第34話 それぞれの思い

 シズルは正面から飛びかかってくるホワイトファングを走りながら躱し、背後を振り返ることなく突き進む。


 ――ギャァ!


 背後から魔物の悲鳴が聞こえてきたが、それを気にするよりも前へ。ただひたすら前へと走った。


 横から自分を邪魔しようとする魔物は多いが、それも飛んでくる弓矢が打ち落とす。


 オークが、そしてまだ戦えるエルフ族の面々がシズルの走る道を邪魔させまいと助けてくれる。


 シズルはただ前を見ていれば、それでよかったのだ。


 そして――ついにシズルはその足を止め、フェンリルと相対する。


「さあ、ようやくここまでたどり着いた」


 白銀の体毛と黄金の瞳を持つ気高き狼。ただ見下してくるだけで圧倒的な重圧を与えてくる、正真正銘の化物モンスター


 その圧力は三年前に戦った闇の大精霊ルージュをさらに上回り、これまで見てきた魔物がまるで小動物に思えるほど恐ろしい。


 ただ目の前に立っているだけだというのに、本能的な恐怖がシズルを襲いかかるのだ。それこそが、この森に生きとし生ける全ての者を滅ぼさんと立つ――世界を恐怖に陥れる災厄の獣。


 そんな圧倒的を目の前に、思わず逃げ出したいという気持ちがないわけではない。


 だが――


「逃げないよ。だって、ようやく終わりが見えてきたんだから」


 シズルにとって一番恐ろしい事。それは力足りずこの場で倒れることではない。最強になるという志半ばに倒れることでもない。


「俺は、俺の道にずっと迷いを抱えていた」


 自分が生まれたせいで光を、そして輝かしい未来を失いかけている人がいる。自分が居なければ、彼女の世界はもっと光に満ち溢れていたはずなのだ。


 シズルにとってもっとも恐れる事。それは母の光を、未来を失ったまま自分だけが未来を進む事。それだけが、恐ろしかった。


 だから――


「悪いね化物フェンリル


 ――『雷身体強化ライトニング・フルブースト


 シズルの全身から強力な雷光を発し、フェンリルと同じ黄金の瞳で鋭く睨む。


 かつて使いこなせず、爆発的な身体能力を得る代わりに一気に魔力を失う諸刃の剣だったシズルの切り札の一つ。


 それもこの三年で克服し、今では長時間の戦闘にも耐えうる最強の鉾であり盾となっていた。


 今のシズルは――三年前よりも遥かに強い。


「俺は俺の都合で、お前を殺すよ」


 イリス達を助けたいという気持ちも嘘じゃない。だがシズルは、自分シズルのためだけにこの場に立っていた。


 ただ自己中心的な心だけで、この場に立っていた!


「さあ始めようかヴリトラ! 俺はこの戦いを最後に、自分の闇を打ち払う!」

『ふん、いつまでも待たせおって! 確かに敵は強大! だが我らの力は父なる神によって力を与えられた最強にして至高の雷! この気取った犬コロ程度、仕留めてみせようではないか!』


 声高々鼓舞する雷の槍を構えたシズルは、完全に敵対関係をフェンリルを睨みつけると、一足飛びでその間合いを詰める。


 狙うはただ一つ、その莫大な魔力を溜め込んだ命のみ。


 シズルはただ己の未来エゴを手に入れる、そのためだけに最強の敵へと飛び込むのであった。




 ホムラは周囲の魔物を相手取りながら、そんなシズルの姿を遠目で見る。


 ただ動くだけで凄まじい魔力の奔流を巻き起こすフェンリルを相手に、シズルは堂々と相手をしていた。


「はっ、あいつマジですげぇな」


 これまで自分が戦ってきた魔物とは比べ物にならない化物を相手に大立ち回り。


 仮に自分があの場に立ったとして、どこまで持たせることが出来るかどうか。

 

 雷と氷が吹き荒れる戦場。ホムラがこれまで見た事のない強力な魔術まで扱うフェンリルを見て、人の身で倒せる存在には到底思えなかった。


 そんな化物と正面からやり合っている腹違いの弟を見ながら、ホムラは近づいてる魔物を一刀両断する。


「けど、あのままじゃヤベェな……」


 戦況は互角。そう見えるものの、シズルの攻撃はほとんどがその強力な魔力障壁によって阻まれており、逆にフェンリルの魔術や強靭な爪はまともに喰らえば一撃で戦闘不能になるほど強力だ。


 元々持っており体力も違い、シズルが全力を振り絞っているのに対してフェンリルにはまだまだ余裕を感じられる。


「さて、加勢をしてやりてぇところだが……」


 ホムラは背後で蹲っている女性を少し見る。


 初めて会った時から常に凛々しい姿を見せてきた彼女とは同一人物とは思えないほど憔悴しており、この状態のローザリンデを放っておく気持ちが今のホムラには沸いてこなかった。


「おいロザリー、いい加減に立てよ。お前このまま、何も出来ずガキみてぇにふさぎ込んでるつもりか?」

「……」


 反応はない。ただ、その瞳には涙が流れていた。

 

「はぁ……どいつもこいつも、頭が良いやつらは困ったもんだぜ」


 悩んでる癖に前を向いてる振りをしていたシズルにしても、自分の心を押し殺して進んできたローザリンデにしても、どうしてもっと単純に生きられないのだろうとホムラは思う。


 なにせホムラの思考回路は至極単純だ。ただ一つの目的のために、他の全てを犠牲にする覚悟があった。


「反応しなくてもいいから黙って聞いとけよ」


 ホムラは再び魔物を殺しながら、ローザリンデに語り掛ける。


「俺の目標は親父を超えた英雄になることだ! そんで、その名声を持って俺の領地の人間全部を守ってやる!」


 父グレンと同じ道を歩み、英雄グレン以上に険しい道を駆け上がる。


 貴族の世界において、名声は力だ。


 現在グレンが領主をしているフォルブレイズ領は王国でも屈指の戦力を持っているとされ、これからも繁栄が約束されている。


 それは母の政治力も確かにあるが、それ以上に父の【英雄】という称号が領地を発展させていたのを、幼い頃からずっと聞かされてきたのだ。


 だからこそホムラは英雄に拘ってきた。


 貴族として行儀よく勉強? そんなものより、進むべき道のために時間を使う方がよっぽど有意義だ。


「いいかロザリー! これが俺の目標だ! これが俺の貴族としての生き方だ!」


 貴族院を出なかった事、ホムラは微塵も後悔などしていない。ホムラにとって英雄になる以上に貴族としての責務を果たすことはないのだから。


「なあおい、テメェは何のために生きてきた? 誰かのためか? それとも自分のためか!?」

「……わた……しは」


 ホムラの熱意に押されるように、ローザリンデが絞り出すような声で呟く。


「俺は俺のためだけに生きるぜ! 他の誰かのためじゃねえ! 俺が俺として生きるために英雄になって、俺の領地のやつらを全員守る! だからロザリー、一度だけ言ってやる!」


 ホムラは迷子のように力なく泣くローザリンデに背中を向け、大剣に炎を纏わせながら威風堂々と立つ。


「何のために生きればいいのか迷ってんなら、俺の背中を守れ! 俺が爺になってくたばるまで、一生だ!」

「っ――!?」


 ホムラは背後で驚くローザリンデに、これ以上語る事はないと前へ出た。


「後は、お前が決めろよ」


 その先には、雷霆と氷河が渦巻く異界のごとく歪んだ空間が広がっている。


 もしかしたら自分はここで死ぬかもしれない。

 

 自信家であるホムラをして、その空間は魔境と化していた。だが、ここで退くようなら英雄など夢のまた夢。


「だいたいよぉ……弟が命張ってんのに見てるだけとか、最高にだっせぇだろ!」


 ホムラは魔力を爆発させて、吹き荒れる嵐の中を一気に突っ込む。それは兄として、そして貴族としての意地が彼を突き動かした。


「見せてやるよシズル。俺の、正真正銘フォルブレイズの炎ってやつをなぁ!」


 その身に宿るは父グレンを英雄たらしめた、気高きフォルブレイズの炎。その力で以て、ホムラは最強の魔獣を相手に飛び込んだ。




 ――自分はなんて愚かなんだろうか。


 三年前、イリスが生まれた日からローザリンデはそんな風に自分を責めていた。


 イリスの役割を考えれば、彼女に情を移すことなどするべきではなかったのだ。


 ローザリンデの使命は風の大精霊ディアドラの復活。


 最初からイリスを生贄にすることでしかその使命を果たせないのであれば、魔導ゴーレムのように感情を殺して使命を遂行すれば良かった。


 だが――生まれた時に見せてくれたイリスの笑顔に救われたローザリンデは、彼女に世界を見せたいと、そう思ってしまった。


「私は……愚かだ」


 一緒に大陸を旅をしてきた。一緒に危険を乗り越えてきた。一緒に美味しい物を食べて、美しい光景を見て、笑いあった。


 そうして月日が経つごとにローザリンデの中でイリスの割合がどんどん大きくなってきた。それこそ、自分の命程度であれば賭けられるほどに。


「ゲオルグの言う通りだ」


 中途半端な覚悟は身を滅ぼす。そんな忠告を一蹴した結果がフェンリルの復活を招き、こうしてまた森に危険をまき散らすことになった。


 使命という名に逃げ、自身の思いから逃げ、そして何よりも実際に生贄になるイリスからすら逃げていた事を、ローザリンデは誰よりもわかっている。 


 イリスを生贄に捧げることに一瞬でも躊躇い、こうして戦うことすら躊躇う自分はなんと滑稽なことか。


「ふふ……まったくもって呆れてしまう。何がエルフの戦士だ。何が守護者だ」


 顔を上げてみれば、紅き炎を纏ったホムラが真っ直ぐフェンリルへと向かっていく背中が見える。


 ――何のために生きればいいのか迷ってんなら、俺の背中を守れ! 俺が爺になってくたばるまで、一生だ!


 ローザリンデにとってフェンリルは本当に恐ろしい存在だった。あの黄金の瞳を見るだけで、足は竦み逃げ出したい衝動に駆られる。


 足は一歩も動かず、彼の力強い言葉にすら応える事が出来ない自分が、悔しく歯がゆい。


「なあ教えてくれ。何でお前達はそんなに強いんだ?」


 すでに長時間にわたりフェンリルと戦いを続けるシズル。そして人知を超えた戦いに逃げずに立ち向かうホムラ。


 偶然出会ったこの二人の魂の輝きは、ローザリンデにとってあまりにも眩しく、そして憧れるものだった。


「……え?」


 不意に、少し離れたところでオーク達に守られたイリスがこちらを見ている事に気が付いた。


 殺すために一緒に過ごしてきた少女は今、自分の事をどう思っているのか。それを知るのが、たまらなく怖い。


 イリスは周囲の魔物たちがいなくなったことを確認すると、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。


「あ……」


 そうして目の前まで来たイリスの顔は悲し気に歪み、今にも泣きそうだった。


『ねえロザリー』

「……っ! イリス……お前」


 自身の脳に直接響くような愛らしい声。


 しかしその声を聞いたのは何時ぶりだろうか? 


 少なくとも、ここ数か月はイリスから語り掛けられることは一度もなかった。


 意見を聞けば頷くし、感情も見せる。ただ、言葉だけは絶対に交わしてくれなかったイリス。そんな彼女が今、自分に向けて語り掛ける。


『シズルはね、私を守るって言ってくれたの。ホムラもそう。二人共、私が冗談で頭を下げた事をずっと忘れないで、ここまで来てくれた』


 それはまだシズル達と旅を始めた頃。


 盗賊団を殲滅した時に言った冗談だったはずだ。だが彼らはそんな言葉を律儀に守り、こうして今ここで戦いの最前線へと立っている。


『ロザリーも言ってくれたよね? 私を守るって』

「っ――! それはっ!」


 それはすべてを失ったローザリンデが新しく見つけた生きる意味。だがそれは使命と相反するものであり、心を軋ませる。


『私が死にたくないなんていったから、ロザリーは苦しんでたんだよね?』

「ち、ちがっ――!」

『ごめん。本当にごめんね……ロザリーは何も間違ってなかったのに……私が生きたいなんて思ったから』


 ――違う、違うのだ。


 死にたくないなど当たり前のことだ。生きたいという思いが悪いはずがない。そう続けたいのに、そのわずかな言葉が出なかった。


「ああ、そうか……」


 ただ生きたいと願ったことすら許されず泣き崩れるイリスの姿を見て、ローザリンデは自分が本当にすべきことに気付いていしまう。


「謝らないでくれイリス! 私だ……悪かったのは私なんだ! フェンリルを恐れ、戦うことを放棄し、全てのものから逃げてきた!」

『っ――!?」


 喉の奥が切れてしまいそうなほど声を張り上げたローザリンデにイリスは驚き顔を上げる。


 正面から真っ直ぐ、涙で濡れた翡翠色の瞳を見て、こんな彼女を見たいと思ったわけじゃないと気付いた。


 そして、やはり彼女を守ることだったのだと自覚した瞬間、感情が抑えられなくなってくる。


「そうだ、最初から戦えば良かったんだ! 勇気を出して、仲間を鼓舞し、種族の垣根を超えて集まればきっと戦えた! だというのに、我らは目先の希望に縋り、犠牲の上で成り立つ平穏を享受することを是とした! だが! そんな誰かの命の先にある未来が、正しいはずなんてなかったのに!」


 ローザリンデは周囲を見渡す。すでに白狼族のほとんどが地面に倒れ、エルフ達はオーク達と共にあふれ出る魔物と戦っていた。


 本来オークとエルフは相反する。大精霊ディアドラによって祝福を受けた森の寵児と、祝福を受けられずに他種族から嫌悪されてきたのだから当然だろう。


 だがしかし、今この瞬間、彼らの中には森を守るという使命しかなく、種族など関係なく共に在った。


「出来たはずなんだ! 三年という月日があれば、森の種族をまとめ上げ、こうして全ての種族が協力して戦う未来があったはずなのだ! だが、それよりも我らはもっとも簡単で、残酷な方法を選んでしまった!」


 だがすでに時は遅い。こうしてフェンリルは復活し、森の種族たちは纏まることが出来ないまま、ただ嵐に蹂躙されるのを待つだけとなっている。


 エルフ族とオーク族だけでは、あの化物を倒す事は出来ない。


「なあイリス……お願いがあるんだ」

『……なに?』

「お前の祝福を……私に分けてくれ。この森の、全ての者を守るために。ほんの少しでいい、私が一歩踏み出すための勇気を、分けて欲しい」


 ローザリンデは片膝を地面に着くと、イリスの両手を包み込むように握り頭を下げる。


 それはまるで神に懺悔をする信徒のようで、周囲で血と怒号が響く中その空間だけはまるで神が住まうと言われている神域ヴァルハラのように美しかった。


 イリスはそんなローザリンデに向けて優しく微笑むと、瞳を閉じて自身の世界へと入り込む。


『……風の大精霊ディアドラ。その巫女である私、イリスが祝福を授けます』


 想いを受けたイリスは柔らかい風を身に纏い、美しい銀色の髪を靡かせながら翡翠色の魔力を解き放つ。そのあまりにも強大な力は森全体を覆いつくし、まるで母のように優しく包み込む。


 その力の全てを、今この瞬間たった一人のために使い切る。


『我らが仇敵フェンリルを討つため、この力、この想いを勇敢なる森の戦士ローザリンデに与える』


 ――風の祝福ディアドラ・ブレス


「あぁ……」


 ローザリンデは流れてくるその想いに、思わず涙を止められなかった。


 一緒に見た美しい光景。一緒に食べた美味しい料理の味。一緒に旅してきた、さまざまな思い。


 一人じゃない、二人で見たからこそ手に入れられたこの三年間の全てが、風の情景となって流れ込んでくる。


「イリス……」

『ロザリーと一緒に過ごした三年間は、本当に楽しかった。途中すれ違いもあったけど、今こうしてお互いの思いが繋がってることが本当に嬉しいの』

「ああ……ああ!」


 ローザリンデは立ち上がると、そのままイリスを優しく抱きしめる。


『フェンリルは凄く強い。シズルやホムラがいくら強くても、二人だけじゃ絶対に勝てないの。だから――」

「わかっている」


 ローザリンデは身体を離すと、地面に落ちた紅い槍を拾い上げる。その瞳に、もう迷いはなかった。


「行ってくる。この森の全てを守るために」

『うん! 二人を、みんなを守ってあげて!」


 与えられた力以上に、イリスの心からの言葉が何よりも今のローザリンデには心強く感じる。だからだろう、あれほど恐怖に感じていたフェンリルも、今はもう怖くない。


「任せておけ!」

 

 そう力強く頷くと、翡翠色の風を纏ったローザリンデは凄まじい魔力を放出しながら駆け出した。その全ての始まりの敵を倒すために。


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