虹を見にいこう 第6話『ピザ・ボンジュール』

なか

Chap.6-1

「ハァ、人生とはいったい何だろうね……」

 リビングのビーズクッションに身体を埋もらせたユウキが深いため息をついた。スマホ片手に無表情で画面をフリックし続けている。無印のビーズクッションはいつもならチャビがトドのようにして寝そべっている指定席だけど、今晩、チャビはまだ帰って来ていない。

「突然、どーしたんだよ?」

 僕は買ってきたばかりのスニーカーに通す靴紐の手を止め、顔を上げた。

「人生のはかなさを痛感してんの。虚しさっていうかさあ。人は何のために生きているんだろう」

 ユウキが無表情のまま、そんなことを言う。

 仕事から帰って来たばかりのリリコさんがちょうど和室から出て来て、そんなユウキに向かって肩をすくめた。スーツを脱いだリリコさんは、ラフなジャージ姿に着替えていた。アディダスの赤いラインの入ったジャージだ。

「人の夢と書いて、はかない。人生とはそういうものよ」

「さすがリリコさん、編集者っぽいこと言いますねえ」

 僕は感心して『儚』という漢字を指で手の平に書いてみた。雑誌編集を仕事にしているリリコさんは、たまにポエムなことを言う。

「えー、でも夢が『はかない』なんて寂しいなあ。それじゃぼくらの未来には、希望も何もないみたいじゃん」

 ぼくまだ二十代なのにさあ、とユウキがブーブー文句を言った。

「バカねえ。はかないから大事にしないといけないのよ。夢は」

 通りすがりのリリコさんはそれだけ言って、スタスタとキッチンに行ってしまった。ユウキはポカンとした顔をしている。

 僕は靴紐の通し終わったスニーカーの踵を揃えて持ち上げると、その出来映えに満足して肯いた。左右のバランスも良く、蝶々結びも決まっている。人生とはこういう小さな喜びや達成感をひとつひとつかみ締めていくものじゃないかなあとも思う。人生観なんて人それぞれ。生きていく中でも変わっていくものなのだろう。

「てか、さっきからユウキ、何を見てんだよ?」

 ユウキに人生の無常を感じさせているものの正体が気になり、後ろから近づいてスマホの画面を覗いてみた。

 めまぐるしく切り替わっていく大量の男の画像。鏡ごしの自撮り画像や、大自然の中で爽やかな笑顔を見せる青年たちの画像、競泳パンツ、ビキニ姿の色グロな身体、ピースサインのメガネ姿、お祭りのハッピ姿もある。年齢もまちまちで見た目のジャンルも様々な男たちが恐ろしいスピードで次々と画面上で切り替わっていた。

「な、何やってんだユウキ?」

「出会いアプリに課金したの。マッチングもさあ、回数制限があるからひとりひとりちゃんと見る気になるんだねえ。制限がなくなると、ひとりひとりの価値が下がっちゃうっていうかさー」

 虚ろな瞳のままユウキが画面を高速フリックしていく。

 マッチングとは出会いアプリの機能のひとつ。プロフィールに設定された情報から、その人にとって興味のありそうな他の登録者をランダムに表示してくれる。表示された人に「興味がある」か「無い」か。興味があれば右へフリック、無ければ左へフリックする。当然、相手も同じ機能を使っている。お互い「興味ある」となったらマッチング成立。イケると思っていることが自動メッセージで両者に伝わる仕組みになっているのだ。後は、本人たち同士で実際にメールをしたり、気が合えばデートの約束をすればいい。お見合いで言うなら「後は若い二人にまかせて、年寄りは退散しましょう」という出会いアプリの粋な計らいというわけだ。

 この機能には回数制限があって、一日十人までしか画面に出てこない。しかし一ヶ月数百円の課金をするとその制限がなくなるのだった。高いと思うか、安いと思うか。人によりけりだろうが。

『興味ない』の高速フリックにより、次々とユウキのスマホ画面から離脱していく人たちを見て「もったいないなあ」と思ってしまう。よく見ればイケメンもいるかもしれないじゃないか。もしかしたら友達候補だっているかもしれない。そういうところが貧乏くさいと、またリリコさんから言われそうだが、課金をする気になれない僕にとって、一日十人のマッチングは密かな楽しみなのだ。おそらく自分のキメ顔で撮った最高の一枚がこんな〇.〇一秒の間にほとんど認識もされずにスルーされていると知ったら、彼らもさぞ残念に思うことだろう。自分のプロフィールもそんな風に誰かの目の前を一瞬で通り過ぎているのだろうか。

「リアルで男から適当にあしらわれた腹いせをアプリでやってるんだ?」

 キッチンから缶チューハイを手に戻ってきたリリコさんが、テレビのチャンネルを適当に替えながら言う。

「だって!」

 とユウキが目を潤ませた。

「急にキャンセルだよ。今晩会う約束してたのに……今日は朝から頑張って、定時で仕事が終わるようにしたんだ。全部パアだよ」

 ユウキが声を上げる。リリコさんはユウキの行動パターンをよくもまあ正確に言い当てるものだ。

「仕事帰りのリーマンと食事して、あわよくばセックスでもするつもりだったんでしょ? よくある話じゃないドタキャンなんて」

「まあ、その人も今日は仕事が終わらなかったのかもしれないだろ?」

 そう言ってユウキを慰める。

「違うもん。相手は今日休みだって言ってたし。きっと先に別の人といい感じになっちゃったんだ!」

「それが本当だとしたらユウキは押さえだったてわけよね」

 ユウキは出刃包丁で胸をさされたような顔をした。

「ちょっとリリコさん、もう少し容赦と情けを」

 慌てて口を挟んだ僕を遮るようにして、リリコさんは、

「逆に良かったじゃない。押さえをつくるような男、一回セックスできたからって何の実りもないわよ。まあセックスの予定がキャンセルされた残念な気持ちはわかるけど。ムラムラしちゃうわよねえ」

 と慰めているのか何なのか、よくわからないことを言った。

「別にエッチなことなんてする気なかったんだもん。その人もさ、恋愛に悩んでいたみたいで。食事でもしながら一緒にそういう話ができたらいいなあって」

「は? 出会いアプリの中に、恋に悩んでるヤツなんているの?」

 リリコさんがソファにふんぞり返った姿勢のまま鼻で笑った。

「ああ、アプリで知り合ったんじゃないんだよ。SNSで前からつながっていたんだけど、アイコン画像がずっとタワシだったんだよね、その人。だからずっと絡む機会はなかったの」

「なんでタワシ?」

 僕の問いにユウキも首を傾けた。

「さあ、ネタじゃない? 面白いこといっぱい発言してる人だったから。でも、最近失恋をしたような感じだったんだよねえ。発言にもキレがなくなってたし」

 リリコさんが急に立ち上がった。

「あ、わかった。ユウキがなんでその人と会う気になったか、当ててあげようか? タワシアイコンが、本人の画像に変わったんだわ」

「え! なんでわかったの?」

 ユウキが目を見開く。

「いい? それはよくある現象なのよ。今までSNSで顔を隠していたイケメンが、急に顔を晒すのは、アンタやSNS上の不特定多数のために見せているワケじゃないの。ある特定の人に見せたくて、顔を出しているのよ。その人に私を見てください、好きになってくださいって、血迷ってるってワケ。特に恋系のポエムを連投してるときには、まず間違いないわ~。よく勘違いしちゃうのよねえ、それ」

 リリコさんの言葉にユウキが「あうあう」と口をパクパクさせた金魚のようにして言葉を無くしている。

「それじゃ、今日のドタキャンも……その人、はじめからユウキに会う気がなかったのかもしれないよ。そんなに好きな相手がいるならさ」

「まあ、その可能性もあるわねえ。チヤホヤしてくれるユウキを寂しさからついつい構っちゃったのね。気まぐれな乙女心と思えばカワイイもんじゃない。そのかわいさに免じて、よくあるこの現象に名前をつけましょうよ。そうね、『タワシがイケメン化現象』なんてのはどうかしら?」

 あまりにもそのままだし、本気で名称をつける気なんてないのだろう。そもそも『タワシがイケメン化現象』もよくある普遍的な事柄なのかどうかもわからない。

 腰に手を当てリリコさんは、缶チューハイをそのまま一気に飲み干した。

「じゃあ、あたしはひとっぷろ浴びてくるから」

 無責任にそう言い残すと、さっさと廊下へ姿を消してしまう。

 リリコさんはときどきこうして、帰ってきてすぐ缶チューハイを煽るようにして飲むことがある。酔っ払って風呂に入ると身体によくないとタカさんに注意をされるのだが、そんな日は仕事が上手くいかなかったのだと最近になってようやくわかった。今日のユウキは機嫌の悪いリリコさんの被害者というわけだ。

 と、リリコさんが戸口から上半身だけのけぞるようにしてリビングへ顔を戻した。

「ねえ、今日の晩御飯、ピザにしない? タカまだ寝てるみたいだし」

 いつも晩御飯をつくってくれるタカさんは自分の部屋からまだ出てこない。タカさんはこのところ、毎日帰ってくるのが昼を過ぎているようだ。この週末にお店の九周年のパーティーがあるので、深夜、閉店した後もいろいろ準備をしている。今晩、タカさんのお店は定休だし、確かに今日くらいはゆっくり寝ててもらった方がいい。

「ああ、いいね! たまには宅配のピザも」

 廃人と化していたユウキがようやく息を吹き返して、嬉しそうに両手を合わせた。

「うん、そうしようか」

 僕も肯いた。

「じゃあ、適当に頼んだわ。ピザならあたしなんでもいいから」

 リリコさんはそう言い残し、今度こそ本当にシャワーを浴びに行ってしまった。


Chap.6-2へ続く

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