第46話 男と男のぶつかり合い

 シズルにとって同年代の人間と本気で戦う機会など、これまで一度もなかった。


 この学園にきてからミディールとは何度も鍛錬をしたが、はっきり言って実力差は大きく鍛錬にはならないレベルでもある。


 こうして人間相手に本気を出すのは本当に久しぶりで、それゆえに手加減というものが難しく――。


「もしかして……やり過ぎた?」

『仕方あるまい。シズルとて本気でやらねばどうなっていたことか』


 シズルは視線の先で倒れているジークハルトを見ながら、ヴリトラの言葉に内心で頷く。


 闇のオーラを纏ったジークハルトは明らかに人の枠組みを超えた力を発揮し、シズルですら危険だと思わせるだけのプレッシャーを放ってきた。


 悪魔エステルの力をフルに使ったのだろう。


 彼の動きはシズル肉薄するレベルまで昇華されており、そのせいで本気を出したシズルは手を緩めることが出来ず、彼の未来予知にも近い防御を超えてダメージを与えてしまうことになる。


「……死んでないよね?」


 倒れたままピクリとも動かないジークハルトに恐る恐る近づくと、彼はゆっくりと身体を起こし始める。


「……っ、勝手に殺さないでもらおうか」


 そうして立ち上がったジークハルトを見て、シズルはホッとした。


 この世界に転生して、多くの魔物たちを倒していた彼だが、さすがに人間を殺すことには大きな抵抗があったからだ。


 なにより、本来の目的はジークハルトを止めること。決して彼を倒すことが目的ではないのだ。


「……強いなフォルブレイズ」

「どういたしまして。さて、それじゃあ決着は着いたと思うけど――」

「決着?」


 お互いが本気を出して戦い、そしてシズルが圧倒した。それがこの戦いの顛末だ。


 誰がどう見てもそう捉えられるし、シズルもそう思っていた。


 しかし当の本人であるジークハルトはまるでまだ戦いは終わっていないと言わんばかりに、首を横に振った。


「まだだ。まだ私は貴様を見極めていない」

「……それはどういう意味?」

「なぁに、もっと貴様を知りたいと、そう言うだけだ」


 そう言うジークハルトは立ち上がるも、その姿はボロボロだ。


 自分の本気にこれだけ耐えたことは賞賛に値するが、しかしこのまま続けたところで結果は変わらない。


 だがしかし、ジークハルトの瞳は依然として力強いまま。その不屈の意思の中に、何か強靭な意思を感じてしまう。


「フォルブレイズ、貴様は家族に愛されている自覚はあるか?」


 突然、彼は武器を構えるでもなくそう問いかけてきた。それがなぜかとても大切なことのような気がして、シズルははっきりと答える。


「……あるよ」


 自分が転生をしたとき、優しく、そして強く守ってくれた母。


 明らかに普通の子どもではない成長を見せるのに、気にした様子を見せずに笑ってくれる父。


 幼いころから色々と楽しいことを共有しようと誘ってくれる義兄ホムラ。


 そして生まれた時から見守ってくれているマールに、実の母のように貴族社会について厳しく教育してくれるエリザベート。


 他にもフォルブレイズ家の使用人たち全てがシズルのことを見守ってきてくれた実感があった。


 だからこそ、ジークハルトの言葉に迷いなく答えられる。


 自分は愛されている、と。


 そうはっきり答えると、彼はなにか眩しいものを見るように一度目を細め、そこから更に質問を重ねてくる。


「お前は、婚約者であるルキナ・ローレライに愛されている自覚はあるか?」

「うん」

「生まれたことに、意味があると信じているか?」

「前は信じられなかったけど、今なら信じられる」

「ああ、羨ましい……」


 その声は、どこまでも深い、心からの言葉なのだろう。そこに込められているのは、手に入れられない物を本気で欲しがる、子どものような願望。


 それは決して悪いことではない。他者を羨むのは人の心として当然あるものであり、何より抑えようとして抑えられるものではないのだから。


「ぐっ……これ、は?」


 だと言うのに、最初は純粋な心の在り方をしていたジークハルトの闇は、どんどんと深くなる。


 シズルでさえ一歩踏み込むことを躊躇ってしまうような、暗い暗い闇。


「ああ、フォルブレイズ……私はお前が羨ましいよ。生まれた時から祝福され、多くの人間たちにその在り方を肯定されてきたお前が、心底羨ましい」


 ジークハルトの身体から噴出された闇のオーラが霧状となって辺りを包み始める。


 それはまるで彼の心の檻のようで、これに取り込まれては不味いと本能が察する。


『シズル! これは不味いぞ!』


 ヴリトラもこの魔力が危険だと思ったのだろう。慌てた様子で声をかけてくれる。シズルとてこのままこの場にいては不味いことはわかっていたが、だがしかし――。


「このまま放っておけば、ジークハルト様もヤバイ気がする!」

『ぐ、それはそうだが……』


 すでにジークハルトの瞳は美しかった黄金ではなく、暗い闇色に濁っていた。


 遠目からではあるが、正気を失っているようには見えないが、明らかに普通ではない。


 それでも、今の彼から目を背けてはいけないと、そんな気がして真っすぐ見据える。


「逃げないのか? このままここにいては危険なことくらい、わかっているのだろう?」

「うん。だけど、ここで逃げたら駄目な気がするんだ」

「……お前はいい男だな。さて、それでは最後の質問だ」


 ジークハルトの視線は、暗い闇に侵されながら、どこまでも狂気的で理性的だった。


「お前は今、何のために私の前に立ちふさがっている?」

「……」


 その答えをシズルははっきりと持っていた。持っていながら、答えることに窮しているのは、本当に『それ』を答えていいものか悩んでいるからだ。


「悩む必要などないだろう? なら質問を変えようかフォルブレイズ。お前は今、誰のためにここにいる?」

「……ユースティアのためだよ」


 これまでの学園生活で、シズルはユースティアのことを尊敬するようになっていた。


 まだ幼い身でありながら、誰よりも王国の未来を想い行動する姿はまさに国母と言ってもいいだろう。


 信頼していたこの王子に裏切られたとき、彼女は確かに弱みを見せた。涙を流し、心から苦しみ、そしてふさぎ込んだ。


 だがそれでもたった一人で立ち直り、前を向き、そして目の前の事態から目を背けずに立ち上がった。


 それがどれだけ苦しいことか、シズルにはわからない。ただ彼女の心の強さだけは感じ取ることが出来た。


 だからこそ、ここその底から思うのだ。


 ユースティア・ラピスラズリという少女のためなら、自分はどんな敵とも戦える。

 

 もしかしたら、そこには彼女を女性として魅力的に思う部分もあるのかもしれない。


 だがそれはルキナに向ける愛情とは少し違う、友愛の心だ。この学園で出来た初めての友人である彼女の力になりたいと、そう思う気持ちが強いのだ。


「だから、ユースティアを泣かしたジークハルト様は、ちょっと許せないかな」

「なるほど。ずいぶんと仲が良くなったようだ」

「彼女は、とても尊敬できる友人だからね」


 自分の心に蓋をするように、シズルはあえておどけたように笑う。


 そして、シズルがそう言った瞬間、ジークハルトの闇がさらに大きくなった。その闇は狂気に彩られているのに、どこか寂しさと優しさを交えているようにも感じる。


 正直言って、シズルは今ジークハルトが何を思っているのかがわからない。彼が何のために今こうしているのか、理由が全然わからないのだ。


 だがしかし、明確な目的があるのだけははっきりとわかった。そしてそれは、どうやら自分が関係してるらしいということも。


「ねえジークハルト様。貴方はなんでこんなことをしているの?」

「それは答えられないな。だが目的の大部分はもう終わった。あとはそうだな、せいぜい男の意地とでも言うものか」


 そう言って不敵に笑う姿はまさに王者そのもので、とても悪魔にその心を売り渡した男とは思えないほど清々しいものだった。


「もう貴様も分かっているのだろう? 私は決して止まらない。そしてエステルの力はさらに増している。今度こそ、私を殺す気で来なければいかに貴様といえど、死ぬぞ?」

『くふふー、私はそれでも全然いいんですけどねー』

「エステル、それは契約違反だ」

「……契約?」

「おっと、こちらの話だから気するな。悪魔の力を借りるために、ちょっとしたお互い譲れない契約をしただけでな。お前との戦いには何の関係もない」


 どうやらこちらの疑問に答える気は全くないらしい。とはいえ、それならそれで構わなかった。


「俺が勝ったら、ユースティアに謝ってもらうからね」

「わかった。私が勝ったら……まあその時に考えようか」

『くふふふふー。良い感じにジークハルト様から力を貰いましたからねぇ! 今度こそ本気の本気でやっちゃいますよー!』


 エステルの声が空間に広がった瞬間、ジークハルトの足元から濃い闇が彼を覆うように巻き付き――。


「さあ、始めようフォルブレイズ。男と男のぶつかり合いをな!」


 黒と金が混ざり合ったフルアーマーに身を包んだジークハルトが、まるでこの状況が嬉しくてたまらないと言わんばかりに歓喜の声を上げて飛び出してくる。


 そしてそれを迎え撃つように、シズルもまた魔力を全開にして飛び出すのであった。


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