40.徊楽(100)

 まだ、腕の中にいる彼女が本物だと思えない。どうやら末の弟子が連れてきたようだった。

 ……あの子たちは一体いつの間にあれ程成長していたのか。私はずっとこの小屋に閉じこもり続けてきたのに。あの手紙で、やはり何かが変えられたんだろうか。


 ……こんなに穏やかな気分なのは何十年ぶりだろうと考える。長い間、空虚さを抱えて生きていた。身体の不調も見ないふりをしていた。

 だけれど一滴の温もりが、何もかもを覆した。


 彼女が私の首筋に、指先から散らす火花で小さく跡を付ける。微かな痛みと同時に、昔の私にかけられた言葉を思い出した。

 私が終わらせてあげる。そう囁いた彼女の瞳は、思えば酷く真剣だった。



 まだこの職に就いていなかった頃、私はある術式を発動させた。習ったばかりの未熟な術で、世界を書き換えようとした。

 ――彼女には言わなかったけれど、あの術は彼女のためだった。寿命を代償に、彼女の生きられる場所を生み出そうとした。


 結局私は失敗し、部屋を滅茶苦茶にして多少の怪我を負った。物音に気付いた彼女が駆け込んできて、血を流す私を抱き起こした。

 どのような術を使ったのか悟った彼女は、私の様子を見て何も言わなかった。


 ――それから暫くして、彼女も近縁の術を使い、姿を消した。動揺した私はあらゆる伝手を使って組織に所属し、研究室と器材を手に入れた。

 そうして、一度は彼女を連れ戻しかけ、またしても失敗した。自分の無能さが腹立たしかった。弟子を持つようになってからも、どこかで劣等感が燻り続けていたのだ。



 床に散乱した書類を押し退け、薬品で魔法陣を描いた。私は今度こそ、失敗するわけにいかなかった。

 陣の中心に杭を打ち込み、自分の心臓へと一端を流し込む。光から成る紐は自然と空に消え、残滓だけが微かに光った。

 これでもう、二度と消えることは無い。どこへ行こうと、見えない鎖は私から離れない。


 術の名残で周りに浮かぶ幻影は、私たちのようで他人のようでもあった。


『ねえこれは、貴方の模写じゃあないんだ』

『なら、誰を描いたものなんだろうね』


 聴こえてくる囁きも確かなものか怪しい空間。それでも傍らの存在は、明らかに現実だ。



 ――何度蘇っても、同じことを繰り返すだろう。ならどうか、この傷みさえも抱き締められるように。焼き付く想いも、身体さえ蝕む苦しさも、全てを受け止められるように。

 私は、それだけを願い続ける。


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