第41話 風の祝福

 シズル達が大精霊の祠にたどり着いた時、そこはフェンリル復活の余波で完全に崩れ落ちていて、瓦礫の山となっていた。


 今や見る影がなく、本来ならこの場所に価値を感じる者などいないだろう。だが――


「……すごい」


 集まった魔力は風となって辺りの木々を揺らし、そうして魔力を含んだ風が森を駆け巡って傷ついた者達を癒して、再びこの場所に戻ってきている。


 森全体を覆っていた優しい風の原点。この場所がそうであることが一目でわかった。


 戻ってきた風が最初以上の魔力を含み、一か所に集約されている。

 

 そうして莫大な魔力が集まったこの場所が、シズルの目には神聖な神域のようにも映り、決して綺麗な場所ではないのに思わず目を奪われてしまう。


「ああ……ようやく、ようやく!」


 隣に立っていたローザリンデが感極まったように声を零し、涙を流し始める。


 ほぼ同時に魔力を含んだ風が渦を巻き、人の形を作りだした。


 それはまるで森に愛された銀色の女神。肩をむき出しにした白いドレスで着飾り、白銀の髪を緩やかに腰まで伸ばしたその女性は、柔らかく微笑みながらゆっくりと歩いてくる。


「この人が……」


 ただ歩いているだけなのに、その存在感に目を奪われる。その姿はまるでイリスをあと十年成長させたようで、幻想的な美しさを誇っていた。


 そうしてシズルたちの前へと辿り着いた女性は、泣いているローザリンデを見ると、まるで幼子をあやす母親のようにそっと抱きしめた。


「あ……」

「ずっと、ずっと辛い運命を背負わせてしまったわね」


 その瞬間、ローザリンデは感情が爆発したかのようにその細い身体に抱き着き、声を上げる。


「ディアドラ……さまぁっ! う、うぅぅぅ! うぁぁぁぁ!」

「ありがとう。約束を守ってくれて。この森の全てを守ってくれて、本当にありがとう」

「ぁぁぁ、私、わたしはぁぁぁぁぁ!」


 風の大精霊ディアドラはローザリンデの背中を優しく撫でながら、彼女が泣き止むまでずっと声をかけ続けていた。


 その姿はとても勇猛果敢な戦士ではないが、それでもその心に秘めた思いの強さはしっかりと伝わってくる。


 しばらくして、ローザリンデは落ち着いたのかそっとディアドラから離れた。気まずそうな顔をしているのは、恥ずかしい姿を見られたと思っているからだろう。


 そんな彼女の様子がおかしいのか、ディアドラはクスクスと笑う。その仕草はイリスにそっくりで、彼女達が本物の親子であることを再認識した。


「さて、貴方達にもお礼をしないとね」


 ディアドラは改めてシズル達に向かい合う。


「私は風の大精霊ディアドラよ」

「お会いできて光栄ですディアドラ様。俺はシズル・フォルブレイズ。北西の地から貴方様にお会いするためにここまでやってきました」


 片膝を付き頭を下げる。ヴリトラやルージュがあまりにも身近な存在のため忘れそうになるが、目の前の存在は世界を構成するエレメントの一柱。神にも近い存在だ。


 王国の王以上に敬意を払うべき存在を前に、シズルは自然と礼を取る。


「顔を上げて。貴方達の事は森を通してずっと見てきたの。ローザリンデを、イリスを、そしてこの森を守ってくれたこと、本当に感謝しているわ」


 軽く頬を触れられ顔を上げると、彼女はとても穏やかにほほ笑んでいた。だが、最初に目を引いたはずの存在が今はずいぶんと儚く、本当にその場にいるのかすら怪しく感じる。


「もしかして、貴方はまだ……」

「あら、もう気づいちゃった?」


 シズルが訝し気に思っていると、ディアドラは悪戯がバレた子供の様に笑った。


「ええ、貴方の想像通りよ。残念ながら力の大半を失った今の私では、こうして現界しているだけでも凄く大変なの。だから本当はもっと何でも願いを叶えて上げるって言いたいところだけれど」


 フェンリルから漏れ出た魔力のほとんどを森の重傷者の回復に充てたためだろう。本来なら復活に十分な魔力があったはずのディアドラだが、実際は言葉の通りギリギリのようだ。


「ねえシズル君。遠い異国の地で生まれた貴方がわざわざ私に会いに来たのだもの。何かお願いしたい事があるのよね?」

「っ――」


 その言葉にシズルは思わず緊張する。


 願い事? そんなのは決まっている。エリクサーを手に入れることだ。


 だがもし、彼女自身からエリクサーの存在はないと言われたら、もしくは力が足りないといわれたら。


 ここまで来て、シズルは恐怖した。これまでがむしゃらに行動をしてきたが、自分の次の一言次第で母の運命を変えることになるかもしれないのだ。


「おい!」

「っ!?」


 そんな風に躊躇っていると、隣に立っていたホムラが思い切り背中を叩いてくる。思わず鋭い痛みに声を零しそうになり、何とか我慢していきなり攻撃してきた兄を睨むと、彼は笑っていた。


「さっさと言えよ。じゃねえと消えちまうぜ」

「あ……」


 その言葉にシズルは慌てたようにディアドラを見る。すでに彼女は魔力が尽きかけているのか、その存在を再び消そうとしていた。

 

「ディアドラ様! お願いがあります!」

「ええ、何かしら?」

「俺の……俺の母が不治の病に侵されてるんです! これまでどんな薬も効かなかった! もう時間もない! だけど助けたい!」


 シズルはいつも笑顔で、この世の誰よりも強い心を持った母を想う。災厄のドラゴンに襲われたときも、そして己の死が近づいている時でさえ息子シズルに辛さを見せなかった女性ははを救いたい!


「だからお願いです! 貴方なら伝説のエリクサーを知っていると聞きました! だから、だから教えてください! エリクサーがある場所を! 手に入れる方法を!」

「ええ、知っているわ。エリクサーを手に入れる、その方法は――」


 伝説の秘薬エリクサー。死者すら蘇らせたと言われる霊薬はディアドラの魔力そのもの。彼女が心の底から認めた存在だけが受け取れる、世界の奇跡。


 シズルの手の中には、いつの間にか薄緑色の葉が置かれていた。これこそがエリクサーの元となる神樹の葉。これに大量の魔力を込めれば、あらゆる病を討ち滅ぼす霊薬になると言う。


 ディアドラの言葉が紡がれると同時に、シズルは力を使い果したように天を仰ぐ。これまでずっと張り詰めてきた緊張の糸が、完全に緩んだのだ。


「それじゃあ私もそろそろ限界みたい。最後に一つだけ、お願いしてもいいかしら?」


 その言葉にシズルは答える気力がなく、ただ頷いた。


「これから私は魔力を取り戻すため、再び休眠期間に入るわ。数年か、数十年か……だからその間、その子の面倒を見てあげて欲しいの」


 そう言ったディアドラの視線の先には、初めて出会った母の存在にどう対応すればいいのか分からないで立ち尽くすイリスがいた。


「風の大精霊の力、その大部分を受け渡したわ。それはこの子を守る力になると同時に、きっとこれから多くの悪意が利用しようと近づいてくる。だからせめて、この子が自分の力をしっかりと使いこなせるようになるまで――」

「分かりました」


 シズルはディアドラが最後まで言葉を言うより早く、彼女の願いを受け入れた。


「約束しましたから。イリスは俺が守りますよ」

「ふふ、格好いいわね。ああ、それなら安心したね。イリス、こうしてお話するのは初めてだけど、シズル君にはたくさん甘えるのよ」

『う、うん……お、かあさん?』

「ええ。それから……」


 ディアドラは嬉しそうに笑うと、次にローザリンデとホムラを見る。


「ローザリンデはそっちのお兄さんに任せようかしら?」

「でぃ、ディアドラ様!? それはどういう――」

「おう、任せときな! 俺が死ぬまで一生守ってやるよ!」

「ほ、ホムラ!?」

「あらあらこっちはずいぶんと情熱的だわ! とっても熱いのね!」

「それがフォルブレイズの男だからな!」


 顔を真っ赤に染めたローザリンデを無視して、二人で盛り上がる。そうしてしばらくして、ディアドラの身体からどんどんと魔力が失われていく。


「ああでも良かった……これで安心して……眠れる、わね」


 その瞬間、優しい風がシズル達を包み込み、暖かい気持ちにさせてくれる。


 ――風の祝福ディアドラ・ブレス


 そしてこの森を守り続けてきた一柱の大精霊は、最後の力を使って彼らのこれからの未来を祝福し、その姿を消してしまう。

 

 ――私の大切な子供たちを守ってくれて、ありがとう。


 そんな、風に乗って聞こえてきた声だけを残して――

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