第30話 月下の約束

 マリアは十五歳になった。相変わらず病弱なため魔術学園には通えなかった彼女だが、それでも笑顔は絶やさない。


「あのねルージュ。私、結婚することになったの」

「へえ、どこの馬の骨かしら。とりあえず永遠の眠りにつかせるからそいつの詳細を教えてくれる?」

「そんなこと言われたら教えられないわ! でもルージュには聞いて欲しいの!」

「はいはい、そしたら大人しく聞いてあげるから教えなさい」


 気付けばルージュは彼女をまるで妹のように、娘のように、親友のように思っていた。

 

「側室……ねぇ」

「仕方ないわ。私はこんな身体だもの。今までお父様達に迷惑しかかけてこなかったけど、次期公爵様へ嫁ぐとなれば少しは恩返しになるわ」

「まあ貴方がいいんだったらいいんだけど。ただもし碌でもない男だったら……」

「だ、大丈夫よ! マグナス様は社交界でも飛び切り優秀って有名な方だもの! 本来なら私みたいな娘じゃ目通りすら叶わないくらいの良縁なんだから!」

「ふーん。まあ貴方を悲しませるような男だったら、領地ごと消し飛ばしてやるわ」

「もう! でも心配してくれてありがとうねルージュ」

「はいはい」


 別にルージュはマリアが誰に嫁ごうと関係なかった。どうせ彼女が行くところに自分もいくのだ。勇者にやられて以来人間は嫌いだったが、彼女だけは別である。


 ルージュからすれば、マリアの一生など長い生の中で刹那のような物だ。ただ、その刹那の時間を大切にしたい。


 そんな風に思っていた。





 マリアがマグナス・ローレライと結婚し、ローレライ第二婦人となった頃。


「ふっざけんじゃないわよ! アンタ自分の身体の事わかってるの!?」

「もちろん、だって自分の事だもん」

「だったらハッキリ言ってやるわ! アンタに出産なんて耐えられるはずがない! 死ぬの、絶対に!」


 ルージュはマリアの決断に感情を制御できなかった。精霊に愛され過ぎている彼女の身体はすでにボロボロだ。身体の負担が大きい出産などに耐えられるはずがなかった。


「わかってるわ」

「だったら――!」

「それでも私は産む。そう決めたの」


 だと言うのに彼女はまるで気負った様子を見せず、恐怖すらなく真っ直ぐ見据えてくる。


「――っぅ! もう知らない! 勝手にしなさいよ!」

「待って!」


 影の中に潜り込もうとしたルージュは、マリアに引き止められる。一度は止まるが、しかし背中を向けたまま顔は合わせてやらない。


「私ね、どっちにしてももう長くないの……」

「……知ってるわよ。あんたの事、ずっと見てきたんだから」

「うん、そうだよね」

「だからって、死ぬのを早める必要なんてないじゃない。私が傍に居れば、あと数年は生きられるわよ」


 マリアの症状は精霊の感受性が強すぎることが原因だ。だからこそルージュは周囲の精霊達を威嚇し、可能な限り彼女の傍に近づけないようにしてきた。しかし、出会った時にはすでにマリアの身体は限界だったのだ。


 ルージュと出会うのがもっと早ければ、そう思うが時間は戻らない。今のルージュに出来る事は、その症状を少しでも遅らせる事だけだった。

 

 だと言うのに、マリアは無謀なことに挑戦して己の死期を早めようとしているのだ。このような事、到底納得できるはずがなかった。


 だが――マリアはそれでも笑顔であった。


「私が死んだら、ルージュは一人になっちゃうでしょ?」

「はぁ? 何よ、もしかして私の心配をしているつもり? 言っとくけど、別に貴方がいなくなっても私、これまで通り生きていくだけだから!」

「ふふ、そんな強がっても駄目よ。ずっと一緒にいる私にはわかるもの。きっと貴方は私がいなくなったら耐えられないわ」

「っ――!」


 つい感情が高まり、振り向いしまう。


「ほら、泣いてる。綺麗な顔が台無しじゃない」

「あ、アンタねぇ……だったら、少しでも長く生きられる道を選びなさいよ……」

「ふふ、ルージュは優しいわね」


 涙が止まらずにいると、マリアはそっと抱きしめてくれる。細い身体だ。だと言うのに、その心は凄く大きい。


 しばらく抱きしめられていたが、流石に時間が経てば落ち着いてくる。一度涙をぬぐい、誤魔化しは許さないという気迫をぶつけながら赤く腫れた瞳でマリアを睨む。


「……ふん。それで、死にたがりの貴方はどうして出産するって? 話くらいは聞いてあげるわ」


 いくら何でも、死ぬとわかっていて何の理由もなく出産するほど彼女は馬鹿ではない。到底納得できるとは思えないが、話だけでも聞いてやろうと思ったのだ。


「この子がいてくれれば、貴方は一人じゃなくなるから」

「……なんですって?」


 マリアの言葉を聞き返すと、彼女は穏やかに、それでいて芯の強さを秘めた瞳でほほ笑む。


「私はもう長くないけど、私の意思は、心はきっとこの子に受け継がれる。そして――この子が大きくなって子供が生まれたら、またその意志は受け継がれるの。そしたらきっと、貴方の傍にはずっと私の心があるわ。私の心は、死んでも残り続けるの。それってとっても素敵なことじゃない?」

「……それが、出産を決めた理由?」

「ええ。私の人生は幸せだったけど、それでも唯一心残りがあるとしたら、それは貴方を一人にしてしまうことだから」


 ――馬鹿だ。この子は本当に、すごい馬鹿。


 大精霊は悠久の時を生きる存在だ。彼女たちからすれば、人の子の一生など刹那の出来事でしかない。普通に考えれば、この出会いだってすぐに忘れ去れる過去の一つでしかない。


 だというのに何故だろう。その刹那が失われる事が、とても悲しいと思うのは。


「ねえルージュ。この子の名前を決めてくれないかしら?」

「あなたを殺す子の名付け親になれって言うの? この私に?」

「うん、だってルージュならきっと、素敵な名前を付けてくれるわ」


 ほんの少しだけ大きくなったお腹。そこにはほんの小さな、それでも生きようとする儚い生命の息吹を感じる。


「男の子と女の子……どっちよ」

「ふふ、女の子よ」

「そう……」


 ルージュは真っ直ぐその生命を向き合い、マリアとの出会いを思い出していた。


「……ルキナ。こことは違う世界における古に存在した、誕生を司る女神の名前よ」

「素敵な名前ね。でも、それだけじゃないんでしょ?」


 ニコニコとそう言うマリアに、ルージュは思わず顔を背ける。


「ルキナは闇の中でも光をもたらす、月の女神でもあるわ」

「へえ……それで?」

「本当に貴方って……はあ」


 観念したようにため息吐き、顔を紅くしながらも本当の理由を告げる。


「貴方と出会った時思ったのよ。闇の中で埋もれていく私の心を照らしてくれる、月のように美しくも暖かい光みたいな女の子だって。だから、貴方の子供ならそれが一番しっくりくるって、そう思ったの!」

「……そんな風に思ってくれてたの? 嬉しいわ」

「そうよ! 悪い!? 貴方はね、闇に堕ちていく私を救ってくれた! 命だけじゃない! 心が化物に堕ちながら、ただただ後悔と絶望に沈む私の心さえも救ってくれたのよ! だから、貴方の子供なら――」

「私の子供なら?」

「ちゃんと、傍で守ってあげるわよ」

 

 そう言った瞬間、マリアに優しく抱きしめられる。


「ありがとう」

「……ふん」


 結局、自分はマリアには勝てないのだ。彼女の心は誰よりも強い。かつて誑かした魔王よりも、自分を倒した人間の勇者なんかよりも、ずっとずっと強い。


 そんな事、一緒にいてずっと昔から分かっていたのに、理由を聞けば絶対に説き伏せられるとわかっていたのに、それでも聞いてしまった。


 聞いて、約束してしまったのだ。彼女の次の命を守ると、そう約束してしまったのだ。





 そうして生まれた赤ん坊の傍に立ちながら、ルージュは涙する。


「まったく、あの子は最後まで変わらなかったわね」


 大方の予想通り、マリアは出産に耐える事は出来なかった。


 ただそれでも最後の最後まで笑顔を絶やさず、そして生まれた赤ちゃんを抱いて見せたのだ。相変わらず凄まじい精神力だと、感心を通り越して呆れてしてしまう。


 本当なら苦痛で身体など動かせるはずがなかったのに、それでも幸せだったと、そう言い切ったのだ。


「何が、今までありがとう、よ。何が貴方と出会えて幸福な人生だったよ。そんなのこっちのセリフだって言うのに……」


 窓の外から月明りがこぼれる部屋で、ルージュはそっと赤ん坊を抱きあげる。まだ笑う事さえできないその子は、小さな泣き声を発するだけだ。


「ふふ、まだまだ不細工な顔ね。だけど安心すると良いわ。貴方のお母さんは月の女神が嫉妬するくらい綺麗だったんだもの。だからきっと、貴方も将来は凄い美人になる」


 ルキナ――闇の精霊であるルージュが付けた、愛すべき友の子。


「ああ、だけど本当に困った物ね。マリアの体質が遺伝するなんて聞いた事なかったんだけど」


 生まれたてのルキナにはすでに精霊達が集まってきていた。精霊達に愛された子。祝福にして呪いを受けた赤ん坊。


 このままではマリアの時と同じく長い時を生きられないだろう。


「だけど、今度は最初から私がいる」


 マリアの時はすでに手遅れだった。だが今ならまだ間に合う。


 ルージュは周囲の精霊達を威嚇すると、まるでクモの子を散らすように精霊達は逃げ去っていった。


「私が守る。精霊からも、欲深い人間からも、あらゆる障害はこの私が打ち砕いて見せる!」


 空を見上げると、満天の星空に一際輝く大きな月が浮かんでいた。


「だから、安心して待ってなさい。いつか遠い未来、私がそっちに行くまでね」


 きっと天国に行ったであろうマリアの顔を思い浮かべながら、そう決意するルージュであった。


 ――そう、決意したのに……


 

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