第6話 手ぶくろだけを買いに

 北の空から、冬の歌声が聞こえてきます。

 人里や森には雪が降り積もり、動物たちにも厳しい季節がやってきておりました。

 今年の春に生まれた牝の子狐は、初めての雪に大はしゃぎです。

「お母さん、この白くてフワフワで冷たいの、楽しいわ」

「それはね、雪っていうのよ」

 雪と戯れた子狐が母狐の元へと戻ってくると、脚先が冷たくて真っ赤です。

「あらあら、この娘ったら」

 母狐は、冷え切った子狐の脚を、胸で温めてあげます。

「お母さん、暖かいわ」

 ぜんぶの脚が温まると、子狐はまた、雪の中で楽しそうに走り回りました。

 お母さん狐は、思います。

「この娘に、手袋を買ってあげたほうが良いかしら」

 自分も娘もキツネは総じて四足動物なのに、なぜか手袋だけを、母狐は娘に与える事にしました。


 夜になって、今夜は雪も降らず、空には満月が輝いています。

 こんな夜は、母狐の妖力が冴える夜でした。

「さ、娘よ おいで」

 母に連れられて子狐がやって来たのは、人が暮らす町の、すぐ近くです。

 夜でも明るい家々の明かりを、初めて間近で見る子狐は、なんだかワクワクしました。

 母狐は、娘に言い聞かせます。

「これからお前は町へ行って、手袋を買ってくるのです」

 母狐が娘に、妖術をかけました。

 満月の明かりを受けた娘の身体がほんのり輝くと、子狐は、人間の姿となっていました。

 十代よりも幼い外見に、狐の耳と尻尾が生えた、全裸の少女。

「わぁ。わたし、人間と同じだわ」

 娘は、人間の姿になった自分に、驚いてます。

「いいですか、よくお聞きなさい。私は狐の掟があって、人間の里へは下りられません。お前は、自分だけで、手袋を買いに行かねばならないのです」

 母狐は、二枚の硬貨を、人間の姿となった娘に手渡します。

「街の真ん中あたりに、帽子の看板を出しているお店があるから、戸を叩きなさい。そうすれば、戸を開けてくれるから、手だけを見せて『この手に合う手袋をください』と言うのです。そうすれば、人間は手袋を売ってくれます。いいですか、決して、顔や尻尾を見せてはなりませんよ」

 母狐の言葉に、裸の娘が尋ねます。

「顔や尻尾を見せたら、どうなるの?」

「人間に捕らえられて、檻に閉じ込められてしまうのです。人間は恐ろしいから、決して、顔や尻尾を見せてはいけません」

「わかったわ」

 そう言って、裸にキツネ耳とキツネ尻尾だけの姿となった子狐は、町へと降りてゆきました。


 夜の静かな町に、人間の姿はありません。家々の窓が明るくて、暖かそうです。

 雪が積もった通りを歩いて、子狐が街の真ん中までやってくると、帽子の看板がありました。

「ここだわ」

 子狐は母の言いつけどおり、ソっと戸を叩きます。

 –トントン。

「はあい」

 大人の男性の声がして、戸が開けられました。

 戸は意外にも大きく開けられ、月明りに慣れた子狐の目に、家の光が射し込みます。

「きゃ」

 眩しくて、思わず身じろぎしたまま、目を閉じてしまいます。

 裸にキツネ耳とキツネ尻尾だけの、人間の少女となった子狐の姿が、帽子屋の主人に見られてしまいました。

 動揺した狐少女は、思わずそのまま手を差し出して、買い物を口にします。

「この手に合う手袋をください」

 帽子屋の主人は、これは狐が化かしに来たに違いない。と思いました。

「それでは、先にお金を渡してください」

 言われた裸の少女が、母から貰った硬貨二枚を、手渡します。

 受け取った主人が硬貨を打ち合わせると、カチカチ、と音がしました。

 硬貨が、葉っぱではなく本物だとわかった主人は「ちょっと待っていてくださいな」と言って立ち上がると、引き出しから子供用の、裸の女の子の手にぴったりな手袋を、渡してくれました。

「はい、手袋だよ。暗いから、気を付けてお帰り」

「ありがとう」

 帽子屋を後にした子狐は、あらためて、自分の姿を見られた事を、思い出しました。

 誰もいない通りを山へと向かいながら、家の窓から、母子の声が聞こえてきます。

「お母さん。こんなに寒いと、森の狐たちも、きっと寒いんだろうね」

「ええ、でも大丈夫ですよ。子狐も今頃、お母さん狐の胸に抱かれて、暖かく眠る時間ですもの」

 母と子の会話を聞いていたら、子狐は、母が恋しくなりました。

 キツネ耳とキツネ尻尾だけの裸少女は、母が待つ町はずれまで、駆けてゆきます。


 子狐が戻ると、心配していた母狐の胸に、ギュっと抱きすくめられました。

「ああ、私の可愛い娘。よく戻ってきましたね」

 母の胸は温かく、冷えた身体だけでなく心も温まる、裸の娘です。

「手袋は買えたのですね。人間に、姿は見られなかったのですね」

 子狐は言います。

「お母さん、人間はちっとも、怖く何てなかったわ」

 きょとんとする母狐に、裸の少女は続けます。

「だってわたし、人間にこの姿を見られてしまったけれど、手袋を売ってくれたんですもの」

「まあ」

 母狐は、驚きながらも、娘にかけた妖術を解きます。

 裸にキツネ耳とキツネ尻尾だけだった少女は、元の子狐へと戻りました。

 母子は、山の巣穴へと戻って行きます。

「人間は、本当にいいものなのかしら」

「人間は、本当にいいものなのかしら」

 母狐は、ずっと呟いておりましたとさ。


                         ~終わり~

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