第12話 ルキナとデート
フォルブレイズ侯爵領は大陸地図で見ると王国西部に存在していた。ここよりさらに西部へ進むと魔国領へと繋がっていき、フォルブレイズ家は国境を守る守護貴族の一角だ。
今でこそ魔国とは停戦条約が結ばれているため平和であるが、昔は主戦場としてその大地に血を染み込ませていた土地でもある。
そしてその防衛の要とも言えるのが城塞都市ガリア。現在シズル達が住む都市の名である。
「あの……シズル様。その、へ、変じゃないですか?」
「うんうん、いい感じに市民感が出ていいね。これなら俺達が貴族って思われることもないしバッチリだ!」
追手を振り切り街へたどり着いたシズルは、馴染みの店で二人分の服を借りるとお互い着替えを見せあった。
シズルは一般的な少年が着るようなシャツに、ハーフパンツを履いた軽装。
さらに静電気を利用して、普段は下ろしている髪型を逆立たせて変装する。これで遠目からはシズルだとはわからないだろう。
そしてルキナは白いドレスから一転して、今街で流行りの赤いシャツに裾広がりの黒いスカート、その上から黒のカーディガンを羽織っている。
本来なら黒髪自体が珍しく隠すべきなのだが、それだとせっかく街を散策するのに、逃げ隠れしている方が優先されて楽しさが半減してしまう。
なのでツインテールにしている髪型を少しいじり、ポニーテールにしてみた。
美少女は何を着ても似合うものだ。少し裕福な子息程度の身なりであるが、貴族らしさはない格好でシズルは満足していた。
「それじゃあ、行こうか」
店主にこれまで着ていた服を預けると、シズル達はそのまま街を歩き始める。
子供二人で散歩をしている姿は多少目を引くが、それは微笑ましいものを見る視線なので問題ない。ただ、ルキナはこんな風に街を歩いたことがないらしく、少し不安げな様子を見せた。
「本当に屋敷を飛び出してよろしかったのでしょうか……」
「ルキナは心配性だね。大丈夫大丈夫、いつもの事だから」
「いつもの……? シズル様はいつもこんな風に街を視察しているのですか?」
「そんな大層な事じゃないよ」
シズルからすればただの散策であるのだが、どうやら貴族として教育を受けてきた彼女から見れば視察に当たるらしい。不安げながらもキョロキョロと物珍しそうに街を見渡すルキナの言葉につい苦笑してしまう。
前世では一庶民であったシズルにとって、貴族生活というのはある意味肩の凝るものだった。いくら貴族として特権を得ているとはいえ、それはそれ、これはこれというやつである。
それゆえにリフレッシュとして街に出たかったのだが、大切な貴族の子息が一人で街に行くことなど許されるはずもない。
常に護衛の騎士を付けた状態で馬車移動。店に入ればそこの客を全員追い出して厳戒態勢。
これではせっかく街を見ていても楽しくない。それゆえ、シズルは時折こうして屋敷を抜け出しては街の服屋で変装し、一人で自由に散策していた。
「さあ、ここがメインストリートだ」
「す、すごいです。人がたくさん!」
王国有数の人口規模を誇る城塞都市ガリアの日常は、活気に満ちており、たくさんの人で賑わっている。
メインストリートの両脇にはたくさんのお店が並び、買い物をしている母親や昼間から酒を嗜む老人など、様々な人が笑顔を見せていた。
ルキナの住むローレライ領も負けず劣らずの活気がある筈だが、彼女の年齢や立場を考えるとほとんど街に触れたことがないのだろう。彼女は右を見ては驚き、左を見ては驚き、忙しない様子を見せる。
「……みんな、笑ってますね」
「そうだね。今は戦争もなくなって、平和だからね」
「あ……」
ルキナの視線を辿ると、自分達と同年代の子供たちが笑顔で母親に手を引かれている姿があった。
「いいなぁ」
ぽつりと零した彼女の呟きを聞いて、シズルは彼女の経歴を少し思い出す。ルキナの母親は生まれつき身体が弱く、ローレライ公爵と結婚をする際も子供を産める身体ではなかったらしい。
それでも彼女の強い希望により子を宿したのだが、やはり出産の負担には耐えられず、ルキナを産んですぐ命を落としてしまった。
つまりルキナは、己の母親と出会うことなく、実の母の温もりも知らないまま育ってきたそうだ。
妾の子であり、しかも加護なくして生まれた女児。公爵家はルキナの取り扱いを非常に悩んだ。
公爵家としては醜聞が広まる前にルキナを殺してしまい、何もなかったことにしたい。それが重鎮達の総意であった。
何せこの世界はDNA検査などなく、本当に彼女が公爵家の子だと証明する手段がないのだ。
公爵家の権力があれば適当な噂を流すことはもちろん、なかったことにすることだって可能なのだから、そうするのが公爵家にとって一番良かったはずだ。
しかし、ルキナの母を愛していたローレライ公爵によってその案は破棄され、ルキナは正式にローレライ家の女児として生まれることが出来た。彼女は妾の子でありながら、父より心からの愛を受けて育ったのである。
それと同時に、周囲からは嫉妬を受けながら。
「似た境遇のはずなんだけどなぁ」
シズルもまた、妾の子である。そしてこれまで誰も受けることの出来なかった【雷精霊の加護】を受けたイレギュラーな存在。
場合によっては監獄で捉えられて実験動物にされるか、洗脳などで国のために尽くさせる未来さえあり得たのだ。
それが偶然、家庭環境にも恵まれて生まれたため、今もこうして幸せな生活を送れている。
これは決して自分に前世の記憶があって上手くやったからではない。自分の周りの人間が人として尊敬出来る人ばかりだったから生まれた幸せだ。
自分は運が良かった。そしてルキナは、偶然にも運が悪かった。
きっと、自分と彼女の違いはただそれだけの事だったのだろう。その結果、シズルに対してあんな身を削るような宣言をするような少女になってしまったのだ。
まだ八歳。これからたくさんのことを知っていく年齢だというのに、彼女は己の世界を完結させようとしていた。それが凄く悲しいことだと、理解しないまま。
だからせめて、自分といるときくらいは楽しい思いをして欲しい。親に決められた婚約者とはいえ、彼女は一生を添い遂げる予定の相手なのだから。
「じー……」
ルキナを見ると、彼女はすでに親子から視線を外していた。今は興味深そうに焼き鳥を焼いている屋台を見ている。きっとあれが何をしているのかわからないのだろう。
「ルキナ、行くよ」
「え? あ、はい!」
シズルは再び手を握り、そのまま屋台へと向かう。額にねじり鉢巻きをした強面のオッサンが、汗を流しながら上手に火を扱っている。
「おじさん、焼き鳥二本ちょうだい」
「お、なんだ坊主! 可愛い子を連れてデートかい?」
「なっ、無礼ですよ! この方を誰だと思って――」
「はいストップ」
「んぐ」
顔を真っ赤に染めたルキナが早速正体をバラそうとしているので、その口を押えて言葉を遮る。
そして店主に聞こえないよう耳元で「今はお忍びで遊びに来ているからね」と伝えると、彼女は慌てた様子で何度も頷いた。
「おうおう、イチャイチャしちゃって仲いいねぇ。俺も昔は母ちゃんとそんな風にしたもんだぜ!」
「うらやましい?」
「おうさ、うらやましいね! 時間は戻らないもんだ! 今を精一杯楽しまないとな! ほらよ、焼き鳥二本、銅貨二枚だ」
「はい」
シズルは腰につけた巾着袋から銅貨を取り出し、焼き鳥の代金を支払う。銅貨一枚がシズルの感覚的に百円程度のイメージなので、良心的な価格だ。
ちなみにこれまで街を散策した感じ、おおよそ銀貨が一枚千円、金貨が一万円といったところだろう。一応それ以上の貨幣も存在するが、こうした街の生活で見ることはなかった。
「よいしょっと。はいルキナ、一本上げるね」
「えっと……」
近くのベンチに腰を下ろすと、一本をルキナに手渡し、自分はそのまま焼き鳥にかぶりつく。
程よく効いたタレが舌を絡ませ、肉汁と合わさってとても美味しい。この世界に転生してから貴族の食事はどうにも薄味で、シズルの好みでないのだ。
その点、こうした街のご飯は大味で、ジャンクフードに近しいものがある。もちろんフォルブレイズ家で食べる料理の方が手間もコストもかかっているのだろうが、シズルとしてはこういった街のご飯の方が好きだった。
「んんー、美味し」
「……」
「ん? どうしたの? もしかして焼き鳥苦手だった?」
「あ、いえ……その、こういった物を食べるのが初めてで……ナイフとフォークがないのですけど、そうやって食べてもいいものなのですか?」
「おおう、なるほどね。焼き鳥にナイフとフォークは盲点だった」
どうやらローレライ家のマナー教育には、かぶりつくという概念そのものがないようだ。そう言えばフォルブレイズ家の教育にもなかったと思いだす。
ルキナは完璧な令嬢となるべくこれまでマナーなども頑張ってきたのだろう。だからこそ、そんなマナー違反な事に抵抗があるのかもしれない。
とはいえ、こんなもの食べられません! といったように頭から拒否反応を起こすのではなく、戸惑っている感じなだけに見える。
「これはね、こうやってこのまま串を手に持って、一気に食べるのがマナーなんだ」
「は、はしたなくありませんか?」
「そんなことないよ? ほら、あの人も、あの人も、男女関係なくみんなこうやって食べてるでしょ?」
「……あ、本当ですね」
視線の先には美味しそうに焼き鳥を頬張るカップルや、巨大な剣を背負った冒険者。それに親子連れの家族達。彼らはみんな、焼き鳥を手に持って楽しそうに談笑していた。
「マナー……これはマナー」
ルキナはそう呟きながらじっと焼き鳥を見る。そして意を決したように、ハムっと小さな口をいっぱいに広げて焼き鳥にかじりついた。そして何度か口の中でしっかり噛むと、突然目を輝かせる。
「んんー! 美味しいです!」
ぱく、もぐもぐ、ぱく、もぐもぐ、と一定のリズムを繰り返して丁寧に食べるルキナは小動物のようで可愛らしい。
最初は随分と完璧な令嬢だと思ったルキナだが、ようやく子供らしい姿が見られた。そのことにシズルは満足しながら、自分の分の焼き鳥を豪快にかぶりつく。
「しかし、焼き鳥一つでも育ちの良さって出るもんだな」
思わず苦笑しながら、焼き鳥を食べ終わって余韻に浸っているルキナに次は何を教えようかと、少し楽しくなってきたシズルであった。
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