第11話 わたしはあなたが
レストランのトイレの中。ちよは今日のデートを振り返る。
ちよの思い出に浮かぶのは、ルクスの人、物、潮風に香る街の匂い。そしてウーの笑顔。
ウーと共に観て回ったルクスの光景は、どれも新鮮で、驚きと感動に満ちていた。
何百と写真を撮り、それを記録と記憶に収め、ちよは充分にウーとのデートを楽しんでいた。
しかし、
――みんなわたしの事みてたなー。
車いすに乗っているちよが珍しいのか、それともそれを押す美少女魔人に惹かれてなのか。街のどこに行っても奇異の視線を浴びせられて、正直、ちよは良い思いはしなかった。
――しかしその奇異の視線は、元居た世界で在ったような優しくしなければならないという一種の侮蔑を込めたものではなく、全く知らない未知の何かに対する純粋な好奇心による所が大きい。ルクスで生まれた人は特に、車いすに乗るというのが分からない。
つまりは変わった人に向ける純粋な興味に近いものだった。――
その奇異の視線の違いに、ちよが気付いたかどうか分からないが、道行く人皆に見られても、委縮するような気持ちの悪さを彼女が覚えることはなかった。
しかし元居た世界よりも容赦なく遠慮なく突き刺さる不躾な視線に、多少の居心地の悪さは覚えた。
そうした中で、ちよはしっかりとこのルクスの特徴を掴んでいた。
元いた世界であれば、街に出ればどこかで必ず出会うはずの、杖を突いた老人や車いすに乗る人が一人も見当たらなかった。
――ケガは魔法で治せるみたいなこと、ウーちゃん言ってたもんね。
――きっとこの世界には、わたしみたいな子はいないんだ。それってすごいよね。
――ミカさんも、ルクスにはいないって言ってたし……。
ルクスは良い国だ。
ちよはそう結論付けることができた。
ちよはひと呼吸つくと、トイレットペーパーを取って自身の汚れを拭き取り、コールボタンを押してミカを呼ぶ。
すぐに音がしてミカがトイレに入ってくる。
「終わったかい?」
頷いたちよに近寄り手早く衣服を直すと、ミカはちよを車いすに乗せて元の席まで連れて行く。通路はすでに避難民で一杯になっているため、彼女は再び車いすを肩に担いで人と人との間を縫うように歩いた。
元の席、ミカが引き抜いたイスの支柱の穴の周辺は、ちよのために人々が空けてくれていた。
******
雨が地面を叩く音が窓から伸びてくる。さっきまで雲一つなく晴れ渡っていた空は、今は重く垂れ下がった黒い雨雲を携えて、邪神に怯える城下街を深く覆っていた。
雨風に震える窓を、ちよは見つめる。
――ウーちゃん、雨に濡れて風邪引かないかな。心配だな。
そしてウーがびしょ濡れになりながら戦う姿をちよは想像する。そしてその中にウーが苦戦するような場面はなかった。
ちよを元居た場所へ送り届けたミカは、キョロキョロと辺りを探るように首を振る。
「あれぇ?お嬢ちゃんのお友達って子が来てたんだけどね」
「おともだち?……誰だろ?わたしここに来てまだ三日だから、友達少ないんだけどな」
「三日?……魔人と一緒にいる時点で珍しい女の子だとは思ってたけど、もしかして一昨日空から落ちてきた異世界人って――」
「――おまえっ!!異世界人か!!」
割れんばかりの大声がレストランに響いた。時が止まったように、喧騒が音を消した。
二人の会話を盗み聞きしていたのだろう。座り込む避難民の中から一人の男が立ち上がり、ちよを睨みつける。
男は服の上からでも分かるほど異常に背中が盛り上がっており、それでいて背が高く、見ているだけで圧倒されそうな大柄な人物だった。しかし鍛え上げられた上半身に下半身がついてきておらず、鶏のようでもあった。
ちよは爛々と光る男の目に怯え、縮こまる。
そしてその大柄な男は、ちよの近くまで音を立てて走ってきた。
「ちょいとお客さん、――うぐっ!!」
「ハァハァ、おい!!なんでこんなとこにいるんだよ!!えぇ!?」
「ひっ!」
目を血走らせ激しく肩を上下させたその男は、ちよを守ろうと間に入ったミカを突き飛ばした。ミカの体は壁にひびが入るほどの勢いで激突し、ずるずると力なく垂れ下がると動かない。
そして男はおもむろに、ちよの両肩を掴み唾を散らして強く言い立てた。
ちよは完全に怖気づき、小さな体を更に小さく委縮させる。
そして襲い来る恐怖に男から顔を反らした。
男はそんなちよの黒髪を千切れる程強く引っ張って、無理やりに自分と顔を合わせる。
「お前!今の状況が分かってんのか!?おい!!聞いてんのか!!?」
「あっ!いや!ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!ごめんなさい!!」
――いたい、いたいよ!怖いよ!おにいちゃん!ウーちゃん!たすけて!
目を見開き、涙を垂れ流し、震える声でちよが答える。男の言葉など一つも耳に入ってはいない。ただこの男の威圧と暴力に訳も分からず謝罪する。
幸いなことに、小水を垂れ流すことはなかった。
「だれが血税を払ってると思ってやがる!?何のために払ってると思ってやがる!?こんな時のためだろうが!!こんなとこで暇してないでさっさと邪神をぶち殺しに行けや!……あげく緊急事態だかなんだか知らねぇが、電気やガスまで搾り上げやがって!!この国の特権だろうが!!どうせ王宮なんかじゃ贅沢の限りを尽くしてんだろがよぉ!!――」
「――ふざけんな!!なんでさぼってやがる異世界人!!俺らはやる事やってんだろうが!さっさと邪神なんか潰してこいや!!――おい!!謝ってないで返事しろや!」
「ああぁっ!あっ!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!ひっ!お願い、許して!ごめんなさいっ!」
男は謝罪を連呼するだけのちよに苛立ち、腕を振りかぶる。
ミカを一撃で立てなくした凶悪な拳が、ちよの顔面に迫り、その恐怖に耐え切れずちよは息をのんで目を閉じた。
「――はぁ、やりすぎ」
少しのため息と、聞いたことのあるハスキーボイス。
来るはずの衝撃は来ない。
ちよがゆっくりと目を開けると、質素なディアンドルを着た、ウーに良く似た少女がそこにいた。
ウーにそっくりな声、顔、背丈、しかし特徴的な巻き角はなく代わりに白い髪と紅い双眸を持つ。
少女は、ちよに迫る男の腕を横から掴んで、事も無げに止めていた。
「なんだ!?おまえは……ひっ!」
筋肉質な男の腕が、少女のちいさな手の形にへこんでいた。
男は悲鳴を上げ、腕を掴む少女の手を引きはがそうと、もう片方の腕を伸ばす。
「ああああ!!痛い!や、やめてくれ!!」
「はーい、いいわよ。――情けない。あなた、
「あひぃ!?」
少女は男の股間を蹴り上げる。
耐えられぬ痛みで中腰になった男に、少女は近くにあったビールサーバーの小樽をその頭上から叩きつけた。
「あぴっ!……」
小樽が男の首にネックウォーマーのように嵌まり込み、そして男は泡を吹いてその場に崩れ落ちた。
「あなたのような皮被りにはお似合いよ」
少女は事が終わると、ちよの側まで近寄ってくる。
未だ雨は吹きすさび、そしてレストランの窓を強く叩いていた。
「大丈夫?」
「あっ、あのっ、うっヒッグ、ミカさんが……」
ちよは自身に迫った恐怖から解放されたものの、動かないミカに対する不安と恐怖で涙を流していた。
店内の人々は、壁にもたれ全く動かないミカを取り囲んでどうすることもできずにいる。
唯一、店長だけがミカの側に膝をつき、涙ながらに彼女の名前を叫んでいた。
「……ほんと、やりすぎね」
少女はその様子を一瞥するとちよに向き直り、お互いの視線の高さを合わせるために中腰になった。そして、ちよの頬に手をあてた。
ウーにそっくりな少女に、ちよは困惑を顕にした。
「あなた……誰?」
「……私はあなたの友達よ。ちよ。――」
「――ねぇ。ひどいと思わない?」
「え?」
泣きはらしたちよの目に紅い双眸が入り込む。少女の言葉が恐慌の中にあったちよの心を不思議と落ち着かせた。
しかしミカへの関心を、強制的に少女に向けられたような気持ちの悪い感覚をちよは得る。
――なんだろう?この子、ウーちゃんにそっくりだけど、なんか、変。
「ウーのこと、ひどいと思わない?あの子はこうなる事も予想していたはずよ」
「……どうゆうこと?」
「今この国には不満が溜まりに溜まって、弾け飛びそうなんだもの。このクズと同じような不満を持った人間たちが、毎日王城への門前に集まって訴えかけてるわ――」
「――以前から不満の声はあったけど、ルクスの守護神を失ってついに顕在化したの」
「けんざい?」
少女の話は、ちよには少し難しすぎた。
そして少女の紅い瞳が揺れるたびに、周囲が遠ざかっていくような感覚をちよは覚える。
雨の音も、店長の慟哭も、周囲の喧騒も、遠ざかって、小さく……。
そしていつの間にか消え失せた。
「……ふふっ、ごめんなさい。難しい話はやめましょう。今はとにかく、ウーのことよ。あの子は、危険なことを分かっていて、あなたをここに、ほったらかしにしたのよ」
少女は乾いた唇を真っ赤な舌で潤すと、続ける。
「ひどいわよね。危険な場所に、苦しんでいるあなたを置いて、どこの誰とも知らない人を助けるために出て行っちゃうなんて。そう……あの子は、あなたを襲ったそこのクズを助けるために出ていったのよ?――」
「――そう、あなた、そこのクズより下なのよ。今日一日、二人でルクスを観光して楽しかったでしょう?二人の思い出がたくさんできたでしょう?……けどそうして親睦を深めたあなたよりも、あなたを襲ったクズの方が優先されるの。おかしいと思わない?」
「……」
ちよは何も言わなかった。
それを良いことに、少女は唇の端を持ち上げて微笑みを作った。
「そして何よりも、あの子はあなたにウソをついているわ。ねぇ――」
「――その足、私なら絶対に治せるって言ったらどうする?私なら、あなたを治してあげられるわ。……それでね?代わりに――」
「やだ」
ちよは真っ直ぐ、少女の紅い双眸を睨みつけた。
そして少女の全身は、その歪んだ笑みのまま固まった。
近く周囲の喧騒が、ミカの名を呼ぶ店長の声が、叩きつける雨の音が、ちよの耳に再び届いた。
「わたしの足を治せるなら、どうして今苦しんでるミカさんを治してあげないの?……あなたはミカさんを一目見て、何もしなかった――」
「――傷ついてボロボロになってる人を見ても、何も思わなかったんでしょ!?」
少女は笑顔のまま、黙ってそれを聞いている。
ちよは目尻に涙を抱えながら、必死に少女に訴える。
「わたしの足を治せるって言ったら、ゆうこと聞くと思った?……ちょっと前の、ウーちゃんをよく知らないわたしなら、まだダマせたかもね。――ウーちゃんはね、弱くて泣き虫なのにみんなを守るために必死なんだよ。だからわたしをここに置いて行くときも、あんな苦しい顔して、すごく悩んで……ウーちゃんなら今のミカさんを見て放っておけたりしない!!無視したりしない!!――」
「――みんなを助けようとしてるウーちゃんと、わたしだけを助けようとしてるあなた。……わたしはあなたが嫌いです」
そしてちよは少女を睨む。ちよの大好きな友達を馬鹿にした少女を睨む。
そのそっくりな顔が、ますます、ちよの憤激を煽った。
頑とした強い敵意を示され、しかし少女は笑顔のまま、睨むちよの瞳を見つめ返す。
「あらま、意外と強情。……私騙してなんかないわ、本当に治るわよ?……って言ってもまぁ、もう信用してくれないでしょうけど」
少女は瞳を閉じ、ちよの頬から手を離し、中腰で固まった腰を伸ばすように一度大きくのけ反った。
そして再びその紅い双眸でちよの瞳を覗き込む。
大きく開かれた、ともすれば飲み込まれそうな
「……ダメね。ほんと芯が強くて良い子だわ。あの小人を助けてあげればもう少し仲良くなれてたかしら。……けど残念、もう時間ね」
少女は諦めたように頭を振ると、未だ雨が叩く窓を見つめた。
「……忘れないで、私はあなたの友達よ。また会いましょう」
そして少女の頭に巻き角が現れ、次の瞬間には煙のようにその場から消え失せた。
「――はぁ、はぁ!ちよ、ただいまー。軽くいなしてきたわー」
「ウーちゃん……ウーちゃぁん!ミカさんが……」
入れ替わるようにウーがレストランの扉を開き、ちよが泣きじゃくってそれに応える。
雨はいつの間にか止んでいたが、太陽を遮るように曇天が、その巨大な腹をちよとウーに向けてのしかかっていた。
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