第21話 一般クラスの事情

 ――真実の愛って……


 ルキナからそのセリフを聞いたシズルは軽い眩暈を覚えた。


 この国において貴族とは特権階級だ。極端な話、領地を運営する貴族が黒といえば白も黒になるのが常識だった。


 それだけ権力を握っているのが貴族なのだが、もちろんそれに比例した責任の重さもまた抱えている。


 当たり前の話だが、権力を持てば持つほど、その発言には責任を伴うものだ。


 もちろんまだ爵位を得ていない子どもと言ってしまえばそれまでだが、だからと言って簡単に無視できる内容ではない。


 ましてやそれが、相手も同じ貴族であるのなら尚更に。


「とりあえず、あそこで座ろっか」

「はい」


 ユースティアに一声かけてからルキナと共に教室を出たシズルは、そのまま林道を抜けた先にある白亜の休憩所へとたどり着く。


 周囲は池で囲まれ、誰かが来ればすぐに気づけるこの場所は、人目さえ気にしなければ何か話をするにはうってつけの場所だ。


 ユースティアではなく、ルキナとであれば特に問題もないだろうとの判断でもある。


「ねえルキナ。それでさっきの話なんだけど、何かの間違いじゃないの?」

「そう思いたいのですけど……」


 白いベンチに隣同士で座ると、彼女はぽつぽつと語り出す。


「最初は噂程度だったんです。一般クラスの男子たちが一人の女子生徒に対して妙に親切にしているって……」


 ルキナ曰く、上流クラスの女子たちはそれを笑って聞いていたらしい。というのも、貴族の格が上がれば上がるほど、早い段階で婚約をしていることが多いからだ。


 そして、ある意味学園での恋愛は遊びの範疇。男子も女子も一線さえ越えなければ、恋愛ごっこくらいはお互い認めていた。


 将来が決まっているからこそ自由で居られる学園でくらいはお互い不干渉でいよう、というスタンスらしい。


 この辺りは日本人の感覚が残っているシズルにとってはよくわからないものだったが、貴族で一夫一妻でいる者の方が少ない事を考えると、ある意味当然なのかもしれない。


「実際上流クラスの女子が一般クラスの男子と一緒にいるのも珍しくないですし、逆も同じです。ただそれはお互いがそういう関係だって割り切ってるから成り立つので……」

「どっちがが本気になったら、その関係が崩壊する、よね?」

「はい……」


 ルキナは暗い顔をして頷く。彼女からしたら、そもそも遊びで恋をすること事態が考えられないことなのだろう。


 少なくとも自分が彼女に愛されている自覚はちゃんとある。それは婚約者冥利に尽きるし、自分も遊びで他の女のところに行く気などさらさらなかった。


「なるほどね。それでさっきのクランベル嬢の反応になるわけか」

「エリーさんはクライトス様の事を本気で愛していますから」

「それはさっきの見たらよくわかるよ。ずいぶんと熱烈な愛だけどね」


 浮気云々を言っていたという事は、エリーもまた遊びで恋をするという事が反対なのだろう。


 それでもこれまで爆発しなかったのは、そもそもミディールの性格をよく知っているからというのと、あまり学園で束縛したくはなかったかららしい。

 

 いささか情熱的過ぎる気もするが、シズルとしても好感の持てる少女だ。ぜひ今後ともルキナとは仲良くしていて欲しいと思う。


「あれ? でも上流クラスだとあんまり気にされてなかったんじゃなかったっけ?」

「それが、どうやら上流クラスの女子が遊びで付き合っていた男子生徒たちが取られたって話題になっちゃって……」


 それを聞いた瞬間、シズルはつい力が抜けて肩がずれ落ちる。


「あー、なんというか、うん。どっちもどっちで何とも言い辛い」

「ま、まあそれもあってまだ今のところ上流クラスでは大事になっていないのですが、どうやら一般クラスの方はそうでもないらしくて」

「……実際に婚約者がいる相手を、その女子生徒が奪ってる?」

「という話です。実際はその女子生徒が何かをしているというよりは、男子生徒たちが勝手にやっているそうですが」

「……うーん」


 ルキナの言葉を聞いて思わず難しい顔になる。


 正直、その状況をどう見ればいいのかわからない、というのがシズルの本音であった。


 単純に考えれば、その少女が魅力的であり、男子生徒たちが骨抜きされてしまったと考えるべきなのだろう。

 

 とすれば悪いのは婚約者がいるにもかかわらず他の女子生徒に手を出そうとした男子たちだ。


 とはいえ、それもわざわざ上流クラスに噂が流れるほどともなると、その女子生徒がわざとそういう方向に誘導している、とも考えられる。


「その真実の愛っていうのは、その女子生徒とのことを指してるんだよね?」

「はい……」

「ちなみに、聞くのが怖いんだけどそれって何人くらいが言ってるの?」

「それが……私が聞いただけでも二十人を超えて……」

「にじゅっ!?」


 一般クラスの男子生徒の数はおおよそ五十人ほどのはずだから、半分近い人間がその少女に落とされている計算だ。


「確かにそれは……やばいね」

「はい。これが遊びで、というのならまだいいのですけど、ここに婚約破棄まで絡んでくると、子どもの発言で済まされる話ではなくなっていまして……」


 当然だが、この魔術学園にいる生徒は全て貴族の子息である。


 もちろんそこには家の格があり、例えば一般クラスの生徒といえば領地を持たない子爵、もしくはそれ以上の上流貴族でも四男、五男といったほぼ家を継ぐ可能性のない子どもたちの集まりだ。


 だからといって、貴族同士の婚約はそんなに甘いものではない。当然、学園に入る際は家族からその辺りを念押しされているはずだ。


「そんな貴族の子弟たちが、みんな婚約破棄?」

「はい。さすがにこれは問題だと一般クラスの女子生徒たちがその女子生徒を糾弾にかかったのですが、それもその男子生徒たちが止めてしまったらしく、今では男女間で冷戦状態が続いているそうです」

「そ、それは嫌だなぁ……」


 シズルはその状況を想像して顔を引きつらせる。もし自分がそこに巻き込まれたら、きっとわき目も降らずに逃げ出すことだろう。


「ってあれ? でも男子生徒でそう言ってるのって二十人なんだよね? そしたらまだあと半分以上いるけど?」

「それが、そこまでいっていない男子生徒たちも何故か婚約破棄を擁護するようになってしまっているらしくて……もう一般クラスの男女仲は最悪の状況みたいです」

「い、意味が分からない……」


 つまり一般クラスの男子生徒はほぼ全員が婚約破棄に対して擁護しているということだろう。だが実際そんなこと、ありえるのだろうか?


「これは……本格的に調べる必要があるかな?」


 ジークハルトの言っていた敵、というのが明確になったわけではないが、例えばこれが子どもではなく大人であったら、間違いなく国が壊れる。


 歴史を振り返れば、どんな名君も、どんな強大な王国も傾国の美女一人に潰されてきたのものだ。


 学園という王国の縮図の中でこれだけの力を発揮できる以上、笑って済まされる事態ではなかった。


「……やです」

「ん?」


 そんな風に考えていると、ルキナがうつむいたまま小さく呟いた。


「……シズル様がその女子生徒に近づくの、嫌です……」

「あー」


 それがどういう意味を持つのかわからないほど、シズルは鈍感ではなかった。


 ルキナは基本的に人を嫌いになるという事はほぼない。そんな彼女がそう言うというのはつまり、万が一があるかもしれないと思っているからだ。


 そんな彼女の態度を可愛いと思ってしまう自分は、おかしくないはずだ。


「あのねルキナ。俺は大丈夫だよ」

「……わかってます。シズル様のことは信じています。ですけど――」

「大丈夫」


 ルキナの両手をしっかり握り、彼女の顔を真正面から見る。


 昔出会った時は人形のように美しいと思ったものだが、今はそこに柔らかさが加わり更に魅力的になった。


 こんな婚約者がいて、他に目移りすることなどあり得ない。


「俺は君から婚約破棄を申し出られない限り、ずっと傍にいるから」

「……はい」


 周囲は池に囲まれ、白亜で統一されたこの場所は雰囲気も良く、ルキナの白い肌も緊張からか少し頬が紅く染まっていた。


 瞳も潤み、その表情から彼女が何を期待しているのかが伝わってくる。


 あまりにも出来過ぎたシチュエーションに、シズルの身体が思わず動くと、彼女はその瞳を閉じた。


 そうしてお互いの顔がゆっくり近づき、二人の距離がゼロになるその瞬間――


「う、うわっ!? なんだこれは!?」

「えっ!?」

「あ、あう!?」


 突然の第三者の声に、シズルとルキナは慌てて顔を離して声がした方を見る。


 そこには足に黒い影のようなものを絡ませた、ユースティアの姿があった。


 シズルが不思議に思いその影を見ていると、まるで霧のように魔力の粒子となって消えていく。


「……あ、あう」

「……えーと」


 顔を真っ赤にしたルキナと、戸惑うシズル。二人の視線を一身に受けたユースティアはとてつもなく気まずそうに顔を逸らす。


「す、すまん。その、別にのぞき見するつもりじゃ……なかったんだ」


 きっと彼女は自分たちの邪魔をしないよう、事が終わるまで待とうと思ってくれていたのだろう。


 そもそも、事件について話そうとしていたのに、公衆の面前であのような雰囲気にした自分が悪い。


 自分が悪いのだが、それでも納得が出来ないのが男というものだろう。


 シズルは珍しく少し不満の気持ちを隠さないまま、ルキナの影にいるであろう小さな少女を睨むのであった。

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