第27話 月の微笑み
「はあ、はあ、はあ……うそ、だろ?」
「ふう、ふう、ふう……信じられない。何なのよアンタ」
二人はお互いを見ながら、驚愕を隠せなかった。
シズルはあれだけの一撃を受けてルージュがまだ立てる事を。そしてルージュは己の一撃を押し返す人間がいる事を。
「くっ、これは、ヤバイ……かな?」
『諦めるな! やつとて限界が近い!』
「……ありがとう。あと少し、だもんね」
もはやシズルの魔力はほとんど残っていない。『
とはいえそれは相手も同じ。ルージュを見れば美しかった服はボロボロになり、彼女自身もかなり苦しそうだった。
もはやお互いまともに戦える身体ではない。だがそれでも戦意を失わず、二人は睨み合う。
「っ! この、許さない! 闇の大精霊であるこの私に対してこれだけの狼藉、絶対に許さない!」
ルージュが再び宵闇の剣を生み出すと、怒りの形相で前へ踏み出す。しかしその動きは酷く緩慢で、体の芯まで雷によるダメージが蓄積しているのが分かった。
普段なら余裕で返り討ちに出来る状態だが、今はシズルも満身創痍。『
雷剣を構えるだけで、まともに身体が思うように動かない。
「許せないのは……」
それでも、シズルは前に出た。
「こっちも一緒だぁぁぁ!」
二人はまるで子供同士のチャンバラごっこのように、ゆっくりした動きで剣をぶつけ合った。
「っ――!」
「くっ――!」
お互いボロボロの中のぶつかり合い。
最初のように激しくもなく、ただ体重を乗せてぶつかり合っただけの剣は鈍い音を闇の中で響かせた。
つばぜり合いの中、シズルは初めて間近で闇の大精霊の顔を見る。その瞳の奥には、自分が映っていた。
「なんなのよアンタは!? 私の邪魔ばっかりして! ふざけんじゃないわよ!」
「アンタこそ何なんだよ! 何でルキナを悲しませる!? どうしてあんな罪もない子を傷つけることが出来るんだ!?」
「ハァ!? 意味分かんない! 誰が誰を悲しませるって!?」
「アンタだよ! アンタがルキナを悲しませてるって言ってんだ!」
シズルは城壁の上で泣いていたルキナを思い出す。
彼女は泣いていた。泣きながら、沢山の事を話してくれた。
自分のせいで母が死んだ事。自分を見る家の人の視線が怖いこと。愛してくれる父の期待に応えられないこと。そして――魔術が使えないこと。
ルキナはあの小さな身体で、あの狭い世界の中であらゆる悪意にずっと耐えてきた。
きっと加護さえあれば、彼女は公爵家の娘として華々しい未来が約束されていたはずだ。周囲からも期待され、多くの貴族から求婚され、幸せをつかみ取る事が出来たはずだ。
「アンタが他の精霊を追い返してるせいで、ルキナがどれだけの悪意に晒されてるか、知ってるのか!?」
「っ――! だから……だから何だってんのよ! いい、あの子は私が守る! 私だけがあの子を守れるの! それだけでいいの!」
「だったら……だったらちゃんと守れよ! あの子は泣いてたぞ!」
「うっさいわね! 何の事情も知らないクソガキが、粋がってんじゃない!」
「ぐっ――!」
ルージュの剣が急に重くなる。力の重さではない、彼女の思いの強さが剣に載せられてたのだ。
思わず弾き飛ばされそうになるのを何とか耐えるシズルだが、ルージュの剣はどんどん重くなっていく。
「いずれあの子は世界中の誰よりも凄い魔術師になる! だけど今はまだ卵なの! だから私が守ってあげないといけないの!」
「今守れよ!」
「今私が表に出たら、力のないあの子は悪意の餌食になるっつってんでしょ!」
「意味が分からないんだよ! 今まさにルキナは悲しんで、泣いて、心を閉ざしかけてたんだぞ! 知らない男に嫁いで、自分の事は都合よく使ってくれって、自分の価値は身に宿る血と権力だけだって、そんな事言ったんだ! わかるか!? 八歳の子供が、そんなことを言ったんだぞ!」
言葉にすればするほど怒りが膨れ上がっていく。本来ならこれからの未来を明るく夢見る年ごろの少女が、自身の未来を全て捨てて言った言葉。
それがどれほど苦しいことか。それがどれほど重いことか。
かつて社会の一員となり、多くの夢を諦めた一人の男として許せるはずがなかった。
「あの子の未来はこれから明るいはずなんだよ!」
「そうよ、あの子の未来は明るいのよ!」
二人の身体に再び力が入る。にらみ合い、心の内をぶつけ合い、お互いに退けない思いがある。
そうして何合も打ち合った二人は、持てる力を振りしぼり、そうして一度距離を取る。
「ふー、ふー、ふー……」
「ハァ、ハァ、ハァ……」
呼吸は荒く、それでも退く気はない。お互い親の仇を見るようににらみ合うが、ルージュは呼吸を整えると手に持った宵闇の剣を下ろす。
「まさかここまで粘るとはね。いいわ……アンタには教えてあげる。どうして私があの子の傍から精霊を追い出しているのかをね」
「……なに?」
そう言って、ルージュは語りだす。彼女が何故ルキナの傍にずっといるのか、そしてなぜ彼女を『加護なし姫』と呼ばれても表に出てこないのかを。
「ルキナは、あの子はねぇ! 精霊の祝福を受けているのよ!」
「っ――!?」
その言葉に動揺したシズルは、不意打ちのように飛び出してきたルージュの剣に一瞬押される。
――精霊の祝福。
その明るい名とは正反対に、それはこの世界において呪いとも呼ばれる類の物だ。
この世界には生まれた時から精霊に対する感受性が高い者がおり、彼らは精霊達から愛された子として特別強い力を持っている。しかし、その中でも特別愛が強すぎる者が稀に生まれることがあった。
それが精霊の祝福を受けた子供。意識せずに精霊の声や感情まで聞こえてくるそれは、心身ともにとてつもない負担となる。
過去の文献でそれを知っていたシズルは動揺を隠せなかった。
「だから、だから私はずっとあの子の傍で守ってきたのよ! それが私が愛した、親友との約束なんだから!」
「ぐっ、ぅっ!」
重い。彼女の思いがどんどん強くなり、その剣の想いが闇の魔力となってあふれ出してくる。
「あの子は、マリアは優しい子だった! 誰よりも暖かい笑顔を見せる子だった! こんな、こんな化物の私すら照らしてくれた、月のような光の女の子だった!」
きっと彼女にとって、そのマリアという親友はとても大切な人物だったのだろう。きっと彼女にとって、その約束は何よりも大切な物だったのだろう。
「なのに……」
シズルは思う。
「……どうして」
彼女の瞳には自分が映っている。彼女の心には親友が残っている。だが――
「どうしてその想いを――ルキナに向けてあげられないんだ!」
「くっぅ!? 何を、言ってるの!? 私はちゃんと――」
「どうしてアンタの瞳には、俺しか映っていない!? どうして、どうして!」
ルージュから流れ込んでくる悲しい感情。
シズルもまた、精霊に愛された者なのだ。だからこそ彼らの声が聞こえ、そして彼らの感情がダイレクトに響いてくる。
彼女は今、悲しみの闇の中にいた。周りには何も見えず、ただ親友との約束だけを一筋の光として縋り寄っているだけだ。
彼女の瞳には、敵しか映っていない。彼女の瞳には――一番大切にしなくてはいけない、ルキナは映っていないのだ!
「たとえその約束が、その想いがどんなに強くたって……」
シズルは一つの心が聞こえてきていた。それはこの闇の空間を照らす、空に浮かんだ一つの満月。
『お願い、彼女を闇から救ってあげて』
それは幻聴かもしれない。しかしそこから伝わる想いは、自分よりも、そしてルージュの想いよりも遥かに優しく、そして暖かいものだった。
その想いを感じるだけで、シズルは力を取り戻していく。
「今のあんたには負けてやらない!」
きっとその心の主は――ルージュを誰よりも大切に思っている人なのだろう。
そして――彼女の悲しみを晴らせるのは、今この場にいる自分だけなのだから。
「任せてください。俺が、きっとこの闇を払ってみせます!」
そう言うと、まるで闇を照らす空の月は、優しく微笑んだ。
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