第28話 フォルブレイズ兄弟
ホムラの言葉に何を悠長な、という気持ちがないわけではない。
だがそれ以上に、いつもと違って落ち着いた雰囲気で座る兄に対し、不思議と逆らう気持ちは沸かなかった。
燃えるように逆立つ紅色の短髪といい、獰猛な獣を彷彿させる鋭くも自信に満ち溢れた瞳といい、英雄である父グレンの生き写しと呼ばれるだけあって本当によく似ていると思う。
「兄上……要件なら手早くお願いします」
「だから焦んなって」
ホムラは自分で入れたのか、湯気の立つコーヒーを飲みながら食事に手をつける。
普段の粗暴な様相とは打って変わり、一つ一つの所作が清廉としていて、自然と彼が上流貴族の子息である事を思い出させた。
そんな落ち着いた仕草に若干の苛立ちを覚えるものの、話を進めるためにシズルも目の前のパンとスープに手をつける。
深い眠りについていたせいか、エネルギーを求めていた身体はすぐに更なる食事を求め始めた。
「お、良い食いっぷりじゃねえか」
無言で次々と手を伸ばしていると、ホムラは同じように食事に手につけながら笑う。
そうしてしばらくの間無言の時間が続く。しかしそれも全ての食事を食べ終わり、出されたコーヒーを一気の飲み干すまでだ。
「話がないなら俺は行きますよ」
「だから待てって」
「待つ時間はないです」
こうしてる時間にもタイムリミットは近づいているのだ。それどころか、もう間に合わないかもしれない。
いくらホムラの態度が普段と違っていようと、これ以上時間を無駄にするわけにはいかなかった。
「はぁ、なあシズルよぉ……いつの間にかお前ずいぶんと余裕がなくなったよなぁ」
「急いでいますからね」
立ち上がり、ホムラに背を向ける。だがそんな態度も気にした様子を見せず、ホムラは
「今の話だけじゃねえよ。俺と再会してからずっとだ。お前、何をそんなに焦ってんだ?」
「っ――」
思わず振り向く。全てを知っているくせにこの男は何を言っているのだと、馬鹿にしているのかと思い怒鳴りつけたくなった。
だがその瞳はどこまでも真剣で、決して馬鹿にするような雰囲気は感じられない。
思わず声を出せなくなったところで、自分が彼に気圧されていることにようやく気が付いた。
「俺にはわかんねんだよ。なあシズル、何を焦ってんだ?」
「だからっ、このままだとイリスが死ぬんですよ!?」
「ああ、そりゃ聞いた。んで、それでお前が困ることって何があんの?」
「……は?」
意味が分からない。困るも何も、このままではイリスが死ぬのだ。
「ロザリーの話は聞いた。イリスは大精霊を復活させるために生贄になるってか。それはまあ残念だが、仕方のねえことなんじゃねえの?」
「いや兄上、仕方のないことって、そんなわけ……」
「じゃあ聞くが、例えばどうしようもない魔獣が襲ってきて、一人死ぬだけでフォルブレイズ領内の全員の命を救えるとしたらお前はどうする?」
「……え?」
ホムラの問いかけが理解出来ない。何故そんな仮定の話を出すのか、そしてそんな極端な話をしてくるのか。
いや、本当は理解出来た。だがしかし、それを理解してしまうと動けなくなると思って、わざととぼけた振りをする。
「おいテメェ、今逃げようとしたな?」
しかしホムラの鋭い眼光はそれを許してはくれなかった。
「いいかシズル、俺達はいずれ何万何十万って命を預かる立場にあるんだ。俺はフォルブレイズ侯爵として、そしてお前はいつか与えられるであろう領地の領主として、必ず来る未来ってやつだな」
ホムラは淡々と、それでいて力強く語り続ける。
「俺達は大貴族の名を背負って生まれてきた。良いかシズル、俺達が貴族として振舞えてるのも、誰よりも自由に生きてられんのも、全部俺たちが王国の貴族として生まれたからだ」
ノブレス・オブリージュ。財産や権力など社会的地位を持った者には、それ相応の義務が生じると言う事から生まれた概念。
貴族として生まれたからには、それに見合った対価を与え続けなければならない。
それは前世でこそ生まれた言葉であったが、シズルにとってこの世界の貴族達がそれを実行できているかと問われれば出来ていないだろうと思っていた。
だというのに、まさかこの貴族の義務などクソ喰らえとでも言わんばかりに自由奔放な兄から、そんな言葉が出てくるとは思いもしなかった。
「だったらよぉ、これくらいは即答しねえとな」
「うっ……」
ホムラの言いたい事を完全に理解してしまった。
――イリスの事は諦めろ。
そうすることが最善だと、貴族としてこれからも生きるのなら最善を選べとこう言っているのだ。
「なあシズル、お前の目的はなんだ? イリスを救う事だったか? 違うよなぁ、だってお前の目的はイリーナさんを助けることだろうが。だったら優先順位をはき違えてんじゃねえぞ!」
「っ――!?」
「それともなんだ、お前……あの人の事は諦めたのか?」
「ち、ちがう! 俺はただ、誰かを犠牲にしてまで前に進みたくないって思ってるだけで――」
「はっ! そんな自己満足な考えなんて下らねえなぁ!」
知らない所で誰かが苦しんでいるのを無視して前に進む。それはきっととても楽な道だが、その先には後悔しかない。
そう思っているからこそ、イリスを救いたいのだと訴えかけたシズルだが、そんな覚悟をホムラは一蹴する。
「俺達は貴族だ! 領民十万を守るために百を犠牲にしなきゃならねえ立場だ! 良いかシズル、俺達はなぁ、『みんな守りたかったけど守れませんでした』じゃあ通じねえんだよ!」
「そんな……そんなこと!」
「わかってねえよお前は! お前はガキの時から俺達とは違う視点で物事を見てやがるからな! 貴族なんてどうでもいいって、内心透けて見えやがる!」
きっとホムラのそれは勘のようなものだろう。だがその指摘を、シズルは言い返す事が出来ない。
実際シズルも貴族として生まれてきたからには、それまで受けてきた恩恵に対して返す必要があると思っていた。
だがそれは『なんとなくそう』と前世の日本人的な感覚で思っていたに過ぎない。
ホムラのように『貴族として』そう考えていたわけではないのだ。
「お前の一番の目的は『母親を救う事』だろうが! だったらイリス一人くらいの犠牲を見て見ぬフリをしろよ! お前の感情なんてどうでもいい! ただ冷静に、目的を果たす事だけに力を注げ!」
「それが、それが出来たら苦労はしない!」
「苦労くらい笑って背負いやがれ! 重い十字架背負って歩け! これから先、俺達はそうやって一生を生きていくんだからな!」
どっちが正しい事を言っているのか、それは単純ではない。道徳的な話で言えばシズルの方が正しいだろうが、それも立場が異なれば大きく変わってくる。
少なくとも、シズルが目的を達成するためにイリスを生贄にして大精霊を復活させる方が正しいし、ここでその選択を選ばなければイリーナは死ぬかもしれない。
何より、エルフも、オークも、この森に棲むあらゆる生物が死に絶えるかもしれないのだ。
シズルが選ぼうとしているのは、そういう選択だ。エルフ達から見れば、明らかな敵対者。
こうして自由にされている事すら奇跡に近い。
頭が混乱する。せっかくイリスを救うと決めたのに、身内からこのように攻められてシズルの築いてきた心の土台がフラフラと揺れている。
「どうして……どうして今そんなことを言うんですか!」
「あん?」
「だって今言わなくてもいいでしょ! 俺はイリスを救って、その後の事は後で考えればいいじゃないですか! なのに、なのに……」
思わず子供の様に感情をぶつけてしまう。
「イリスは救う! もちろん母上も救う! それが悪いんですか!?」
「イリスを救えば大精霊ディアドラは復活しないぜ? そうなったらイリーナさんはどうやって救う?」
「っ――それは……」
「それにフェンリルだっけ? ロザリーが束になっても勝てないっつー化物にお前、勝てんのか? ああそれとも、イリスだけを連れて森から逃げるのもありか。それだったらまあ、イリーナさんの事はまた後で考えるとして何とかなるな。森のやつらを犠牲にしてだが」
「違う!」
ホムラに言われて、自分の視野の狭さが浮き彫りになっていく。
そう、シズルがイリスを救うと言う選択を選ぶことは、他のもっと大事なモノと、多くの人を犠牲にするという事なのだ。
「じゃあどうすんだよ」
「イリスは救う! 復活するフェンリルは俺が倒す! そして、その魔力を使って大精霊ディアドラを復活させることでエリクサーを手に入れ、母上を救う!」
ようやくシズルは自分が思い違いをしている事に気が付いた。イリスを救うだけでは駄目なのだ。
――知らない所で誰かが苦しんでいるのを無視して前に進むのは嫌だ。
そう言ったのに、イリス以外の誰かが苦しむ選択を選んでいたことに気付いてしまった。
「そうだよ……全部を救って、初めて前を向けるんじゃないか」
一つ一つ言葉にしてみると、全てを救う選択肢は確かにそこにあった。
大精霊ディアドラを復活させるには大量の魔力が必要になる。そして、災厄の魔獣であるフェンリルの復活まで時間が足りない。
だったら、フェンリルを倒し、その魔力でディアドラを復活させる。それこそがもっとも理想的な選択肢。
そう、シズルが後悔しない道はそこにしっかりとあったのだ。
だがシズルはそれに全く気付いていなかった。ただそれだけの事だ。
「なんだ、ようやく気付いたのか」
「……え?」
「ははは! なんだその顔、ずいぶんと間抜けっぽいぜ!」
兄の呆れたような呟きに、思わずシズルは呆気に取られたように言葉を零してしまう。
そんなシズルが面白いのか、ホムラは豪快に笑い始めたが、すぐにその笑いを引っ込めて真剣な表情を作る。
「お前さ、イリスを救う事でイリーナさんの事諦めてただろ。ついで言うと、この森のやつらの事も全部諦めて、とりあえず目の前の事だけ解決しようって思ってたろ?」
「……そう、ですね」
「どんだけ視野が狭まってんだか。まったく、賢い弟を持つと馬鹿な兄は苦労するぜ」
ホムラの言葉を聞くと、彼はこれからの動きについてわかっていたかのようにも聞こえた。
「で、どうする?」
それを問い詰めるよりも早く、ホムラはニヤリと笑うとシズルに問いかける。
こんな単純な質問すら、先ほどまでの自分は自信を持って答えられなかったのかと思うと、信じられない気持ちだ。
「イリス達を追いかけます。そして、フェンリルをぶっ飛ばす! 後はさっき言った通りですよ! 悪いですか!?」
「くはは! ぶっ飛ばす、良いじゃねえか最高だぜその言葉! くっそ情けない顔からようやく男らしい顔つきになったなぁおい!」
そう笑うとホムラは勢いよく立ち上がり、そのまま歩き出す。
「おらさっさと行くぞシズル! 災厄の魔獣だろうがなんだろうが関係ねえ! 天下の悪童フォルブレイズ兄弟の名、何回生まれ変わっても恐怖に身を震わせるように刻み込んでやろうぜ!」
「っ――はい!」
まるでこれまでの言い合いが嘘のように、明るく笑いながら出ていくホムラに付いて、シズルは家を出る。
その正面に見える兄の背中はとても大きく、強さではない彼の器の大きさに憧れさえ抱いてしまう。
空は高い太陽に照らされ、その灼熱は森をも燃やすほどに熱いものだったが、今のシズルの心はもっと燃え盛っていた。
――もう、迷いはない。ただ前に進むだけ!
口だけではない。シズルの中にあった最後の迷い。それが完全に晴れ、やるべきことは明確となったからこそ言える言葉だ。
「兄上、遅れたら置いていきますからね!」
「くかか! さっきまで死にそうな顔してたくせに言うじゃねえか! 出来るもんならやってみな!」
雷を纏ったシズルは一気に森へと駆け出す。それに追随するように、ホムラもまた飛び出した。
目指すは大精霊ディアドラが眠っている祠。そこで待つイリス達を救うべく、フォルブレイズ兄弟は動き出した。
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