EPISODE5 ゼロニア=フォーツェルト
『影の戦争』は、倫語が各地での魔術師や錬金術師による戦争に介入して幕を閉ざした筈だった。
その事実は『剣の雨』が東京に降り注いだことによって否定されることとなったが、『半世紀論』と呼ばれる一説に、五〇年スパンで超規模術式の発動とその構築が可能であると記されていることを知ってから、あの災厄は延長ではなくその日時に『ようやく発動した超規模術式』なのではないかという仮説が立った。
だが、今この瞬間、このゼロニア=フォーツェルトという男を前にして、倫語は仮説が齎していたある種の余裕が一気に崩れ落ちていく感覚を覚えていた。
「お分かり頂けただろうかー。『影の戦争』はまだ終わってなんかいなくって、そもそもそれ以前に、『影の戦争』を起こしかねない不穏分子がチラホラとこの世界に存在しているのだということにー」
飄々とそう言ってのけたゼロニアは、切っ先を青く光らせて低く言い放った。
「……とても赦せる状況じゃないよね。これ」
息を飲む間も無く、禍々しい魔剣は倫語へと迫る。
「くっ、舐めるなッ!」
事前に発動していた『龍の怒り』で全身をさらに強化させ、拳を握り締めた右腕を剣へ突き出す。
交錯。
そして、凄まじい衝撃波と轟音が炸裂し、辺り一帯は赤と青のコントラストで覆われ、雷光はけたましく踊り狂う。
「魔剣は出さないの? オレ、結構強いよ?」
「ポリシーがあるんでね……! 格上と対峙しない限りは、あんなのは抜かないっていう」
ゼロニアの眉がピクリと動き、その反応を見逃さなかった倫語は、後ろの方に潜めていた左掌で『龍の息吹』を放つ。
「あ、それはマズイかも」
「喰らえッ!」
赤黒い雷光が雄叫びを上げ、巨大な柱となってゼロニアを激しく吹き飛ばした。
大いに勢いがあった砲撃は、ゼロニアを、暫くの間ビル群上空で乱舞させた。だが、倫語はさらに追い打ちをかけようと雷光が残滓する方へ飛び込んでいく。
あの男は『
そして、この短い対峙の間でゼロニア=フォーツェルトが倫語や苺を脅かし、都市そのものにも仇す存在なのだということは確定した。裏で『マイナス』を手繰って何かを画策しているのもこの男だ。
「この場で、除去するッ!」
吹き飛んでいくゼロニアを真正面に捉え、再び、今度は両掌を彼に向けて『龍の息吹』を放つ。
その寸前。
「……投げ、ナイフ……?」
突如、眼前に無数のナイフが出現したのだ。それも、数瞬前に投げましたと言わんばかりの勢いに乗って。
「『
依然として仰向けで飛ばされたままのゼロニアが、不敵に笑ってそう述べた。その間、
倫語は即座に次の術式を展開させる。
「……っ、『連撃術式:龍の鉤爪』ッ!」
両腕を大きく交差させて広げ、背から無数の赤黒い光の棘を発生、それを放ってナイフの群れと交錯させる。甲高い金属音が連続して耳朶に響き、至る所で弾ける火花は互いの刃がいかに多いかを表していた。
「勿論、これで君は終わりじゃないし、どうせ終わってくれないんだよね?」
一際大きく舞った火花の向こうから、魔剣の切っ先を、倫語の喉元目掛け構えて飛び出てくるゼロニア。
対し、倫語は両掌を目の前に差し出して迎え撃つ。
「——今度こそ破壊する」
「——今度こそ斬り捨てる」
時が静止し、再び動き出してもやや遅く感じる様な時間。
まさにエアポケット。今この瞬間、この対峙が、世界と隔絶されているように思えた。
やがて、緩慢に時を刻むコンマ数秒は、唐突に終わりを告げる。
「で、実は、この名場面的な交錯はブラフだったり」
ゼロニアはおちゃらけた声でそう言った瞬間、手から魔剣を突如として消失させ、握り締めた拳で倫語を殴りにかかったのだ。
その予想外な本命。
倫語は常時感覚の限界を容易く凌駕し、同じく背から——しかしこちらは赤黒い雷光で形成された『翼』を顕現させ、大きく後方に羽ばたいて両手で拳を握り締めた。
——一日の大半は発動している『掌握術式:龍の慧眼』で相手の咄嗟の機転を捉え、『飛翔術式:龍の羽ばたき』で大きく間合いを取ることで、魔剣の切っ先を避けると同時に拳を固める余裕を作ることが出来たのだ。
「分かったよ。大いに分かった……お前が紛れも無い『敵』だということがッ!」
『龍の怒り』を纏った拳が、ゼロニアの拳と衝突する。
そして、凄まじいラッシュの応酬が始まった。
無数の残像を描く拳同士が激しくせめぎ合い、その周囲では紅光の棘とナイフの数々が音を立てて砕け散っている。
「あはッ! 剣戟必須の都市で殴り合いって笑える!」
「すぐに笑えなくしてやるよ……!」
一撃ごとに大気を揺るがす衝撃。それが息つく間もなく繰り出され、互いの拳は互いのそれを撃破せんと猛攻を重ねる。
「ねえ、剣は抜かないの?」
微かな冷や汗を流しながらも、余裕のポーカーフェイスを崩さないゼロニア。恐らくこれからも幾度となく問われるだろう質問に、倫語は強く嘆息して応じた。
「仕方、無い……か」
その瞬間、突如としてラッシュが終わり、ゼロニアは倫語から少し離れた位置に飛び退いた。
倫語は深く息を吐くと、右手を虚空に伸ばして続けた。
「君、恐らく『レーティング:β』以上は余裕であるよね? だったら、確かにこっちの方が早いな」
右手に、瞼を焦がす程の輝きを放つ赤黒い光が集っていく。
ゼロニアの笑みも、若干のハッタリへと変わりゆく。
傍観者に徹していた空がざわめき震える中で、倫語は静かにその名を紡いだ。
「——変革の剣……」
その瞬間、付近に運悪く出くわしていた人々は唖然としただろう。
一人の男が魔剣を己の身から抜剣しようとしたと同時に、その場に居る全員が身に着けている『シールド』が、一斉に尋常でない衝撃音を響かせ、術士のレーティングやその剣術被害規模の予測が成される前に、画面が無数の『ERROR』で覆いつくされてヒビ割れたのだから。
何か、途轍もなく強大なる脅威が顕現する。さしものゼロニアも頬を硬くして身構え、心中で最悪な未来を危惧する。
(これ……彼が少しでも制御を見誤った場合、街一つどころか、都市全体吹っ飛びかねないような危険臭がプンプンするんだけど)
だが、予期した災厄が成されることは無く。
代わりに、一陣の烈風が割って入ったのだった。
「わおっ!」
「……っ」
あまりの強烈な暴風に、倫語の視界は淀んで雲が輪状に砕けた様を目にした。
『あー、あー、私は「剣星団:
低く響き渡る風間の声。倫語は一瞬嫌な顔をし、下に居るオールバックで三白眼が目立つ男と、彼の部下たちを一瞥する。
次に再びゼロニアの方を見ると、彼の姿はもうそこには無かった。
「チッ、ここまで来て逃げるって……」
そのあまりに身勝手が過ぎる態度には、流石の倫語も苛立ちを越えて感服を覚える。
そして彼は指示通りに地に降り立ち、風間と対峙する。彼が連れていた部下数名の顔には、冷や汗と若干の恐れが見えたが、倫語は構わずに八つ当たりの意も込めて正義の隊長に文句をぶつけた。
「来るの遅くないかな? 普段の君達ならあんな大物、そう簡単には手放さないと思うんだけど」
「ああ、それについては本来始末書モンだが……まあ、あれだ。特別に言い訳させてもらえるチャンスを与えられたんだよ」
「なんだって?」
荒っぽいが仕事に関しては誰よりも真面目な熱血漢である彼が、『言い訳』と言う言葉を使ったという事実。それほど、あのゼロニア=フォーツェルトという男は規格外なのだろう。
「この現状、まだ民間には知れ渡っていない。だがウチの『
「『剣法書』にも、もしもこんな奴が現れてしまったら、的な具合にしか明記されてなかったしね。ま、きちんと捕縛すれば、『
「へいへい、寝る間も惜しんで頑張りますよ。こちとらただでさえ『剣皇』様の破天荒気質と得体の知れない『マイナス』共の討伐に追われているってのに」
「そこんとこは僕も最大限に助力するよ。なんたって、奴はまだ僕との殴り合いをほんのウォーミングアップ程度にしか捉えていないみたいだし」
そう言って倫語が風間に見せたのは、胸ポケットから取り出した小さな石板だった。
そこには、こう書かれていた。
——『This is just the beginning (これは序章に過ぎない)』と。
風間は鼻を鳴らし、
「随分と小粋なマネする奴じゃねえか。しかしお前と互角にやり合えるってことは、相当厄介な野郎ってワケだ。それに加えて『エクストラ』」
「さらにはもう一つ。錬金術師ってビッグワードも付いてくる」
「か~ッ! んだよそのラスボス級の三拍子はよぉ! てか、そいつの目的は何だ! 世界征服でも狙う気かぁ⁉」
風間の嘆きを聞き、倫語は顎に手を当てて思案する。脳内を揺蕩うピースは、ゼロニアに纏わる情報。つまりは、錬金術師や『影の戦争』、『エクストラ』、『マイナス』に法の抜け道を示す目的——。
「……まさか」
断片的に散らばっていた要素が一つの解を成した。
「なんだ、なんか分かったのか」
「確信を得た訳じゃない。だが、確実性は十分にある」
倫語は風間を真っ向から射抜き、推測を述べた。
「——『剣舞祭』。ゼロニアはそこで、『半世紀論』に沿って何らかの大規模術式を発動させる気かもしれない」
風間は「大規模術式か……」と三白眼を一段と細めて咀嚼し、「『剣の雨』のような災厄を起こそうとしているってことか?」と聞いた。
倫語は「ああ」と頷く。
「錬金術士は『影の戦争』が終局した以降も世界各地になりを潜めている、いわば厄災の残滓だ。で、恐らくゼロニアは何らかの手順を踏んでこの『魔剣都市』を見つけて侵入し、錬成した疑似的な魔剣を『マイナス』共に流しては犯罪を多発的に起こさせ、実験を重ねていた……」
「そのゴールが、三日後に迫る『剣舞祭』になる訳か……。分かった。お前の勘は毎回気味が悪い程に当たるからな。団内の各隊及び中枢機関と『剣皇』に報告を——」
「いや、伝えておくのは各隊隊長と『剣皇』だけでいい。ゼロニアと奴が選ぶ駒は、きっと並みの団員が束になっても軽くあしらわれる程の実力として調整してくるだろう。だから、格好の的を増やさず混乱を防ぐためにも、『エクストラ』を危惧する旨を流布するのは今言った最小限に留めておいてくれ」
倫語の、そのあまりに慎重な意見に、風間は荒く息を吐いて、
「わあったよ。この珍事については『
素早い手つきで『シールド』を操作し、今のやりとりで出した結論の旨を端的にまとめ出した。もう片方の手は払いの動作をとっていたので、そのぞんざいな態度に倫語は苦笑。
彼らの様子を見届けて、倫語は蓮暁女学園の方角へ踵を返す。
今起きた出来事は、学園に戻り次第、真文にも報告しておく義務がある。それに、あの天才魔剣学者なら、きっとコーヒー一杯飲み終えるまでにゼロニアの素性を調べ上げることなど造作も無いだろう。
だから、一刻も早くそうしてもらおうと、端末を展開させて彼女宛てに通話をしようとした途端。
「お、いいタイミング」
他でもない、彼女の方から通話が届いた。倫語は迷わずに応じる。
『あ、倫語君。今色々御多忙だから端的に言うわね。——学園のデータベースに未登録の魔剣反応を確認。至急、戻って職務をこなして頂戴♡』
早口且つ滑らかな口調で一方的に投げ込まれた連絡。しかし、倫語は一言一句を正確に咀嚼すると、『龍の羽ばたき』で至急、学園へと向かった。ちらりと後ろを振り向けば、風間達は既に別の現場に向かっているようだった。
胸の裡を這いずり回る嫌な感触。巣食う不安。
それらを振り払うように、倫語は出力最大で己の居場所へと戻る。
そうして程なくして、彼は教え子が覚醒した瞬間に舞い降り、暖かな抱擁で迎え入れるのだった。
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