EPISODE10 剣皇の溜息
その時。
エリア1の上空に浮かぶ『剣宮城』にて、『剣星団:
玉座の間。左右にだだっ広い温泉が並び、その中央には浴衣を纏った美女数名を囲んだ美女がバスローブ姿で玉座に坐しているという光景があった。
水滴が滴る艶やかな黒髪を、白磁のように透き通った肌に張り付かせた、絶世の美女。
その紫紺の瞳は、美女達に身を預けて悦楽に浸っていても尚、念入りに研がれた剣の刀身の如く、隔てりの向こうにいる風間を鋭く射抜いている。
その眼力に少しでも気を加えようものなら、物の一つや人一人など造作も無く斬り伏せることが可能なのを、彼女を知る者は皆知っている。
玉座の傍らには、漆黒の柄に金色の刺繍が施された日本刀が台座の上に飾られており、その剣が鞘から抜かれる瞬間を、側近の美女達を始め、直属に仕える『剣星団』の者達でその目で直接目にしたことは無い。
何にせよ、風間は今、極限の緊張状態にあった。何故、『
跪く彼の眼前にあるのは、幅広く設置された豪勢な簾。この壁の向こうに、彼女は居る。
「おい、風間。そこから一歩でこちらへ来るでないぞ。もし万が一、この楽園に貴様が髪の毛一本でも踏み入れた場合……そのいけ好かない悪人面を斬り刻む」
凍てついて響く声。相当離れた距離であり、且つ横に広がる簾の壁越しでも、臓腑を撫でるような威圧感を孕むそれは耳朶へと重く伝わる。
「は——! そのような無礼を働かぬよう善処致します」
「全く、そもそも余は男を好かんというのに、どうして隊長クラスに三人も男が居るのだ。余への嫌がらせなのか? いっそ余が直々にこの世に存在するオスを全て斬り刻んでやろうか」
それは子孫繁栄が絶たれるのでおやめください! ——という突っ込みを本気でしなければならない程に、この女の危険性は図り知れない。
──『剣皇』。
その名を冠する、『魔剣都市』最強の魔剣術士にして、大の男嫌い。
好きなことは美女との遊戯や温泉で、嫌いなものは不潔なもの(特に男)全般。
この世界が出来た瞬間からこの世界の頂に立ち、誰一人として彼女に斬り傷を与えられた者は居ない。あの糸義倫語でさえ、彼女と対峙した時、絶対的な差があることを思い知らされたらしい。
その話が本当だとしたら、二人共、既に半世紀ほど前に出会っているということになり、不自然なぐらいに歳を重ねていない。
倫語に関しては『魔術師』としての濃厚な背景があるにしても、『剣皇』に関してはその点、恐ろしく不明瞭である。
「まあよい。……して、よりにもよってお主が余の前に罵倒されに出向いて来るということは、必然的にあの『人形』も関わっているということだろうな」
『人形』——彼女が倫語を呼ぶ時の名だ。
風間は固唾を飲み込み、
「左様でございます。そして只今私が申し上げます報告は、奴の勘が見事に的中した旨をお知らせするものであります」
『剣皇』の雰囲気が少し変わったことを、風間は肌で直感した。
「ほう。簡潔に申してみよ」
「は。それが——」
つい先程のことだ。
エリア2にある支部局で、同僚とコーヒーブレイクをしていた時に突如として届いた入電。
「地下深部にある『摩天楼』が何者かによる襲撃を受け、幹部である『
『魔剣都市』の行政を中心となって機能させていた最中枢機関が、一夜にして失われたのだ。さしもの『剣皇』も動揺の一つは見せるだろう——、
「——とでも思っているようだが、何分、余はその点に関しては疎くてな」
心の裡を読まれていたことに、今更驚きやしない。問題は、彼女の異様なまでの余裕だ。
そんな風間の動揺を他所に、『剣皇』は続ける。
「奴らのことだ。どうせ、法に触れないスレスレのラインを見極めたうえで、その実験とやらをこそこそしておったのだろう。小賢しくチンケな者共よ。……そしてそんな奴らを野放しにしておった『剣法』も実に好かん。民を守れぬ法など法では無い。違うか?」
「いえ、仰る通りでございます。私も、『剣法』には些か不満を抱いておりました。特に『第三条十項』にある『叛逆意思の有無は体内に宿る「ナノデバイス」と「パラメータ」を介した情報に判断を委ねる』。これに関しては、まさに今動いている『エクストラ』の存在が意義を揺るがしている次第です」
「『エクストラ』……か」
『剣皇』が思案する空白のひと時。風間は控えめに「それと、もう一つよろしいでしょうか」と許可を取る。
「よい。話せ」
「は。……実は、異変は別の場所でも起こっているのです」
冷えた声は微かな尖りを宿して「なに?」と反応する。風間は続ける。
「エリア11・織波瀬ダム水域。そこで、『レジスタンス』を名乗る集団が武力蜂起をし始めたようです。要求は今しがた申し上げました、『剣法・第三条十項』の改案だとか」
「『摩天楼』襲撃に『レジスタンス』による武力蜂起か……余の庭も、随分と粗が目立つようになったものだ」
溜息が聞こえた直後。風間の眼前にある玉座の間から小さく衣擦れの音が聞こえて来た。
彼女がバスローブ姿から着替えるとしたら、やはり着物。
そして、その動きがすぐにでもあったということは、つまり。
「風間、貴様はもう下がってよいぞ。それとも、覗きの癖でも満たすか?」
揶揄が含まれたその文言に、風間は全力で、
「そ、そんなことは断じて致しませんッ!」
と、赤面して叫んで立ち上がり、すぐさま礼をして楽園の前を後にした。
「ふん。相変わらず、冗句が通じぬつまらない男よ。その点において言えば、まだあの『人形』の方がマシであるな」
「…………」
脳裏に浮かぶ倫語のニタニタした顔に、少しだけ苛立ちを覚える。しかし恐らく、この静かなる動乱には、あの男の力は間違い無く必要不可欠となる。
(倫語……無茶だけはしてくれるなよ)
信頼と共に不安も生じる。
そこへ。
「安心せい。余が直々に剣を振るうことともなれば、革命家気取りの叛逆者共も一捻りよ」
底知れない覇気と気遣いが風間の心を熱く滾らせ、彼は思わず大きな声で「はいッ‼」と叫んでしまった。
その後、かまいたちの如く鋭い風が風間の髪を一ミリほど削ったのは、また別の話だ。
何はともあれ。
前代未聞の事態に対し、こちらも武力の象徴である『剣皇』が腰を上げるという前代未聞の対処をとった。
あのゼロニア=フォーツェルトと言う怪物が何か途轍もない術式を構築する前に、万策は練っておきたい。
だが、事態は予想以上に混沌を極めることになることを、彼らはまだ知らない──。
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