パパの話5

 誰の声だろう?後ろからだ。振り向きたいが、番人二人に羽交い絞めにされている僕は身動きが取れない。だが、目の前にいるクソ野郎エルガが掴んでいた右手を

離した事で”この場の空気が変わった”のは直感できた。

「その者を離しなさい、支配官」声が再び響く。番兵は僕を開放し、

エルガはなんと跪いた!


僕は恐る恐る振り向く。そこにいたのは、


 折り紙のような服を着た二人の女性。服装から漂う品格というか威厳というか、何か高貴な立場の人であるのは間違いないようだ。一人は50代くらいの初老の女性、そしてもう一人は・・・


 折り紙のような礼服に身を包み、その新緑色の髪の毛はきれいに結い上げられている。紺碧色の瞳は伏せられ、頬紅に口紅、うっすらと化粧に覆われてい

るが、間違いない。彼女だ。リピアだった。”すっぴん”の時とは全然違う

気高い美しさを漂わせている。一瞬、僕は自分の境遇と痛みも忘れ、彼女に見とれてしまった。


 「これはこれは、御使い様と巫女様、何ゆえこのような場所に足をお運びで?」

頭を垂れつつうやうやしく問うた長老王ドエイに、”御使い様”と呼ばれた女性は、

「神樹イグドラシルも軽んじられるようになったものですね。

私はこのような裁判が行われるなど聞いておりません。」

「軽んじるなど滅相もございません。ただこの程度の軽微な事件、御使い様の御心を煩わせるには及ばぬとの判断に至ったからでございます」

エルガが跪いたまま言う。


「ならばなぜ極刑なのです?軽微な罪ならば軽微な罰が相応のはず」

「恐れながら申し上げます。この者はファンタジアンのいずれの種族にも属さぬ異界の者、ディモンに相違ございません。罪は軽くとも存在はイグドラシルひいてはファンタジアンに災いをもたらしかねません」長老王。

「それは、拷問の結果引き出した偽りの告白だと、巫女から聞きました。そんなものに信ぴょう性はあるのですか?。」御使い様の言葉に

老人たちが口々に抗議する。「ですが御使い様」「しかし我々の結論は」「長老会議の決定ですぞ」その雑音をすべて無視して、


「審理を差し戻します」


御使い様は、有無を言わせぬ口調で静かに言った。

「ですが」長老王ドエイが口を開いたところへ

「同じ事を二度言わせるつもりか!それを”煩わしい”というのです!」

びしりと言い放ち、場は沈黙に包まれた。

長老たちとドエイが「僭越が過ぎました。お許しを」平伏したまま言うと、

御使い様は、始めて僕に目を向けた。

一見優しそうなおばさんなのに、威圧感がすごい。

「その者、申し開きをなさい。私は御使い。そなたの言葉は私の耳を通して

神樹イグドラシルへ届くでしょう。しかるべき処遇はイグドラシルより私の口を通して降されます」


・・・ここは大事だぞ。さっきの長老たちの態度から見て、この人はかなり偉い感じだ。うまく切り抜けられれば・・・

・・・だめだ、うまい言いわけが出てこない。・・・いいや、正直に話そう。

それが一番だ。たぶん。僕は口を開いた。


「まず僕は、”日本”という、こことは違う世界から飛ばされてきました。

なぜそうなったかは自分でもわからないので説明できません。次に

あなた方の言う”ディモン”ですが、それが何なのか僕にはわからないので、

自分がディモンであるかないかも証明できません。最後に

リピアさんの行水の場に踏み込んだのは事実ですが、」

傍らのリピアをチラ見すると、気まずそうにもじもじしている。

そりゃそうだ。”自分の裸を覗かれた事件”が証言で何度も蒸し返されているのだから。(ごめんよ、恥ずかしい思いをさせて)

「でも暗殺など企てていません。僕は倒れる寸前で、彼女の事も知らなかった、そんな事できるわけがありません」


御使い様はかすかにほほ笑んだ「”できません”尽くしというわけですか」

僕は答えた「は、はい。それが全てです」


 御使い様は目を閉じた。何かぶつぶつとつぶやいているがよく聞こえない。

やがてつぶやきは消え、御使い様はゆっくりと目を開けた。

「イグドラシルの意思を伝えます。その者に”最下層での苦役の任”を与えなさい」


その時僕は見た。御使い様の傍らに控えるリピアが、明らかに動揺するのを。

”話が違う”という表情でなんども御使い様を見上げているが、彼女は無視している。


「ではこれにて解散します。長老王」「は」「話があります。後ほど私の部屋へ」「御意」御使い様はリピアを連れて大広間から出て行った。”クエキノニン”とやらがどんなものかはわからないが。どうにか死刑は免れたようだ。

無茶な裁判はこうして終わり、僕はそのまま木の牢屋へ戻された。




 生木で埋め尽くされた壁をぼんやり見ている。命拾いしたという安堵感と、

受け入れなくてはならない事実を噛み締めながら。


・・・夢にしては長すぎる。これは現実だ。


他県でも、海外でも、いや地球ですらない”異世界”に僕は一人放り出されたのだ。


 町田のアパートを出たのはいつの日だったか。最初は実験が終わったら

周辺を観光して、ついでに富士登山もしちゃおうかなんて友達と話してた。

大学四年の卒論にどうしても必要なデータだったんだ。

それがこんなことになるなんて。


データが取れたら水戸に帰省するはずだった。めんどくさい家事はお袋に頼んで

卒論の為にひたすらパソコンとにらめっこする予定だったんだ。

それがこんなことになるなんて。


ふいに頭の中に実家の両親の顔が浮かんだ。子供の頃の自分の部屋、

買ってもらった自転車。お袋のそうめん・・・

なんだ?目の前の壁が歪んでいるぞ?


自分の目から涙があふれている事に気づいたら、心が決壊した。


何年ぶりだ?泣いたの?小学3年生以来か?「うぅっ・・・ひく・・・すっ」

見知らぬ世界の、樹の牢獄の中で、涙と嗚咽が止まらない。

構うもんかどうせ誰も見てやしないし、えぐえぐと泣き続けたその時!


「・・・あの」???木の壁の向こうから声が!

「!いっ・・っピア・・・ひゃん?」

うまくしゃべれない。胸の奥からこみあげてくるものが止まらない。



「すみません。”ニンゲン”さん」

壁の向こうから、エルフは話しかけてきた。


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