第33話 激戦

 ローザリンデにとってフェンリルは憎むべき仇敵だ。


 彼女の父も、母も、友も全てあの怪物によって殺された。


 その怒りは言葉に出来ず、もしフェンリルを目の前にしたらきっと自分を抑えられずに戦いを挑むだろう。


 心のどこかでそう思っていた。


「うっ……」


 だが現実はそう甘くはない。


 見上げた先にいる白狼の姿を見るだけで心に刻まれた傷は身体の自由を奪いさり、まともに動くことも出来ずに立ち尽くす事しか出来ない。


 目の前で仲間たちが倒れていく姿を見ても、ローザリンデは動くことが出来ない。


 彼女に出来る事は、自分を守ってくれている男の背中をただ眺めている事だけだった。



「フー……フー……」


 ――どれだけの時間が経っただろうか。


 シズルはそんなことを思いながら、雷の槍でホワイトファングの頭を貫く。


 フェンリルが現れ、戦い始めてから時間の感覚がなくなるほど魔物達を倒してきたシズルは、改めて周囲を見渡した。


 二頭を持つ犬型の魔物ヘルハウンド、群れで襲い掛かるホワイトファング、巨大な肉体で木々をなぎ倒す一つ目の魔人サイクロプス。


 次から次へと現れる魔物達は、それ一体でも十分な脅威となるものばかりだ。


 その数は一向に減らず、千を超えてなお増加している。もはや『雷探査サーチ』は意味をなさず、魔力の無駄だと判断して切っていた。


「…………」


 少し離れたところを見ると、ホムラが縦横無尽に大剣を振り回して暴れまわっている。


 しかし最初の頃と違い豪快さは鳴りを潜め、すでに余裕の表情はなく黙々と魔物達を処理してくだけだった。


 だがそれでも、戦う意思を持てないローザリンデには傷一つ付けさせていない。


 そのことに兄の強い意志を感じ、まだ大丈夫だろうと判断する。


 問題は自分の方だ。出来る限り魔力の消費を抑えながら戦っているが、このままではジリ貧である。


 大量の魔物を相手にしながらイリスを守り、そのうえでエルフに襲い掛かる白狼族を遠くから射抜く。


 正直言って、どれだけ強い力を持っていても、この状況ではとても有用とは言えないだろう。


「くそ……どうすれば……」


 せめて魔物達からイリスを守れる者がいてくれれば、そう思わずにはいられない。


 気付けば太陽は完全に沈んでおり、森は月明りに照らされるだけだった。


 ――ウォォォォォォォォォン。


 いつまで経っても狩りが終わらない事に苛立ったのか、フェンリルが月に向かって吠え始めた。


 瞬間、その声に反応したのか魔物達の動きが一斉に変わり、その急激な変化にシズルの対応が後手に回る。


 そしてついに、一匹のホワイトファングがシズルの脇を抜け、背後にいるイリスへと向かっていく。


「っ! しまった!」

『――っ!?』


 イリスは顔を強張らせ、硬直してしまったように動けない。その鋭い牙は彼女の細い首など簡単に噛み千切ってしまうだろう。


 そしてその先に待つのは、彼女の死。


「待――!」


 そんな未来を見たシズルは、これから起きるであろう惨劇を止めるために手を伸ばすが、間に合わない。


 もはやこれまでかと一瞬諦めかけたその瞬間――


 ――ギャァ!


 シズルの言葉が最後まで紡がれるよりも早く、そしてイリスの首にその凶刃が届くよりも早く、勢いよく飛んできた槍がホワイトファングの顔を貫き、絶命させる。


「……え?」


 シズルは思わず槍の飛んできた方向を見る。するとそこには、鎧と槍で武装されたオークの部隊がそこに立っていた。


 それらはまるで騎士のように一糸乱れず整然としており、鍛え上げられた身体から満ち溢れるのは圧倒的強者の風格。


 そしてその先頭に立つのは、以前見たオーク達の中でも別格の男。


「かつて守れなかったものを守るために! かつて助けられなかった同胞を今度こそ救うために! さあ行くぞお前達! 我らが愛おしき故郷を荒らす外敵を打ち砕く! その覚悟が決まった者は、この俺に続けぇぇぇぇぇ!」」

「「「オオオオオォォォォォォォォ」」」


 オークが吠える。ただそれだけだと言うのに、まるで森全ての木々を震わせるほど力強く、狂ったように暴れまわっていた魔物達はその迫力に一瞬押される。


 そうして動き出したオーク達は近くにいる魔物から順に、その手に持った武器で狩り始める。


 圧倒的な腕力と鍛え上げられた肉体は、強力な魔物達を物ともせず蹂躙し始めた。


「これ……は?」

「我らはかつての戦いに間に合わなかった。それはオークとして、森の祝福を受けられない事による意思の弱さだった」


 シズルが驚きを隠せずにいると、集団で現れたオーク族の先頭に立っていた男、ゲオルグが重厚な声で語りかけてくる。


「だがそんな我らに対し、ディアドラ様は恨むことなく、ただほほ笑むだけだった」


 それはオーク族の後悔。その内容まではシズルには理解出来ないが、彼がその出来事を酷く後悔していることは伝わってきた。


「だからこそ、同じ過ちを繰り返さない。我らはただ、今度こそあの方を守るために鍛えてきたのだから!」


 ゲオルグが手に持った巨大な戦斧を振り回す。その一撃で襲い掛かってきた十を超える魔物が纏めて吹き飛んだ。


 シズルがその凄まじい威力に圧倒されていると、横に立ったゲオルグはこちらを見下すように見ているフェンリルを睨みながら、声高々と斧を向ける。


「さあ外から来た勇者よ! 道は我らが作る! 雑魚は我らに任せ、貴様らはやつを……フェンリルを討て!」


 その魂の叫びに応えるように、オーク達が一斉に動き出す。フェンリルを守るように動いている魔物達に向かって襲い掛かり始めたのだ。


 そうして出来た一筋の道。その先に待つフェンリルは、まるで不愉快そうにこちらを睨んでいる。


「行け!」

「っ――ありがとう!」


 ただ一言、その言葉と共に魔力をフルスロットルにしたシズルは、オーク達に作られた道を一気に駆け出した。

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