第31話 白狼族
「シズル……どうしてここに!?」
ローザリンデが用意した薬は並大抵の物ではない。少なくとも全てが終わるまでは彼らは眠っているはずだった。
精霊と契約をした者はそういった薬類に対する抵抗が強いと聞いたことがあるが、それでも十分効果があるはずだ。
それこそ、上位精霊クラスと契約をしていないければ――
「どうして? そんな当たり前の事をA級冒険者のローザリンデが言わないで欲しいな。だって冒険者だったら、仲間が困ってたら助けるなんて当然だよね? それにさ――」
シズルが手に持った雷槍を手放す。
「友達が助けてって言って、守るって約束したんだ。だったらちゃんと依頼は遂行しないと。そうだよね……ヴリトラ!」
『当然だ! それが男というものだからな!』
それは形を変えてまるで見た事のない小さな雷龍が姿を現した。
その雷龍を見た瞬間、見た目からは考えられないほど内包する力の強大さにローザリンデは驚きを隠せない。
そしてそれは、白狼族の長老も同様だ。
「っ――」
「なっ――」
信じられない。その力の大きさをローザリンデは知っている。長老も、白狼族も、この森に住む者達なら全員知っている。
『ふん、ようやく顔を出せたわ』
「ずっと窮屈な思いをさせてごめんね」
『まあ構わんさ。何せこういう場面の方がそう――上がるというものだからなぁ!』
瞬間、まだ紅い空から祠に向かって巨大な雷がヴリトラ目がけて墜ちてきた。
激しい光と轟音。そこに宿る強大なエネルギーを一身に受けた小さな雷龍は、さきほどよりも少しだけ成長した姿を見せる。
『我は雷龍精霊ヴリトラ! 我が契約者であるシズルの前に立ち塞がるあらゆる敵を貫く金剛の剣なり! さあシズルよ、誰が最強なのか無知なる者どもに知らしめてやろうではないか!』
「ああ、そうだね。フェンリルだか何だか知らないけど、俺達の仲間を泣かせるようなやつは、全員ぶっとばす!」
一人と一匹。しかしその迫力に圧倒されなかった者は、この場には誰一人いなかった。広い空洞の中を細い雷が飛び交い、周囲を威圧する。
そんな中、白狼族の長老は先日見た穏やかな表情とは一変させ、鋭くシズルを睨む。
「それで……お主は我らを邪魔するという事でいいのだな?」
「そうですね。あなた方が何を思って今彼女達を襲っているのかはわかりませんが、仲間には傷一つ付けさせません」
「そうか……」
残念そうに一瞬顔を伏せるが、すぐに顔を上げると手を挙げる。
「だが我らにも引けぬ理由がある! お主達!」
その手を振り下ろした瞬間、残った三人が一斉に動き出す。その対象はローザリンデではなくシズル、その後ろにいるイリス。
ローザリンデ相手にあれだけ奮戦できるような相手だ。並の実力者ではない。だが――
『ふ、今の我らを相手にするには、いささか鍛錬が足らんな!』
「その……通り!」
ヴリトラが槍へと姿を変えると、シズルはそのまま力いっぱい振り切った。瞬間、激しい雷撃の嵐が迫ってくる白狼族を吹き飛ばす。
「な! 我が種族の精鋭たちが!?」
「どうします? 降参するならこれ以上はやりませんが?」
威嚇するように槍の地面に突き刺し、激しい雷撃音を鳴らせる。
単純な接近戦の技量ならともかく、魔術も含めた純粋な戦闘であれば今のシズルに勝てる者などそう多くはないだろう。
それほどまでにシズルが雷神より与えられた雷魔術は強力なものであり、ヴリトラの力は強かった。
「ぐ、ううう……まだだ、まだ終われんのだ!」
これまであった余裕の表情をかなぐり捨て、シズルの規格外な力を前に焦りへと変わっていた。
「シズル、気を付けろ!」
一気に飛び出した長老は、年齢を感じさせない速度で一気に接近してくる。
凄まじいのはその身のこなし。シズルの生み出す雷を躱し、さらに一歩踏み込んできた。
「くっ! 『
予想外の動きに一瞬焦りながら、シズルは地面に槍を突き刺し、そのまま雷の壁を作る。しかし、それは悪手だった。
「甘いわ!」
長老はその壁の前で一瞬立ち止まると、凄まじい跳躍で雷壁を乗り越えてくる。
頭上からの奇襲。『
「っ――!」
何とかそれを一歩下がる事で躱す事が出来たが、すでに間合いは相手に分がある。
連続する凄まじい速度の攻撃を躱しながら、シズルはその爪を槍で受け止めた。
その瞬間、槍から凄まじい雷撃が発生する。
「ぐおぉぉぉ!」
攻防一体の雷槍。その威力は現代地球におけるスタンガンを遥かに超え、長老は突然の一撃に思わず地面へと崩れ落ちる。
「ふう……危なかった」
まさか目の前の老人があれほど機敏な動きを見せるとは予想外であり、思わず不意を受けてしまったが、なんとかなかった。
そんな心境で振り向き、イリスを安心させようとしたその瞬間、シズルの足に凄まじい圧力がかかる。
慌てて見れば、倒れた長老が壊れた爪すら気にせず全力で掴んでいた。
その瞳はまるで状況を諦めていない。そのことに一瞬の不安を覚えたシズルは、何かが起きるその前に長老を気絶させようとして――
「今じゃ! 行けぇぇぇ!」
それより早く、一番最初にシズルが吹き飛ばして気絶していたはずの白狼族の青年が飛び起き、一目散にイリスへと向かっていく。
「しまった!」
「もう遅いわ!」
足を掴まれ動けないシズルも、そして距離を取っていたローザリンデも追いつかない。
白狼族の青年はそのままイリスの傍まで駆けると、力任せに彼女の胸にかけられていたペンダントを奪い取った。
『っ――!?』
「まさか!」
危害を加えられなかったことに安堵したシズルだが、イリスとローザリンデ、二人の様子は違う。
その表情はまるで、絶対に起こしてはならないことをしてしまったような、そんな絶望的な顔。
いったい何が――そう思っていたシズルは、白狼族の青年がそのペンダントを飲み込んだ瞬間、凄まじい悪寒に襲われる。
「あ、あ、あ……そんな、まさか!」
「……どうやら、我らの勝利のようだな」
絶望した表情のローザリンデ。そして地面に倒れながらも歓喜の声を上げる長老。
この二人の態度から、どちらが目的を達したのか、一目瞭然だった。
ペンダントを飲み込んだ白狼族の青年は、まるで重い病気を患ったように震える体を抱え込み、そのまま空を見上げる。
すでに暗くなり始めたそこには、黄色い満月が顔を出そうとしていた。
「そういう……ことか!」
明らかに尋常じゃない青年の様子。そこから感じるあふれ出る魔力は、もはや一個人のそれを大きく上回っている。
それがどんどんと大きくなり、シズルは今何が起きているのか、理解し始めていた。
何せその魔力は忘れもしない、かつて見た黒龍に近い物なのだから。
『シズル! 今のうちに!』
「うん!」
シズルは自分の足を掴んでいる長老を無視して、手に持った
もはや手加減をしている余裕などなかった。
凄まじい魔力の放流を突き抜け、
「そ、そんな!」
『ぬ、ぬぅぅぅぅ! 不味い! これは不味いぞシズル!』
青年の身体から爆発するあまりにも濃厚な魔力は、その身体を蝕み変貌させる。
空から受ける月の光と白い魔力が混ざり合い、どんどんと肥大化していく姿はあまりにも醜悪で、見ていられなかった。
「ヴリトラ、もういい戻って!」
シズルの声に反応し、
『くっ! 情けない!』
「あれは仕方ないよ。流石に溜めなしじゃ無理だ!」
シズルは緩んだ長老の手から脱出すると、そのままイリスへと向かって走りだす。
『っ! シズル!』
「一度ここを離れるよ! あのまま行くと、この祠を壊してまだ大きくなりそうだ!」
イリスはコクリと焦ったように頷くのを確認し、その身体を抱き上げた。
「あ、あ、あ……」
そしてそのまま脱出しようとしたとき、放心したように立ち尽くすローザリンデを横目に映る。
「ローザリンデ! 呆けてないで一度出るよ!」
「やつだ……やつが来る……」
「くそ! しっかりしろ!」
そんなシズルの言葉にも反応しない彼女に、シズルは方向転換をして彼女の下へ行くと、そのままその身体を掴んで祠の外へと走り出す。
「ふはは! ああ、ついにこの時がきた! ああ我らが神よ! 偉大なる獣よ! さあ姿を見せてください! 我ら白狼族に、永遠の幸福を!」
そんな言葉が木霊するのを聞きながら、シズル達は崩れ落ちる祠を後にした。
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