第16話 夜の鍛錬
ジークハルトからの依頼を受けたその夜、シズルがいつものように森で鍛錬をしていると、見知った少女達がやってくる事に気が付いた。
「あ、ルキナ……とラピスラズリ嬢?」
この場所で鍛錬をしているのは学園の生徒ではルキナだけなのでおかしくないのだが、その隣にいる少女に関しては意外に思った。
二人はクラスでもほとんど接点がなかったはずだ。それぞれがクラスの顔役にもなっていて、下手に絡むとその周囲が暴走しかねないためお互いに気を付けているのは知っていた。
そんな二人が一緒に行動していることに疑問を持つシズルは、魔力で出来た雷剣を空気中へと霧散させて二人を待つ。
「シズル様、お疲れ様です」
「うん、まあまだこれからだけどね。ところで……」
見ればルキナはいつも通りだが、隣に立つユースティアは驚いた表情をしていた。
「ラピスラズリ嬢、どうしました?」
「いやお前どうしたというか……普段からこんな時間まで鍛錬してるのか?」
「ん? まあ日課ですから」
「いやおかしいだろう!? お前早朝も鍛錬しているとローレライからも聞いていたぞ!? それに授業が終わった後もミディールを叩きのめしているし……もしかして馬鹿なのか!?」
「し、失礼ですね!? このくらい普通ですよ普通!」
「普通なはずがあるか!?」
シズルにとっては幼き頃からの日常であり、やらなければ落ち着かないくらいなのだが、どうやらユースティアから見たらおかしく見えるらしい。
異常者を見る目で見られているが、実家では兄であるホムラだって同じくらいのペースで鍛錬していたし、ローザリンデもシズルの鍛錬の付き合ってくれていた。
古参の使用人たちに聞けば父であるグレンも同じだったというのだから、別に特別おかしな話ではないはずだ。
その事実をしっかり伝えると、ユースティアはまるで信じられないと言わんばかりに頭を抱える。
「……これが王国の壊剣、フォルブレイズか。なるほど、父上が可能な限り関わるなというだけのことはある」
「え……?」
まさか入学する前からそんなことを言われていたとは初耳だった。
つまり今自分に友人らしい友人がいないのは、実家の悪評のせいなのでは――
「それは違うと思うぞ」
「まだ俺何も言ってませんけど」
まるで心を読んだかのようにユースティアが否定され、少しだけ傷つく。そんな彼を見かねたのか、ルキナが近づきその手を握ってきた。
「し、シズル様は凄すぎるからちょっと近寄りがたいだけだと思います!」
「うん、フォローありがとうね」
「はい!」
その言葉に嬉しそうにしてくれるルキナだが、真剣に言われた分だけシズルはちょっと困る。とはいえ彼女にそんな心の内を見せたくないので、顔には出さなかったが。
とりあえず彼女の笑顔が曇らないようにしたいと思うシズルだが、不意にいつもと違いこの場にはユースティアがいる事を思い出す。
「あっ」
「っ――」
シズルはしまった、といった程度だったが、ルキナは顔を真っ赤に染めて思わず手を放してしまう。どうやら彼女もユースティアがいる事を忘れていたらしく、ずいぶんと恥ずかしそうだ。
「お前たちは本当に仲が良いな。羨ましいよ」
そんな自分達を見ている王子の婚約者は、まるで眩しいものを見るように目を細めてポツリと呟く。
その寂しそうな雰囲気から、もしかしたら彼女達はあまりいい関係を築けていないのかもしれないと思う。
確かにシズルから見たジークハルトとユースティアは、お互いを思い合う関係、という感じには見えなかった。
もちろん彼女が王子を慕っているのは感じ取れたが、ジークハルトから見た場合どうなのだろうかと思うと、そこに愛があるとは思えない。
とはいえ貴族間、ましてや王子と公爵令嬢の婚約など間違いなく政争の一つの結果だ。
二人はまだ若いし、これからだろうと思うのだが、どうやらユースティアは現状に対して少しばかり不安があるようだ。
子供の、それも思春期であることも加味すればその考えはわからないでもない。とはいえ、あのジークハルトの性格上、甘い関係を築けるかと言えば、想像出来る余地が欠片もなかった。
暗い森の中、若干空気が重くなる。
「と、ところでラピスラズリ嬢! こんな時間にどうしてここへ?」
「ん、ああ」
そんな雰囲気を払拭しようとシズルはあえて声を明るく出すと、それを読み取ったのかユースティアも普段通りの態度に戻る。
「なに、明日からジークハルト様の指示通り放課後はお前と行動を共にするのだ。となれば婚約者であるローレライにも話を通しておくのが筋というものだろう?」
「ああ、なるほど」
確かにルキナに何も言わないままいきなりユースティアと行動し始めたら、彼女が不安に思うかもしれない。
もちろんそこに下心など欠片もないことは間違いないのだが、それとこれとは話は別だ。
この辺りの機微に疎い自覚があったシズルは、こうして細かい気配りをしてくれたことに感謝する。
「ラピスラズリ様、わざわざ部屋まで来てくださったんですよ」
「当然だ。このような要件、まさか人づてで話すわけにもいかんからな。念のためお前からも話してもらおうと思っていたら、夜はいつもここにいるというから、こうして一緒に来たんだよ」
やや吊り目がちで厳しそうな性格に見られるユースティアだが、この一か月で何度も助けられた身であるシズルからすれば優しい女性だ。
早熟なのか年齢にしては背も高く、その体つきも女性らしい。まだ幼さこそ残しているが、このまま成長していけば、誰もが振り向く美女に成長することだろう。
ルキナとユースティア、どちらが可愛いかと問われればシズルは前者を推すが、どちらが美人かと問われれば迷わざる得ない。
貴族において女性の美しさは強力な武器だ。己の伴侶が美しければ美しいほど周囲には羨望の眼差しで見られるし、女性同士のお茶会でも美しさは一つのステータスである。
言葉一つを発するにしても、その言葉だけではなく立場の優劣が物事を決める事も大いにあるのだ。であれば、同じ立場であってもより美しい者を選ぶのが道理だった。
そこに加え、彼女は良い意味で貴族らしい性格をしている。
社会的地位を持つ者はそれに見合った義務が発生する。そんなノブレス・オブリージュ、などという言葉が前世のファンタジーでは流行ったものだが、彼女はそれを自然体で行っているのだ。
それくらい将来性の高い女性であり、流石は王子の婚約者であると思う。
もしシズルにルキナという将来を決めた相手がいなければ、惚れていたかもしれない。
そう思わさせるほど、ユースティアという少女は魅力的な少女であった。
「まあこれで一応義理は果たしたな。ところで、まだ鍛錬を続けるのか?」
「ええ、まだ始めたばかりですから」
「そうか、ならせっかくだ。これから相方として動いてもらうのだし、しばらくお前の鍛錬を見学させてもらおう。ローレライも構わないか?」
「はい、もちろんです!」
いつもは一人、もしくはルキナが手伝ってくれる鍛錬を第三者に見学される事に若干の気まずさもあるが、彼女の言い分も理解できる。
どこまで本気でやるべきか、と一瞬悩んだが結局いつも通りの鍛錬をすることにした。
そしてこの後、その人外にも思えるほど凄まじい動きを見せたシズルに対し、ユースティアはドン引きして顔を引き攣らせることになるのだが、それはまた後程の話であった。
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