第34話 悪女
「ああ、そう言えばこうしてきちんとお話するのは初めてですね。ラピスラズリ様、エステル・ノウゲートと申します。以後、お見知りおきを」
その声は決して絶対的上位者であるユースティアに対する敬意を抱いているものではない。
それどころか、まるで自分の方が上位者であると言わんばかりに相手を嘲るような態度であった。
「ちょ、どういうことよ⁉」
放心して言葉が出ないユースティアに変わり、背後で大人しくなっていたエリーが再び声を上げる。
そして彼女の言葉は、おそらくこの場にいる全員が思っていることだろう。
少なくとも、つい先日までジークハルト王子とエステルの接点はなかったはず。だというのに、まるで二人は恋人のように腕を組んでこの場に立っていた。
そして、シズルは彼らの背後で気まずそうに立っているミディールを見て、誰の手によってこの状況が生まれたのかを理解する。
「どういうこと? エリー、君は何について問うているのだ?」
「とぼけないでください王子! その隣の女のことですよ! そいつは男爵家! 貴族とはいえ最下級の木っ端貴族の令嬢とそ一国の王子と腕を組んでることについて、何かしら言い分があるべきでしょう⁉」
「ふむ……」
エリーの剣幕に対して怯むことなく、ジークハルトは一瞬だけ黙り込む。
そして、まるで試す様に言葉を紡ぎだした。
「エリー、私はこの学園の入学式で言った言葉を覚えているかい?」
「はあ? 今それ関係ありますか⁉」
「大いにあるとも。私はこう言ったはずだ」
『人は皆生まれながらに平等ではない。才能、血筋、容姿……生まれた時から決まっている物は数多くあるだろう。それは確かな事実ではあるが、私はあえてこう言おう。この学園での生活においてそのような小さな事を気にする必要はない、と』
そうジークハルトが言った瞬間、この場の空気が一瞬止まる。
それはその言葉の意味を理解したからではない。ジークハルトが放つ王者としての威圧が、他の生徒たちを無理やり黙らせたのだ。
「エステルは実にいい。男爵家の出でありながら、この学園で最下層の立場でありながらこうして努力で上まで駆け上がったのだからな」
「上まで⁉ そんな売女のような真似をした女が、努力で上がってきたとそう言うんですかジークハルト様は⁉」
「ああ。たとえどんなやり方であれ、この娘は私と正面から対話できるところまで上がってきた。であれば、私が彼女を認めるのは必然のことだろう?」
ジークハルトの言葉にエリーは信じられないという目で見る。彼女だけではない。他の令嬢たちも、そしてユースティアですら王子の言葉を受け入れられない状態だ。
「さて、ユースティア」
「っ――⁉ ……なんでしょう?」
「先ほどまでの会話、廊下まで響いていたぞ。お前が責任を取ってエステルを裁くという話だったな」
「そうです。彼女はこの学園の治安を大いに乱し、何より上位貴族に対する礼節を忘れて己の立場を築きました。それは王国貴族として決して認められるものではありません。ゆえに、その身をもって償ってもらいます」
ジークハルトを前にしたユースティアは、毅然とした態度で彼を見る。そして王子はそんなユースティアを見て、心底失望したという表情を見せた。
「あぁ、残念だ。お前がそう言うというなら――」
その先の言葉を想像した者は、『仕方がない』と、そう言うと思ったことだろう。
「私はお前と敵対しなければならない」
しかしジークハルトが紡いだ言葉は、その想像を真っ向から否定する言葉だった。
「お前がエステルを傷つけるというなら、私は彼女を守ろう」
周囲がその言葉に騒めく。
王国が決めたアストライア王国の第二王子と、ラピスラズリ公爵令嬢の婚約。それは国の在り方を決めかねないほど重要なもので、だからこそ二人はお互いが歩み寄っていかなければならない。
だというのに、ジークハルトはまるでそんな王国の意思など知ったことかと言わんばかりに、ユースティアよりもたかが一男爵家の令嬢であるエステルを取ると宣言したのだ。
ユースティアからすれば信じられない思いだっただろう。
彼女たちの婚約は生まれる前から決まっていた。そして二人は幼い時から共に過ごしてきた。
そこらの貴族同士の婚約とはわけが違うはずだった。
そしてシズルはこれまでのユースティアを見てきた。彼女はずっと、ジークハルトのことを敬愛していたし、彼を盛り立てるために動き続けてきた。
「ふ、ふざけているのですかジークハルト様⁉ 私はこの学園だけではなく、この先の王国のことも考えて――」
「ふざけてなどいないさ。この学園で入学式の時に言っただろう? 私はな、磨かれず光を失った宝石よりも、磨き続けた原石にこそ価値があると思っているのだ。だからこそ、研鑽を忘れず己を磨き続けてきた者こそが素晴らしい宝石だと思うのだよ」
「なっ――」
その瞳はどこまでも真摯で、だからこそジークハルトが本気だとわかる。
つまり彼はこの場において、ユースティアという『公爵令嬢』や、他の上流貴族の令嬢よりも、エステルの方が価値がある存在だと公言した。
そして、そのセリフがこの先のことを考えればどれほど危険な言葉か、分からない者はこの場にいなかった。
もし分からない者がいたとすればそれは――
「ジークハルト様……私のことをそこまで思ってくれているのですね。嬉しいです!」
「ああ、エステルよ。私は他の誰よりもお前のことを重要視しているとも」
突然始まる二人の行動。それは物語の中であれば身分差を超えた純愛として語られることだろう。
だがしかし、ここは貴族の子どもたちの学び舎。そしてこの場にいるのは、その中でも選りすぐりの者たちだ。
「……信じられない」
そう呟いたのは、エリーの後ろにいる少女だ。
シズルが覚えている限りでは、彼女は子爵家の令嬢だったはず。子爵と言っても、このクラスにいる以上は相当力を持った家のはず。
そしてその呟きを始まりとして、他の令嬢たちのジークハルトを見る目が変わる。
今までは憧れの君として見ていたはずのジークハルトを、軽蔑するような、敵として見るような瞳で見ていた。
それはつまり、この場の令嬢たちは『第二王子ジークハルト』を見限ったことに他ならない。
それに気づいたユースティアは、慌てて彼に向けられた視線を遮るようにその間に立つ。
ジークハルトを説得するよう真っすぐ見つめ、それこそ一番ショックを受けているはずの彼女は、今誰よりも『ジークハルト』のために動いていた。
「ジークハルト様、お考え直し下さい!」
「くどいぞユースティア。私の考えは変わらない。このエステルこそ、私が求めていたモノに他ならないのだからな」
「なにをもってそう断言するのですか! その女はこの国を滅ぼしかねない悪女です! 御身を破滅に追いやる気ですか⁉」
ユースティアが何を言っても、ジークハルトの意見は変わらない。
彼女が声を上げるたびに、王子は失望の顔を隠さず、まるで興味を失った玩具を見る瞳へと変わっていく。
「ジークハルト様!」
「もういい」
ユースティアの献身な言葉は、最後まで届くことはなかった。
「お前が理解できないのはもういいのだ。ユースティア、幼きときから我が隣にいた半身よ。これからのことがあるからお前との婚約は引き続き残すが、しかしこれ以上私を追いかけるのは止めてもらおうか」
「そ、そんな――」
心底信じられないといったようにユースティアは呟く。
そしてシズルは、ジークハルトの横でひそかに笑う一人の少女を見る。
これまでシズルが見てきたどんな女よりも、その笑みは汚く、そして禍々しい笑みだった。
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