第29話 運命の出会い

 二十年前、人間と魔族の間で激しい争いが続いていた。


 当時の魔王は人間に対して強い敵愾心を持っており、侵略を繰り返していたのだ。


 とはいえ人間もやられっぱなしではない。王族である光の勇者を筆頭に、英雄と呼ばれる者達が中心となって戦線を維持し続ける。


 戦況が膠着して数年、まだ若かった勇者一行はその才能を開花させていき、どんどん強くなっていく。


 対する魔王軍は元々強い種族であったが成長という意味では後れを取ることとなった。


 中でも光の大精霊を味方につけた勇者の成長力は凄まじかった。


 並みの魔族では歯が立たず、一刀の下に切り伏せられる。そんな勇者が率いるパーティもどんどん強くなり、そしてついに魔王軍との戦いを切り開き、押し返すことに成功したのだ。


 さて、ここで話が終わればただの英雄譚で良かったのだが、人の欲望というのは際限がない。そして魔族の憎しみもまた、際限がなかった。


 勇者一行によって戦勝を飾った王国は、そのまま魔族国へと侵略を開始する。魔族側も自国を守るべく軍を出す。となれば今度は立場が逆転するだけで、戦いは泥沼化していったのだ。


 そんな戦争を見てきた闇の大精霊はこう思ったのだ。相手に光の大精霊が付いているなら、こっちは自分が付けばいい。そうすれば絶対もっと面白くなる。


 闇の大精霊はすぐに魔王に会いに行き、笑いながら話しかけた。


 ――力が欲しい? なら貸してあげるわよ。


 すでに極限まで追い詰められていた魔王はすぐに大精霊の手を取った。


 契約こそしなかったが、魔族側に闇の大精霊が付くことにより闇精霊の力が高まった。


 そして元々魔族は闇属性の加護を持つ者が多いこともあり、戦況は再び五分に持ち込まれ、再び泥臭い殺し合いが長引くようになる。


 そんな地獄のような光景を見ながら楽しんでいたルージュだが、一つだけ眉をひそめざる得ない者達がいた。光の勇者たちである。


 魔族国家への侵略戦争には参加しなかった彼らは、戦争の裏で操っている者達――すなわちルージュと魔王に気付き、戦争を止める方向で動き出していた。


 ――冗談じゃないわ。せっかく楽しくなってきたのに、邪魔をしないで頂戴。


 そう思ったルージュは、魔王を使いながら勇者一行を始末することを決めた。彼らさえいなければ、この戦争はもっと長く楽しめるのだから。


 しかしここでルージュにとって予想外なことが起きる、大精霊である己が力を貸したにも関わらず、際限なく成長する光の勇者を止める事は誰にも出来なかったのだ。


 パーティーメンバーも馬鹿げた力を持っていたが、勇者だけは別格。そのあまりにも次元の超えた力は、大精霊であるルージュですら恐れを抱いたほどだ。


 そして、魔王の居城までたどり着いた勇者と魔王、そして闇の大精霊であるルージュの戦いが始まった。




 ――その日はルージュが生きてきた中で一番最悪の日であり、そして運命の日でもある。


 勇者に敗北したルージュは、命からがら何とか逃げ延びた。しかし多大なダメージを受けていたため満足に動くことが出来ず、とある森の中で力尽きようとしていた。


『あ、ははは……あの勇者、いつか絶対殺してやるわ。いや、それだけじゃ飽き足らない。アイツの前で人間を一人一人殺してやる!』


 ルージュは地面に這いつくばり、土に爪を立てながら己を滅ぼしかけた恐るべき人間に恨みをぶつける。その復讐心は彼女の心を覆いつくし、新たなる化物を生み出そうとしていた。


『だけど……ぐ、このままじゃ』


 闇の大精霊であるルージュは普通の攻撃で傷つくことはほとんどない。


 しかし勇者は光の大精霊と契約していた。光と闇は表裏一体。しかも相手が大精霊の契約者となれば、いくらルージュであっても致命傷を避けられなかったのだ。


『は、ははは……これが私の最期、か。なんて情けない。世界を総べる六つのエレメントの一柱、闇の大精霊の名が廃るわね』


 ルージュの身体から光の粒子が空を舞い始める。彼女の身体を維持する魔力が尽きかけているのだ。もはや恨み言を言う気力さえなくなり、達観して暗い夜空を見上げてしまう。


『あーあ、まあいっか。あの砂糖菓子みたいに甘いクソ勇者に復讐出来ないのは残念だけど、もうどうしようもないし』


 すでに深夜である時間帯。見上げた空はとてつもなく広大で、光輝く星を見ていると不思議と穏やかな気持ちになって来る。


 自身は闇の大精霊。本来は昏き夜を支配する絶対者であるが、こんな日くらい明るい月に見守られるのも悪くはない。


『次の子は、もっと楽しく生きられればいいのだけれど』


 大精霊が消滅すれば、神の手によって次の大精霊が生みだされる。だからこうして自分が消滅しても問題ない。世界は健全に回るし、何の影響も与えないのだから。


 柔らかい月の光に照らされ、もはや身動き一つ出来なくなったルージュはこれまでの生を振り返る。


『……あれ?』


 自分は十分長い時を生きた。十分楽しんだ。そのつもりだったが、こうしていざ消滅を前にすると、ふと思ってしまった。


 ――自分はいったい、これまで何をしてきたのだろう?


 気ままに生きて、好き放題してきて、その結果得られたものが何もないことに気付いてしまう。自身が本当に望んだものなど何もなく、心の底から楽しんだものなど何もなかったのだ。


『は、ははは……こんなことに今更気付くなんてね……なんて無意味な生だったのかしら』


 あまりに情けなく、あまりに悔しくて、悠久の時を生きてきたルージュは生まれて初めて涙を流す。だがどれほど後悔しようが、結果は変わらない。


 身体は動かず、漏れ出る闇色の魔力光は止まることはない。


 揺れる視界の中、闇が広がっていく。本来ルージュにとって闇とは心地の良いものであるのだが、今この瞬間だけはほんの少し、恐怖を感じてしまう。


 これが最期の時、そう思っていた瞳を閉じようとした、そのとき――


『貴方、大丈夫?』


 偶然にも通りかかった一人の少女が、闇の大精霊の運命を変える事となる。 





 その出会いを一言で表現するなら、ルージュはこう言うだろう――運命と。





 最早消滅まで猶予のなかったルージュは、一人の少女に命を救われることとなった。


 少女の名はマリア・ルーファス。代々【闇精霊の加護】を受け継ぐルーファス侯爵家の令嬢である。


 ルージュが森だと思い込んでいた場所はルーファス家の庭にある林で、彼女はそこで倒れこんでいたところをマリアによって発見されて保護されたのだ。


 元より闇精霊の加護を受けている家系である。マリアの献身的な対応によってルージュの魔力は徐々に回復し、次第に動けるようになった。


 ここまで回復すれば後は自然に任せても大丈夫。そう判断して出ていこうとするも――


「え、ルージュいなくなっちゃうの?」


 まだ幼いマリアが泣きそうな顔でそう言うものだから、つい引き止められてしまった。どうやら彼女の家族はあまり愛情の深い家ではなかったらしく、いつも家で一人だったらしい。


 だからだろう。本来なら自分のような存在が家にいることがバレれば大きな騒ぎになるものだが、侯爵達はマリアの友達である『使用人の娘』だと思い込み、興味を示さなかった。


 ――別にこれは同情ではない。単純に都合が良かっただけだ。


 一度死を覚悟した身としては、少しばかり彼女の願いを叶えてやるのが大精霊としての義務だとも思った。


 幸いルージュは闇の大精霊としての力で人の影に潜むことが出来る。侯爵夫妻や他の魔術師に気付かれることなく、マリアの傍に居る事は可能なのだ。


 ――別に誰かにバレる事もない。なら、もう少しだけ一緒にいてもいいか。彼女には命を助けられたのだから、ほんの少しくらい願いを叶えて上げるのが大精霊というものだろう。


 そんな風に心の中で言い訳をしながら、しばらくはマリアの傍にいることを決めた。





 気が付けばルージュがマリアと出会ってから数年が過ぎていた。


 魔族と人間の戦争は終結したという報告が来る。光の勇者の活躍により、和平が結ばれることとなったのだ。


 とはいえ、それを聞いたからと言って今のルージュには興味がなかった。かつて裏で戦争を操っていた身ではあるが、それも過去の事。そんな事よりも、今はマリアと共にいる方がよほど重要になっていたからだ。


「ねえルージュ、また旅の話を聞かせて!」

「そうね……それじゃあ、空を覆うほど大量に現れたワイバーンと、ドラゴンを殺し合わせるために暗躍した話でもしましょうか」

「なにそれ怖いわ! でも気になる話ね!」


 マリアは元来病弱で、あまり外には出られない身体だった。普段は部屋に引きこもり、与えられた本を読んで過ごすだけの少女だ。だからと言って心が暗いかといえばそんな事はない。


 ルージュがこれまで行ってきたことを適当に話すと、彼女は様々な感情を見せて表情を変える。


 何となくそれが可笑しくて、つい話を盛ったりするのだが彼女は全く気付かない。それがまた可笑しく、楽しかった。


 気付けばマリアの傍にいるのが当たり前になっていた。




「ねえマリア、貴方はどうしてあの日、あの場所にいたの?」


 屋敷に匿われてからしばらく経った頃、マリアにそう質問をしたことがある。


 改めて考えると、本来病弱で外に出られないはずの彼女が屋敷の中とはいえ、一人で外にいたのは不自然である。そう思い尋ねてみると、彼女もあまり分かっていないのか首を傾げた。


「ええとね、なんだか誰かに呼ばれてる気がしたの」

「呼ばれてる?」

「うん、そしたらとても悲しい気持ちが流れ込んできてね、お外に行かなきゃって、そう思ったの。そしたら貴方が倒れていたのよ」

「……そう。そういうことなのね」


 ルージュはマリアの言葉を聞いて、彼女が病弱である理由を理解した。


 生まれた時から精霊に対する感受性が高い者達がいる。彼らは精霊達から愛された子であり、特別強い力を持っているもので精霊の祝福と呼ぶ者もいるくらいだ。


 しかし、意識せずに精霊の声や感情まで聞こえてくるとなれば話は変わってしまう。


 あまりに強力な祝福は時に一種の呪いとなるものだ。


 精霊に対する感受性が強すぎる彼女は、ただそこにいるだけで心身ともに大きな負担となっていた。


 過去に同じような人間を何度か見た事があったが、その誰もが苦痛に顔を歪め世界を呪ったものである。


 はっきり言って、こうして笑顔でいられることがルージュには信じられなかった。


 ――この子は、本当に強い。


「ルージュ?」

「ん、何でもないわ。そしたらそうね、今日は魔王を誑かして戦争を仕向けた時の話でもしましょうか」

「どうしてルージュの話は物騒な物ばかりなの!? 面白いからいいけれど!」


 そんな呪いを受けながら、マリアはそれでも笑顔を絶やさなかった。己の話をいつも笑顔で聞いてくれた。


 それはまるで、死を覚悟したあの日最後に見た月の光のようだと、そう思った。

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