脅迫

「ジョン、これだけ言ってもだめだろうか。ニューヨークの住民はみな、君の力と勇気を頼りにしているのだ」


「無理だと先刻も申し上げたはずです。ましてや・・・」


「ましてや、なんだね?」


「ましてや、相手はあのキングストン軍です。このニューヨークが軍事的に戦って勝てる相手だとは思えません。外交的に最大級の努力を行うこと以外、方策はないでしょう」


「我々は、すでにそのような時期は過ぎたと判断しているのだよ、ジョン」


「“我々は”、ですか・・・」


 フェラーリ氏は、何時間にもわたり、粘り強くジョン・ボタニカルシャンプーの説得を続けた。フェラーリ氏がこれほどまでに1人の青年の説得に固執するのには、現在のニューヨークをめぐる状況の変化が関係している。


 ニューヨークは、かつて大西洋と呼ばれた外洋に面した集住地である。この集住地は、外洋進出が容易なため漁業生産性が高く、他の集住地と比較して高い繁栄を得ていた。また、経済都市であった旧ニューヨークで使用されていた貴金属類が泥流によって流れ着くため、ポット原材料の入手も容易であった。


 もちろん、これらの利益は、津波が来れば集住地に甚大な被害が出るリスクと引き換えに得られるものであり、事実、ニューヨーク集住地は、AE28年に至るまでの間に津波によって3回の壊滅的被害を被り、その度にゼロからの復興を遂げていた。


 だが、その地政学的リスクを直視せず、一方的にニューヨーク集住地を妬む勢力が存在した。ニューヨークから見て北方に位置する、キングストン集住地が、それである。


 ニューヨーク集住地の眼前を流れるハドソン川―――現在はただの泥流だが、を北に登ると現れるキングストン集住地の人口は、ニューヨーク集住地の約3倍。僅かではあるが周囲に森林が残っており、野生動物を狩猟できることが、その人口の維持を可能とした。

 しかし、全住民に必要なタンパク質を自給自足で完全にまかなうことはできない。そのため、キングストン集住地の住民は、ニューヨーク集住地より定期的に魚介類の輸入を行っていた。


 これまで両地の関係は良好であった。

 しかし、キングストン集住地が、人口増加に伴い魚介類の輸入量を増やさざるを得なくなったことと、ここ数年津波が発生せず、ニューヨーク集住地の経済活動が急拡大しているという二つの環境の変化が、両地の関係にヒビを入れた。


「貴市の欲望は留まるところを知らないと見える。たかが魚介類にこれほどの対価を要求するとはな。経済活動を主とすると、他市に対する思いやりを忘れ、卑しい性根になるようだな」


「いやはや、そのようなことは決して。我々としてもリスクなしでこの輸出物を得ている訳ではないのですから」


 キングストン集住地は、ニューヨーク集住地が、魚介類の対価として過大な量の肉を要求しているとして、その強欲を口汚く罵った。

 反対にニューヨーク集住地は、要求する肉の量は適切であり、リスクを取って外洋との結節点に集住する自分たちに対する正当な報酬だと主張し、議論は平行線を辿った。

 もちろん、議論が平行線を辿るとは言っても、軍事力に勝るキングストン集住地の要求に対して、ニューヨーク集住地が妥協するケースが目立ってはいたが。


 そのような中、密漁をたくらみ外洋に出ようとしたキングストン集住地の船が転覆し、乗っていた住民が死亡する事故が発生した。

 普段であれば何ごともなく忘れ去られるような事故であったが、しかし、発生地点がニューヨーク集住地の目と鼻の先であったことが、事態を複雑にした。


「貴市はいよいよ、その性根を表したな。経済活動を優先するあまり、わずかな食糧を求めた哀れな市民を殺害するとは。ハドソン川の下流を押さえることで、我が市の生殺与奪の権を握ったつもりか」


 キングストン集住地は、事故はニューヨーク集住地による人為的なものであると断定し、改めて輸入対価の減免と遺族への補償を求めた。そして、これを拒否したニューヨーク集住地を武力でもって膺懲ようちょうせんと、軍を編成し、大挙南下を開始した。


 この報がニューヨーク集住地に届いたのがつい数時間前である。早ければ5日後には、その侵攻軍の暴力がニューヨーク集住地まで及ぶことだろう。


「これを防ぐため、君にニューヨーク集住地の守備隊長を担ってもらいたいのだ。防衛に成功すれば、ボタニカルシャンプー家はニューヨーク中の尊敬をほしいままだ」


 フェラーリ氏は、ジョンの手を取り、なおも説得を続けた。


「そして失敗すれば、私は住民からの憎悪と嫌悪を一身に受け、さらにはキングストン集住地から抵抗者として追われる身になるという訳ですか」


 だが、ジョンの答えはにべもない。

 青年は知っていた。この防衛戦が戦力比的に極めて困難であることを。そして、このフェラーリ氏をはじめとするニューヨーク集住地の名士は、すでにキングストン集住地に降伏すべく裏で交渉を開始していることを。

 ジョンを筆頭として守備隊を結成するのは、住民の不満を和らげるため、一応の抵抗の証を見せるためだろう。もちろん、敗れることを計算に入れた上でだ。


「申し訳ありませんが、いくら乞われましても無理なものは無理です。このニューヨーク集住地が別の集住地の支配下に入ることは残念ですが、それに対する住民の不満と憎悪は、貴方たち名士層が受け止めるべきでしょう」


 そう言って、ジョンはフェラーリ氏に背を向けた。


「君のご両親がどうなってもかね?」


 だが、説得が無駄だと悟ったフェラーリ氏が、ジョンに対して鋭い無形の刃を向けたのは、まさにその時であった。

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