第35話 ユースティアの決断

 シズルはその少女の笑った姿を見た瞬間、思わず魔術で攻撃しそうになった。


 それほど醜悪であり、倒すべき存在だと認識したのだ。だが――。


『シズル!』


 慌てた様子のヴリトラが心の内側で叫んでくれたおかげで、何とか踏みとどまる。


 王子がエステルを認めている今の状況で彼女を攻撃するのは、いくらなんでも不味すぎる。


 幸い、周囲の令嬢や王子たちはお互いにしか見向きをしていないらしく、シズルの状態に気づいた様子は見受けられなかった。


「ユースティア。私はお前と出会ったとき、光り輝く原石だと思ったものだが……今のお前は残念ながらまだ原石のまま。もっとも、エステルを見つけた今、そのままで居続けるというならそれも構わないが」

「ジークハルト様……」


 ギリっと唇を噛む音がシズルのところまで聞こえてくる。今のユースティアの心情を思うと、胸が苦しくなった。


「さて、ところでエステルを断罪すると言ったな? それは今でも変わらないか?」

「……」

「ふ、何も言えないならそれでいい。他の者は?」


 もはやジークハルトの一人舞台と言ってもいいだろう。彼の言葉に対して逆らえる立場の者など、この場にいないのだから。


 ユースティアも、エリーも家の立場がある。


 いくら学園内の出来事とはいえ、ジークハルトに逆らうことは王国の権力主義に逆らうことと同義。


 たとえ彼が王族同士で権力争いをしているとはいえ、王族に逆らった者を他の王族は許してはくれないだろう。


「……ジークハルト王子。お一つよろしいでしょうか?」


 ただ一人を除けば。


「ほう、ここで君が動くのかローレライ」


 他の令嬢たちが何も言えずに黙り込んでいる中、ルキナが前に出てまっすぐにジークハルトを見つめる。


 その瞳は決して相手を責めるようなものではなく、あくまで一臣下としての振舞いを崩さない。

 

「……ラピスラズリ様は貴方様のことを本当に敬愛しております。それでも貴方にとっては、彼女は価値のない存在なのですか?」

「ああ、そうだとも。ユースティアが私に抱いているのは敬愛。ゆえに、そのような存在は必要がないのだ」

「敬愛が必要ない? ではあなたはいったい何を求めておられるのですか?」


 ルキナがそう問うた瞬間、ジークハルトがまるで舞台の悪役のように口元を笑わせる。


「力だ」


 その言葉を聞いたユースティアや他の令嬢は意味がわからないとジークハルトを見る。


「何者にも侵されない、力こそ私は求めている」


その中で、ルキナだけがその意味を理解したのか頷いた。


「なるほど、そうですか。それで、その方にはそれだけの力があるということですね?」

「ああ、ローレライ。君も中々良いな。さすがは『加護なし姫』と呼ばれながら――おっと、これ以上は君を冒涜する発言になりそうだ。謝罪しよう」

「いえ、私は構いませんよ?」

「だが君の婚約者が恐ろしい瞳でこちらを見ているのでな」


 ジークハルトがこちらを興味深そうに見る。だがしかし、今のシズルにとってはどうでもいいことだった。


 今、王子はルキナを侮辱しようとした。それだけがシズルの頭に残っているのだ。自然と魔力が漏れ出し、バチバチと教室内を雷が走る。


「シズル様、抑えてください」


 不意に、ルキナが近づきシズルの手をそっと握る。それで冷静になり周囲を見渡すと、ユースティアやエリーを含めた令嬢たちが顔を真っ青にして地面に座り込んでいた。


「皆さんが、怯えてしまいます」

「……うん。ごめん」


 一瞬だけ怒りに呑まれそうになるものの、この程度であれば意識的にすればすぐに魔力は収まる。そうして漏れていた雷は、元々なかったように消え去った。


 その一連の流れを見ていたジークハルトは、肩をすくめながら相変わらず超然とした様子で笑う。


「さてさて、このままここに居続けては、噂の黒龍のごとく焼き尽くされかねんな」

「ジーク様、私怖いです……」

「なかなか面白い冗談を言うなエステルよ」

「いや、あのですね。本当に怖いんですよ? 冗談とかじゃなくって」


 ジークハルトとエステルの二人は、明らかに場違いなことを理解しながら、それでも仲睦まじい姿を見せる。


 その姿を見た令嬢たちは、ジークハルトがもう本当に駄目なのだと理解した。


「それでは、私たちは失礼しよう」

「はい。それでは皆さん、ごきげんよう」


 そしてジークハルトとエステルは、腕を組んだまま教室を後にする。そうして残ったのは、失意に顔を曇らせたユースティアや令嬢たち、そしてミディールだけだ。


「……あの」

「――っ! なによこの裏切り者!」

「ぅ……いや、何でもない」


 そして残ったミディールは、一瞬だけエリーを見て何かを言いかけて、その口を閉じると、逃げるようにジークハルトたちを追いかけた。


「……大変なことになったね」

「そうですね。シズル様、とりあえず今日はみなさん疲れているかと思いますので、一度解散しましょう。それから、先生方には今日の事情を伏せて、しばらく授業を休ませてもらうように伝えます」

「それがいいかな。こんな状態じゃ、みんな授業なんて頭に入らないだろうし……」


 とはいえ、このまま放置するのも怖い。


 いくらジークハルトがこれだけの生徒たちの想いを裏切ったとはいえ、それでも王国の第二王子であることは変わらないのだ。


 そしてこの学園で起きた異常事態をそのまま教師に伝えれば、国を巻き込んだ大事になる。


 もちろん、すでに教師たちもおおよその状況は把握していることだろう。だがしかし、それでもこうして我関せずでいるのは、学園内が一つの治外法権であるからだ。


 ここで教師たちが出てきて、物事を大きくしてしまえば彼らも今後の政争に巻き込まれる。


 教師たちにとって、どれだけ権力を持った生徒であっても、変わらず接しなければならないのである。そうしなければ、『王国における学園の秩序』がなくなってしまうから。


「ちなみに、教師たちに報告したらどうなるかな?」

「これほどの事態ですから、ことの状況が王宮に伝わった時点で王子に暗殺者が差し向けられるか、もしくは報告した教師が殺されるか。どちらかでしょうね」

「……この国、黒過ぎない?」

「どこの国でも王族の扱いというのは、そういうものですよシズル様」


 ルキナはそう言うと、力を失って放心状態の令嬢たちを一人、また一人声をかけていく。


 彼女の優しい言葉に励まされた少女たちは自力で立ち上がると、ふらふらと力なく教室から出ていった。


「……ユースティア」


 ほとんどの生徒たちがいなくなった後、残ったユースティアをどうするか考える。


 少なくとも彼女のショックは他とは比べ物にならないだろう。なにせ、信じていた王子に正面から見限られたようなものなのだから。


「ルキナ、エリーを頼むね」

「はい。ラピスラズリ様のこと、お任せしました」


 残った最後の二人のうち、エリーはルキナに支えられながら出ていく。そうしてユースティアと二人になったシズルは、これからどうするべきか考える。


「大丈夫?」

「……正直、泣きたい気分だ」


 いつも凛として堂々とした彼女からは考えられないほど弱気な声。


 それだけ精神的なダメージを受けているのだろう。ここで優しく抱きしめて泣かせてあげれば男として格好もつくのだろうが、それが出来れば苦労などしない。


 かつてのルキナの時は自身の婚約者であったし、何よりお互いまだ幼い子どもだった。今の自分がそんなことをしてしまえば、大問題である。


 こんなとき、下手に色々考えてしまう自分が、少し嫌だった。


 しばらく何も出来ずに二人揃って黙り込むと、不意にユースティアが顔を上げて、力のない笑みを浮かべてシズルを見た。


「……なんだシズル。抱きしめて慰めてくれないのか?」

「それ、シャレにならないから。それにそう言うだけの元気があれば大丈夫だよね?」

「ふっ……」


 大丈夫なはずがない。それが分かっていてあえてそう言うと、彼女は自嘲気味に笑う。


 美しい宝石のような瞳は真っ赤に染まり、先ほどまで声に出さずに泣いていたのだろう。


 それでもそれを言葉にしない辺り、本当に強い少女だと思った。


「母上といい、ルキナと言い、ユースティアにしても、女の子はみんな強いね」

「そうでもないさ。少なくとも、一人でいたら大きく声を荒げて暴れていたとも」

「そっか。そんなユースティアもちょっとくらいは見てみたいけど、今はそれどころじゃないもんね」

「……ああ」


 改めて冷静に考えて、やはりジークハルトの態度はおかしかった。そしてそれはユースティアも同じように感じたはずだ。


「……私は戦うぞシズル」

「何と?」

「ジークハルト様と。そして、あのお方を誑かしたあの女と!」


 立ち上がったユースティアはもう俯かない。ジークハルトのことを敬愛していた彼女は、今でも王子のことを信頼してるのだ。


「そうだね。あれは間違いなくおかしかった。それはルキナも気付いていたみたい」

「ああ。あれだけの事態の中、ローレライだけが冷静だったな。あいつは何かに気付いたに違いない」

「うん、俺もそう思う」


 そして、おかしかったのはミディールも同じだ。ゆえに、これからのことを話し合う必要がある。


「だけどまあ、今日くらいはゆっくり休もう。ね?」

「……済まない」


 たとえどれだけの事態であっても、今日くらい休ませてあげるべきだろうと、そう思うシズルであった。

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