第15話 夢

 城塞都市という名の通り、ガリアの城壁は外敵から都市を守るべく作られている。その城壁は高く、上から見た外の世界は広大だ。


 柔らかい風が緩やかに流れ、赤い夕陽が地平線へと向かっていく。シズルはここから見る夕暮れの景色が好きだった。この壮大な景色の前には、小さな悩みなど全部吹き飛ばされるものだ。


「わぁ……綺麗……」


 隣に立つルキナが感動した様子で呟くのを見て、シズルはここに彼女を連れてきたのは正解だったと思う。


「ここは俺のお気に入りなんだけど、気に入ってくれた?」

「はい! とっても!」


 明るい笑顔を見せてくれる彼女に微笑み、シズルは外の景色を見渡す。


 シズルが魔物を倒した森。街から街へ繋がっている街道。その上を歩く冒険者や商人の馬車。まだこの街しか知らないシズルは、いつかこの広い世界を見て回りたいと思っていた。


「ここにいるとさ、悩みなんて全部吹き飛ぶんだよね」

「……シズル様でも、悩みがあるんですか?」

「もちろんあるよ。人間だからね」


 ルキナは信じられないという表情で見てくる。もしかしたら彼女から見たら、自分は物語の騎士のような完璧超人にでも見えているのかもしれない。


「シズル様は……」

「うん?」

「出来ないことはないし、知らないことはない神様みたいな人だから、悩みなんてないと思ってました」

「おおう……」


 ただ、まさか超人を通り越して神様扱いされるとは思わなかった。


「剣を持てば騎士を倒し、魔術を使えば凶悪な魔物を滅ぼす。その知識は新しい可能性を生み出し、品行方正にして清廉潔白の神童。災厄のドラゴンすら薙ぎ払う雷神の子。私が聞いたシズル様の評判です」

「うん、噂が完全に一人歩きしてるね」


 少なくとも、品行方正にして清廉潔白というのは真っ赤な嘘である。


 昔はそんな風に呼ばれてた気もするが、最近はもっぱら魔術狂いが酷く、しかもすぐに危険なことをしようとするため屋敷の人間からは警戒されているくらいだ。


「俺は人間だよ。ちょっと神様から特別扱いされただけの、ただの人間」

「神、様……?」

「うん。俺は昔ね、神様に出会ってこの力を貰ったんだ」


 そうやって指を軽くはじくと、掌で小さな雷が発生する。この世界でシズルだけに許された【雷魔術】。


「これが……」

「そう、この世界で唯一の【雷魔術】」

「……凄く、きれいです」

「ありがとう」


 初めて見たシズルの雷魔術に、ルキナは目を奪われるように見ていた。


「神様に出会ったのは夢だったのかもしれない。もしかしたら、自分の勘違いだったのかもしれない……」


 シズルは独白するように、ただ淡々と言葉を紡いでいく。


「だけどやっぱり、あれは現実だった。そして、時々思うんだ。俺みたいなイレギュラーな存在がこの世界にいてもいいのかなって」


 この世界に転生してから八年間。シズルは自分が与えられた【雷神の加護】が自分の想像以上に逸脱した力なのだと気付いていた。


 何せ鍛え上げられた騎士でさえ、本気になったシズルと戦えるのは極一部。もちろん彼らだって毎日心身を鍛え、選ばれたエリート達だ。だが、自分の力はそんな彼らの努力をあざ笑うかのごとく抜き去っていくのである。


 チート能力を貰って異世界転生。それは確かに望んだことだし、嬉しいことだ。


 しかし、ふと思う時がある。自分はただただズルをしているのではないか?


 強くなったと喜びつつも、ただ雷神様から貰ったチートで周囲をあざ笑っているんじゃないのか?


 そんな風に思う時があるのだ。


 生まれた時から雷神に加護を与えられ、抜きんでた特殊な才能を持ち、さらに大人だった経験もあるのだから普通よりも出来て当然。


 そして当然だからこそ、それがプレッシャーに感じることがある。

 

 もし自分が努力を怠り、自分よりも才能のない人間に負けるようなことがあれば、周囲の目はどう変わるか。


「才能っていうのは、時に残酷なものだって知っていたはずなのにね」

「……」


 最初はただ漠然と最強を目指していただけで良かった。


 オタク気質なシズルにとって、このファンタジー世界は夢のようなものだ。魔術があって、剣があって、才能を貰って転生させてもらい、しかも家族関係にも恵まれた。


 これ以上ないくらい幸せな環境で生まれ変わったのだ。


 そして、この環境であれば最強の魔術師を目指すのは当然の事だと思っていたくらいで、気持ちも楽だった。


 しかし現実を見れば、誰も彼も生きるのに必死で、努力をしている。そんな当たり前のことすら、この世界に転生したばかりのシズルは気付かず、己のことばかりを考えていたのだ。


 そして本気を出せば普通の騎士に負けなくなり、負けた騎士の表情からようやく自身の異常性に気付く。


 彼らはみんな、自分に負けたことを信じられないといった表情をしていた。


 当然だろう。これまで死ぬ気で鍛錬してきたのに、八歳の子供に負けたのだ。普通に考えれば異常である。


「俺はさ、自分は彼らの努力を土足で踏みにじっているんじゃないか? って思うんだ」 

「どうしてそう思うのですか? 例え騎士様が負けたとしても、それは別にシズル様のせいではないじゃないですか」

「うん、そうだね。だけどほら、なんていうのかな? 別に悪いことをしているわけじゃないのは理解してるけど、妙に申し訳ない気持ちになる時ってあるよね。あんな感じ」


 その言葉にルキナは俯く。彼女もまた、己が悪いわけでもないのに様々な悪感情をぶつけられてきたのだ。


「ま、そんな風に柄にもなく悩んでたときにさ、ここに来たんだ。で、ふと外の景色を見てみたの」


 そう言いながら、視線を半分近く沈んでいる夕陽へと向ける。


「世界って大きいよなぁ。きっとこの先には自分なんかじゃ手も足も出ないような、凄い人もいるんだろうなぁ、って思ったら、自分の悩みなんてすっごい小さなことに思えたんだ」


 城壁の上からでは、小さな村々が少し見えるくらいだ。地平線の先には大地が広がっているだけで、世界の全てを知ろうと思っても何も見えない。


「だってさ、俺のこの考えって凄く傲慢だよね! 大海を知らないくせに、狭い世界で粋がってるただのガキの発想だ!」


 シズルは手の中で軽く雷の渦巻きを作る。小さなものだが、回転数が増えるたびにその力は強大になり、オーガ程度であれば粉々に粉砕するだけの威力を秘めていた。


「そんなこと考えてる暇があるんだったら、もっと強くならないと! だって俺は、この【雷魔術】で世界最強の魔術師になるんだから!」

「世界最強の魔術師……」

「そう、俺の夢」


 シズルは雷の渦を握りつぶす。キラキラと光の粉が空を舞い、風に流されていった。


「なれますよ……」

「うん?」

「なれます! シズル様なら絶対、世界最強の魔術師になれます!」


 小さな声だったので聞き返すと、ルキナはこれまでにないくらい大きな声を出しながらシズルの両手を握る。


「だってシズル様の手は、こんなにも暖かい……こんな、こんな私にも優しくしてくれる……すごい、人なんです、う、う……」

「ちょ、な、なんで泣くの!?」 

「だって、だってシズル様はこんなにも凄いのに、なんで、なんで私はこんな……」


 突然泣き崩れるルキナにシズルは焦る。元々は彼女を励まそうと思ってこの場に連れてきたのに、これでは意味がない。


「あーえーあー、えっと……よしよし?」

「えっ! あ、ああうっ……し、シズルさま?」


 頭の中でどうすれば泣き止むのかわからず、困惑する。


 とりあえず赤ん坊の時に母にしてもらったように、彼女を抱きしめて頭を撫でてみた。腕の中でルキナが驚いているのがわかるが、今更止められないと思いそのまま撫で続ける。


「よしよし……よしよし……」

「は、はずかしいです……」

「大丈夫、俺も恥ずかしいから」

「何が大丈夫なんですかそれぇ……あうぅ」


 そう言いながらもルキナはあまり抵抗しない。それどころか徐々に力が抜けていき、その身をゆだねてくれる。暖かい体温を感じながら柔らかい髪の毛を何度も梳くのは、気持ちのいいものだ。


「ルキナは頑張ってるよ。こんなに小さい身体で、色々な思惑の中で自分に出来ることを必死にやってるんだもん」

「……本当に? 私は、私は頑張れてますか?」

「もちろん、誰が認めなくても、俺は認めるよ。ルキナは頑張ってる。だから、そんなに自分を下に見なくてもいい。君は立派な、公爵家が誇るべき令嬢なんだから」

「あ、私は……私は、あ、う。うう! ぅ、ぅぅぅぅぅぅっ!」


 そう言った瞬間、彼女の腕に力が入り、思わず後ろに仰け反って倒れてしまう。背中から硬い石床に倒れこんだため少し衝撃があったが、ルキナを守ることは出来たらしくほっとする。


 そして――しばらく泣き崩れるルキナを、シズルはずっと抱きしめ続けていた。

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