第2章 風の情景
プロローグ
【前書き】
この作品の第二巻のイラストになります。
https://mfbooks.jp/product/raitei/322102001205.html
―――――――――――――――――
――夢を夢だとわかる瞬間がある。
黒い蝙蝠のような巨大な翼に、あらゆるものを砕く強靭な爪と牙。威風堂々と見下す空の覇王である黒き龍は、自分という世界のイレギュラーを許さず排除しようと迫ってきた。
――ああ、またこの夢か。
己が生まれた時の出来事だ。そのあまりにも衝撃的な初ファンタジーを忘れられるはずもなく、今でも鮮明に覚えている。この後は雷神様による介入があり、そして黒龍ディグゼリアは神の雷によってその命を燃やし尽くされるのだ。
この時の凄まじい衝撃は、シズルや己を守ろうとした母すら吹き飛ばす。奇跡的に自分も母も外傷はなく無傷であったが、きっとそれは【雷神の加護】のおかげだろう。
だが、だからといって何の影響もないかと言えばそうではなかったのだ。
――ああ、この続きはもう見たくないな。
シズルはこの時、身に宿る全ての魔力を使い果たして気絶していた。だからこの続きの出来事は話でしか聞いたことがない。だというのに、この夢はいつもシズルが気絶した後のシーンを、まるで見てきたかのように再現するのだ。
『あぁ、どこ? 私の可愛いシズル? どこ、どこにいるの?』
多くの騎士達が未だに目を覚まさない中、一番最初に動き出したのは母であるイリーナであった。彼女は燃え盛る黒龍の傍で、地面に蹲りながらすぐ傍で寝ている自分を必死に探し回る。
『どこ、どこ、どこなの!』
その姿はあまりにも焦燥感に駆られており、見ている者の心を痛めるほどだ。シズル自身、これが夢だと言うことを知ってなお、この母の姿を直視するのは辛かった。
『あぁっ! そこね、そこにいるのね!』
そうして立つことも出来なかった母がふとシズルに触れ、そして壊れないようにそっと抱きしめる。
『呼吸も安定してる。寝てるだけなのね? 良かった……本当に良かった……』
母が安堵で涙を流す姿を見て、シズルは感情を抑えられない。
自分が生まれなければ、黒龍ディグゼリアはあの場に現れなかった。自分が生まれなければ、あの瞬間神の雷は落ちなかった。
自分が生まれなければ母の瞳は、そしてその身体は――
目が覚めると、大量の汗をかいていた。
「……はぁ。最近はあんまり見なかったんだけどなぁ」
シズルが転生した日の出来事。それはシズルにとって忘れられない思い出であり、そして同時に忌まわしい記憶でもあった。
「もう、十一年も経ってるっていうのに」
起き上がり鏡を見ると、そこには百六十センチほどの金髪の少年が映っていた。すでにマールを追い抜き、これからも成長していくことだろう。その美しい容姿と相まって、まるで物語の王子様である。
昔は前世の記憶もあって違和感を覚えていたこの顔も、流石に十年以上毎日見ていれば慣れてくる。もはや過去の自分と今の自分は違うと、はっきり言えるようになっていた。
だが今はその顔色も悪く、今にも倒れてしまいそうなほど憔悴しているように見える。
「ひどい顔だな」
外を見れば、もう少しで太陽が顔を出す時間帯。あと少しもすればマールが起こしにくるのだが、こんな顔は見せられない。
ベットの横の籠で眠るヴリトラを起こさないよう手早く汗を拭き着替えると、書置きを残して中庭に出て空を見上げた。
「ああ、今日は満月だったんだ」
うっすら残る月の影を見ていると、ルキナやルージュの事を思い出してしまう。
「あれからもう三年。早いなぁ」
三年前、シズルは己の婚約者であるルキナ・ローレライの笑顔を守るため、闇の大精霊ルージュと激闘を繰り広げた。
まだ未熟なシズルであったが、自身の兄弟分ともいえる相棒、雷の大精霊ヴリトラから協力を得る事で、なんとかルージュと互角に戦い、そして勝利を得ることになる。
それからルキナはルージュと色々なことを話し合った。結果、母との約束のために自分を守ってくれていたルージュを許したルキナは、闇の大精霊ルージュと正式に契約を行い、見事『加護なし姫』から脱却することになる。
とはいえ、ルージュの名は一部の人間にとって悪名高すぎる。ゆえにローレライ公爵、そして父であるグレンとの話し合いにより、闇の大精霊ルージュのことは隠し、闇の上級精霊として扱うことにした。
実際にルージュの姿を見知っているのはかつて戦った勇者とグレン達だけなので、大精霊ということだけを隠せば大丈夫という話らしい。
テレビやインターネットを知っているシズルの価値観とはずいぶん違っていたが、王宮の第一線で活躍している人がそう言うなら大丈夫なのだろう。
シズルからすればせめて名前だけでも変えた方が、と思ったが精霊にとって名前とは魂のようなもの。変える事など出来ないというし、何よりルージュが納得するとも思えなかった。
バレた場合だが……そもそも大精霊とは神に最も近い存在。そんなルージュが望んだ以上、公爵とはいえ一貴族程度が断ることなど出来るはずもなく、お咎めもないだろうということだ。
ここから先は手紙で聞いた話で直接見たわけではないが、元々貴族の令嬢として礼節や教養などは同世代から群を抜いていたルキナが闇精霊の加護を得たことで、周囲の評判は一変したらしい。
特に、世界でも限られた者しかいない『闇の上級精霊』の契約者ということで、ルキナは今や同世代におけばシズル、そしてアストライア王国の第二王子に次ぐ話題性を持つようになった。
シズルはその掌返しに呆れたものだが、それだけ貴族社会において『精霊の加護』というのは重要視されることなのだろうと納得する。
流石に侯爵子息であり、『奇跡の子』であるシズルを出し抜いてまで縁談を勧めるような貴族はいなかったらしいが、この件に関して王宮は相当慌てたようだ。
何せルキナは公爵家という血筋以外に何もなかったからこそ、シズルの正妻に選ばれたのだ。王宮側の思惑としては、『加護なし姫』である彼女を正妻とすることでシズルの持つ強すぎる影響力を抑える役割があった。
だというのに、ルキナまでもが加護を、それも世界的に見ても英雄クラスの者しか契約を出来ていない『上級精霊の契約者』という名声まで持つとなると、シズルの影響力がさらに増すことになってしまう。
そして他の貴族令嬢を側室に置いたとしても、ルキナの権力、影響力を抑えることが出来ず、結果的にシズルの力を強めてしまうだけになってしまうのだ。
ここからは、ローレライ公爵からの手紙で知ったことだが、王宮はルキナとシズルの婚約を一端白紙にしようとしたらしい。
しかし公爵の尽力によってそれは阻止されることになる。その辺りを書いてある公爵の文字はずいぶんと歪んでおり、最後にルキナとルージュが怖かったと一文残されていたのだが、シズルは見なかったことにした。
「ああ、なんだかルキナに会いたくなってきた」
丸い月を見ながら彼女の事を思い出していたら、ふとそんなことを呟いていた自分に驚く。どうやらあの夢の影響はよほど自分を弱らせているらしい。
この三年間、手紙のやり取りしかしていなかった婚約者だが、きっと美人になってる事だろう。領地が近くないので次に会えるとしたらいつだろうか、などと思っていると――
「あ、えと、あの……その、会いに、来ちゃいました……」
「……え?」
ふと背後から聞き覚えのある声が聞こえ、思わず振り向く。そこにはまるで月の女神に祝福されたような、美しい黒紅色の髪を二つ括りにした少女が立っていた。
記憶にある少女よりも成長したその姿は、月明りと合わさり神秘的な幻想のようで――
「……ルキ、ナ?」
「ずっと、ずっと会いたかったんです……手紙だけじゃ満足できなくて、それで、それで――!」
感極まったように感情を抑えきれないルキナが、勢いよく飛びついてくる。そんな彼女が倒れないように支えながら、どうして彼女がここにいるのかシズルは全く理解出来なかった。
出来なかったのだが、ただ一つ言える事がある。それは――
「久しぶり。会えて嬉しいよ」
「はい! 私もです!」
久しぶりに感じるこの暖かさは、弱り切っていた心を満たしてくれるものだということだ。
月夜の下で、シズルとルキナは三年ぶりの再会を果たすのであった。
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