第15話 引っ越しへの階段

 昭和53年冬 1月31日早朝・・・彼女がトイレに行く音で

起こされました。昨夜は彼女の布団の隣に、毛布を2枚かけて

そのまま、眠ってしまったようです。


 ドアが開きました。彼女でした・・・

「あら・・・貴方、私が起こしてしまったようね・・・」「うーん、

何時になるのかな?」「AM7;30過ぎ・・・」「どう?具合は・・」

「うーん・・・トイレに行きたくて目が覚めたので、その前に検温して

みたの・・・36,3度に下がっていたわ・・」「そうなんだ!・・・良かった、

良かった・・・平熱になったね・・・でも・・・今日は、無理しないで

1日、静かにしていなきゃ駄目だね」・・・

「私、これ以上・・・迷惑かけられないし・・・そう思う・・・」


 ずいぶん控えめな口調です。こうした感じの時は、何かあったのです。


「由紀子!・・・何かあったの・・・どうしたの?」「うん・・・台所で大家さんに逢ったの・・・でもこれ以上は話したくないの・・・だからお願い聞かないで!」


 やっぱりね・・・浮かない表情と言葉のリズム・・・

そして輝きを無くした目の光でその機嫌の悪さが伝わります。


「ねー貴方・・・今日は、一人でゆっくり静養しようと思うの・・・貴方が傍にいれば、私、我侭だから、あれこれ、振り回しそうだから解放してあげる!」


 しばらく沈黙が続きます。大家さんに何かを言われて、

態度が豹変したのです。たぶん理由を問い詰めても、

今日は何も言わないだろうと思いました。

 これ以上、ここにいてもお互いに気まずい思いをしなければ

ならないのです。


 「解ったよ・・・何も聞かないし、問い詰めたり

しないから・・・じゃあ・・・俺、帰るよ・・・それと、2月1日の映画

の件だけど、昨日、バイト休んだんで、振替でAM11;00から

ラストまで、出勤になったんだ!仕方ないよね・・・納得して

くれるよね・・・」


 東南の窓から、冬の朝陽が差し込んで来ました。

「ねー貴方・・・映画はまた、都合を考えてね」彼女自体が

沈んでいます。「じゃー何か、困ったことが、あれば、バイトまで

部屋にいるから・・・」言い残して、自室に戻りました。


 自室に戻り、ボンヤリした時間が過ぎて行きます。お気に入りの

テープをラジカセでかけてもうわの空、TVをつけても画面だけが

切り替わり、音声が耳まで届きません。考えないようにしても

大家さんと彼女の会話を連想してしまう、ちっぽけな自分に

気がついていました。そして、この日は彼女からの誘いも

連絡もなかったのです。夕方からバイトに入り、最終で帰宅・・・

 彼女の部屋の灯かりは消えていました。


 2月1日、AM9;30起床でした。昨夜は何故か、寝つかれずに

明け方4;00頃まで、イライラしていました。おかげで寝坊です。

歯磨き、洗顔・・・バイトに出かける身支度をして階下の玄関へ・・

すると彼女が台所で洗い物をしていました。「おはよう・・・寝坊しちゃった・・今から、バイトなんだ」「今日はラストまでよね!・・・バイト、がんばってね!」会話もそこそこで急いで駅に向います。


 顔色もいいし、元気そうだった・・・もう大丈夫だ・・・そんなこと

思いながらバイト先へ・・・大安の日曜日でした。PM2;00と

PM5;00から婚礼の披露宴が2件入っていました。


 レストランではフレンチのフルコースで対応します。

PM5;00からの披露宴がお開きになったのが、時間延長で

PM8;00過ぎでした。バタバタ片付けをしていると、山口課長が

「おーい 里中、外線から電話だ!」

なんかニヤニヤして、「具合が悪かった彼女じゃないのか?」・・・

「もしもし・・・なーんだ由紀子か・・どうしたの?何かあったの・・・

具合が悪いの?」


 そんな矢継ぎ早の問いかけに・・・「貴方・・・ごめんなさい・・バイト中

に電話しちゃって・・・どうしても聞いてもらいたいことがあるの

・・・今夜、何時くらいに帰れそう・・・」「うーん・・・今、最後の披露宴

の片付けしてるから、今日はこれでクローズなんだ・・・たぶん

PM9;00には終わるから・・・PM10;30過ぎには、下宿に

戻れると思う」

 「そうなの・・・良かった、じゃあ私・・・待っているわ!」と

告げるなり電話が切れました。


 予定どうり・・・PM9;00で終わり、軽い食事を取り、急いで

風呂に入り、帰宅を急ぎます。下宿のある新丸子駅に着いたのが、

PM10;40でした。


 改札口の券売機のところに彼女が立っていました。

「駄目じゃん!・・・この間もこうして俺を迎えに来て

風邪ひいたんだよ・・・電話の・・・待ってるからってこういう事なんだ・・・」


「ねー貴方、怒らないで・・・聞いて・・・下宿では、話しが

できないから、こうして待っていたのよ!」今夜は、赤いスタジャンに

グレイのマフラーと冬支度です。どこで話しをしようか・・・この時間に

開いてる喫茶店なんかありません。40年前の物語です。深夜営業の大手のファミレスは大都会と国道沿線だけでした。

「じゃあ・・・途中の中央公園でいいじゃん・・今夜はそんなに寒く

ないから・・・」


 公園のベンチに腰かけるなり・・・「ねー貴方・・・私、もう我慢できない・・・おととい、大家さんに言われたの!里中君が由紀子さんの部屋に泊まっていったと他の学生さんから、クレームが来ていると・・・」


 私、悔しいから・・・

「実は風邪を引いてしまい、39度も熱があったから、里奈君が一生懸命看病してくれただけです。別に部屋で変なことしていません・・・

いったい、誰がそんなことを大家さんに告げ口をしてるんすか?」


 そうしたら・・・大家さんが「小さな下宿だから、皆さんに仲良くしてもたらい

たいのね!・・・理由は解ったけど、今度からは他の学生さんの手前

もあるから、行動には気をつけてください!」だって・・・


「おとといは、ごめんなさい・・・言われたショックで、頭が混乱して

貴方に冷たくしちゃったの!」

「たぶん・・そんな事じゃないかなと思っていたよ・・・仕方ないじゃん

・・・部屋に泊まったのは、事実だから・・・」


 それにしても大家さんは俺に言わないで、何故、彼女ばかりに

言うのだろう・・・大家さんにすれば、彼女は縁戚続きになります。


 だから・・・厳しくしているのかな?大家さんの胸のうちが読めない

出来事でした。「ねー貴方・・・大家さんに告げ口したの、誰だと

思う?」「おととい銭湯から帰って、由紀子の部屋に入る時、大友さん

に見られたから・・・でも犯人探しなんか意味ないじゃん!」「私も大友さんだって思っていたの・・・根暗の感じだし、玄関で逢っても、挨拶も

できない人なの・・・なんか・・・嫌な感じがする人なんだ・・・」


「ねー貴方、今晩、岩手に電話して、話しをしたの・・・

2月1日だから、今月一杯で引っ越すことを大家さんに話しをしても

いいか?どうか?そしたら、お父さんが大家さんに電話してくれる

事になったの・・・」

「それで、今夜は元気が良いんだ・・・これで・・・すっきりした?由紀子!」


 天真爛漫のいつもの彼女がいます。「ねー貴方、ブランコ乗らない」


また風邪の事を気にしなければ、なりません。「ブランコは昼間も

乗れるから、さあ・・・早く帰ろう・・・おとといは39度の高熱だった

んだよ・・・少しは身体の事も気にしてくれよ・・・」


 すると彼女が俺の背中に回り飛びついてきました。

「ねー貴方・・・私はまだ病人なの・・・下宿まで「おんぶ」して帰って・・・いいでしょう・・・」

「解りました!俺の大事なお姫さまですから、何でもやります」


 わずか、200メートルの距離ですが、結構シンドイです。

下宿まであと10メートルです。すると、彼女が両手で目をふさいで、

耳元で「貴方!・・・だーい好き・・・今夜はご苦労さま・・・重かったでしょ!私、先に、部屋に帰るからね・・・貴方は後からね!」


 そう告げると下宿に消えて行きました。

なんだかんだといいながらも、大家さんの言葉を気にしているのです。

  昭和53年2月1日・・・冬の出来事でした。

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