第9話 性癖の充足がやばい件について

 

「あ……っ」


 あることに気づき、私は再び声を上げた。

 単純な話だ。すぐに気づかなかったのが不思議なくらいに。

 端的に言って、やばい。

 何がやばいって、魔王様じゃない。私がやばい。生命の危機。


 現れたのは、天使の最上位、十二使徒のメンバーが二名。

 他の天使とは階位が違う。

 二名は、魔王様と、魔王様の援軍として現れた正体不明の黒猫(たぶん魔族の切り札か何か)に対峙している。

 ここまでのシチュエーションは、魔王様の公開処刑のさなかで、何百人もいる天使の精鋭たちに加えて、竜族の副当主ジークフリートがぼこぼこにされた状態なわけで。


 このまま、戦闘になるんじゃね?

 したら、災害規模ってどんだけになるんですかね?


 魔王は素手で惑星を破壊できるが、熾天使セラフィムは素手で恒星を破壊できる。ちなみに平均的な惑星である地球に比べて、平均的な恒星である太陽は、約百倍でかい。

 というわけで、魔王と熾天使の実力差も百倍くらいはあると思う。

 つまり。

 魔王様は、手加減する余裕がないわけで。

 あとは天使側が、私ら記者の命をどんだけ忖度そんたくしてくれるかなんですけど。


 私ができる最善手は、とっとと船に乗ってワープエンジンを稼働させて逃げることだ。実際、周りにいる目端の利く同業の記者たちはそうしてる。まあ、特ダネ狙いで残ってる奴らも多いけど。


 私は――迷った挙句に残ったわけだが。


 だってさ、見てくださいよ熾天使が来てからのジークフリートのあの面。ぼこぼこにされた小悪党の、喜色満面の顔と言ったら。

 絶望感にまみれた顔をじっくりたっぷり堪能したいと思ったのが間違いだった。今帰ったら夜眠るときに絶対にあの顔が思い出される。それだけは嫌。萎える。せっかく気持ちよくなってたのに。いやさ、このまま残っても同じなのかもしれませんがね。ともあれ、どっちにしろ不愉快なら見届けた方がいい。

 そんなくだらん理由で命を落としていいのかって言われてもね。

 私の命と私の性癖の充足、どっちが大切かと問われたら間違いなく後者なわけで。


「は。ははは、どうだ魔王。俺の勝ちだろう」


 黒猫に踏んづけられたまま、ジークフリートがまた笑う。

 うーん、不愉快。

 二体の熾天使がゆっくりと歩き、魔王&黒猫との距離を縮めていく。

 熾天使が現れた際は、両者の距離は十メートルほどだったが、それが今や五メートルを切るまでになっている。


 近づくまでの数秒間、魔王はしゃべらない。黒猫も鳴かない。

 熾天使の二名も何も言わない。


「天使様、助けてください」


 ジークフリートの嬉しそうな声が、とても情けなく聞こえる。お前、半神としての矜持とか国家のナンバーツーであるという自覚はあるのかと。


「呆れたものだな」

「にゃーん」


 魔王がつぶやき、猫がうなずいた。

 熾天使たちが、立ち止まる。

 立ち止まると、彼女たちはひざを折って、その場で深く頭を下げた。

 こともあろうに、魔王たちに向かってだ。


「大変、失礼をいたしました」


 頬に“Ⅱ”のある方の熾天使が、謝罪の言葉を口にする。

 前代未聞だ。天使が非を認めて謝るなんてことは。しかも最上位の連中が。

 事情通なら誰でも驚く。私も驚く。私の周りにいる命知らずの記者たちも驚いている。


 え、あんたたち、神の使いなのにあっさり謝っちゃうの?って


 ここには多数の記者がいる。船内の音声を伝えるマイクは生きていて、スピーカーから流れてきている。言い逃れできない証人が多数いるということだ。全員を口封じするのでなければ。

 宗教上の理由で、天使たちは自分たちの間違いを認めない。

 神の使いは、常に正しくあらねばならないからだ。


「どうして!」


 ジークフリートが叫んだ。わかる。わかるよ。私にもどうしてなのかさっぱり分からん。

 しかしそれはそれとして。今の顔。ピンチの際に現れた希望が、数秒で絶望に変わった今の顔。いい。めちゃくちゃ、いい。


 残っていて本当に良かった……!


「まだ気づかんのかね。私が異世界から召喚したのが何者なのか」

「にゃん」


 黒猫が前脚を上げ、とどめとばかりにジークフリートの背中を蹴った。


「ぐぅっ」


 それほど痛いようには見えなかったが、ジークフリートがうめいた。

 顔を赤く腫らして、無様っすなあゲラゲラゲラ……と、思ったけれども。だってあいつ、私の大切な宇宙船をぶっ壊しやがったし。

 その感想は、次の出来事の前にひっこんだ。


 変わったのだ。

 ジークフリートの顔が。

 黒猫にモフられてパンパンに膨れ上がった顔の腫れが引いた、のみならず。

 整形というレベルで別人になっていた。鼻がつぶれたように低くなり、きりりと一本線を描いていた眉が薄くなり、綺麗な唇が厚ぼったくなって。

 全く違う人間が、そこにいた。


「よくもやってのけたものだ、偽物め」


 と、魔王。


 え、と、記者ブースにいる私たちがざわつく。

 偽物?

 ジークフリートさん、偽物って事?

 あ。

 あー。なるほど。

 偽物だったのね、竜族の副当主ジークフリート様。

 魔王様、だから『私としたことが』とか言ってたのね。

 というか、だから竜族さん、天使とつるんで魔王を処刑するなんていつもと違う行動をとってたわけね。

 副当主の偽物が現れて、音頭をとって、配下の竜も、天使のお偉方も騙してたわけね。

 はー。

 あるんですね、そういうことって。


「~~~~っ!」


 ジークフリート、というか、偽ジークさん。

 すんごい顔をしてる。


 ……。

 いや、本当にすんごい顔よ。一言で言うなら、“絶望”ってタイトルがつく顔。

 あの、さぁ……。


 ごはんが食べたい。

 白米がいい。食べたい。おかずはいらない。というか、目の前にある。

 分かりますかね。

 目の前にある現実を、絶望を理解したくないって状態の、偽物さんの顔。

 私がつい数日前に、『あーこいつ今すぐに死んでくれねーかなー』って思った相手がですよ。完璧に詰んだ現実を突きつけられて、バグっている時の顔。

 それで、分かりますかね。


 それを見てる、今の私の顔。


 ……分からないですよね。ものすんごく幸せなんですけど。私の脳が、違法なおクスリやってんじゃないかってくらい浮かれてるんですけど。

 だって私、今、自分が何をしゃべってるか自分で理解できてませんもの。


「いつからだ。いつから気づいた!?」

「昨日だよ。君が念押しのために渡させた呪いの小刀、我が身で食らってみてはっきり分かった。勇者が使う聖剣のたぐいだと。それに本物のジークフリート殿なら、ああいう小細工はまず使わんのよ。魔王ごとき、いつでも殺せる存在だからな」

「にゃん」


 誇らしげに、黒猫が鳴く。


「……まさか」

「そう。この猫こそが、竜族の副当主ジークフリートだ」

「~~!」


 偽ジークさんが、またうめいた。

 ああ、素晴らしい顔だ。美しい。実に美しい。

 あのね、私は今、とってもごはん食べたい。

 白米にふりかけが欲しい。それだけでいい。


「より正確にはジークフリートの身体の一部、腕が転じたものだがね。弱り切った私には全身を召喚するにはパワーが足りなかった。もっとも、君ごとき相手ならそれで事足りたわけだが」

「にゃーん」


 はー。

 なるほど、それで。

 天使のトップにいる熾天使のお二方、謝ったわけか。

 相手が神族だから。

 いくら天使のヒエラルキーの最上位にいるっていっても、相手が自分とこの主神の末裔だったら膝を折りもするだろう。間違いを認めもするだろう。序列で言えば、不動のトップが主神の神崎恵那えな、次が半神の神崎沙理亜さりあとジークフリート。で、超えられない壁を挟んで熾天の十二使徒となるわけだから。


「で、どうなるのだ? 私の処遇は? こたびの処刑の沙汰さた、竜族の副当主が提訴したところからが発端だ。私が暴れて、多数の星を砕いた件の償いを求めてな。ところが、提訴した者は真っ赤な偽物だった。司法局の天使たち、きちんと調べたのかね? 竜族の者たちもだ。あと少しで、一国の国家元首たる者が殺されかけたのだぞ」


 魔王様が、実に楽しそうだ。

 身体は連日の軟禁で疲れ切っているだろうに、精神は元気らしい。


「ツヴァイ、ゼクス。はっきり聞いたぞ。己らの不備を認めて謝罪したな。それで? この後、誰がどう責任を取り、再発防止策をどう制定するのだ? 書面にしてきちんと詰めようではないか。むろん、ジークフリート殿もな」

「にゃーん……」


 黒猫の悲しげな声が響く。熾天使の二人は、黙ったままだった。


「う、ううううう!」


 完敗した偽ジークさん、大声で泣きだした。

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