前に出たイリスは、いつもと大きく雰囲気が異なっていた。それのその言葉遣い、雰囲気、そして声は、まるで――。


『ディアドラ様……ええ、とても長かった……無限にも思える時間をここで過ごし、いずれ来るであろう災厄に備え、そして今再びこうしてお声を聞けたこと、嬉しく思います』

『千年、というのはきっと貴方たち人にとってはそうなのでしょうね』


 まるで親しい旧友に会ったようなその言葉に、シズルは思わず声をかけることを躊躇ってしまう。


「イリス……いや、ディアドラ様?」


 ローザリンデもイリスが普段の様子とは違い、そしてディアドラのように振舞う姿に驚きを隠せない様子だ。


『ローザリンデ、今だけこの子の身体を借りることを許してね』

「は? あ、え……あの……」


 愛嬌のある笑みを浮かべて、少し悪戯っぽく笑う仕草はイリスでは見せないもの。


 今の彼女は、本当に『風の大精霊ディアドラ』そのものだった。



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