そして彼女は行動する

 丘の向こうから朝日が昇り始め、遮光カーテンに慣れ切った体は差し込んでくる光に目を覚ます。まだ空の端には夜がしがみついていて、青からオレンジ色へのグラデーションは遮る人工物がない分とても神々しくさえ感じられる。美桜はぱちっと目を覚ますと、前夜ごしごしと洗われた浴室に向かい、水で顔を洗った。


――洗顔フォーム・・・せめて石鹸が欲しいな。

少し脂ぎっているうえに泣き続けていたので、顔がパリパリになっていた。窓辺から辺りを見渡すと、昨夜は見えなかった壁に囲まれた街が彼方に見えた。いつか行けるかなぁ。身分証ないんだけど・・・。


ぐっと伸びをすると、美桜は部屋を後にした。昨夜車を入れた牛舎に向かい、狼たちに何かあげなくては。かすかに人が動き始めている気配がする。玄関からそっと外へ出て牛舎のほうへ歩き出すと、狼たちの吠える声が聞こえた。慌てて重い横開きの扉を開けると、二匹が一斉に美桜に向かって飛びかかってきた。


「おっとぉ! こらぁ。汚れちゃったじゃんか…。まあいいや着替えよう。ところで狼君たちも名前を考えないといけないなぁ。」


わしわしと撫でていると、違いが分かる。片方はやんちゃで左耳が少し垂れ、瞳は赤。比較的落ち着いているほうは、ぴんとした両耳と目が青だ。


「狼・・・名前・・・やっぱり『フェンリル』にあやかったほうがいいかな。ママがフェンリルだとして・・目の色で決めよう。太陽を追っかけてたのがスコルだから、きみがスコル。月を追っかけていたのがハティだったから、きみはハティ。私は美桜だよ。犬飼いたかったんだよねぇ。嬉しいなぁ。」


そう言ってモフモフと撫でていた次の瞬間、二匹の周りが青く光り輝き、ブルブルっと体を震わせるとちょこんと美桜の前に座った。


『僕ハティ』

『僕スコル。』

『『名前くれてありがとう。ママが守れって言ったから美桜を守るよ。』』


美桜はまじまじと二匹を見つめ、そしてがっくりと四つん這いになり首を垂れた。

――テイムですか・・・。名前つけて契約した感じか・・・マジですかペット枠じゃないんだ・・・。


「私の言ってる言葉が解るのね? 今までも理解してた感じだったけど。テイムしたから聞こえるようになったのね。私今日本語話してるのに。」


『なんか伝わってくるの。』

『ママが美桜は緑と風はついてるから、あなたたちがついていきなさいって言ったの』

『『ねー』』


は。今なんて言った。ママ狼。あーもう面倒だ。フェンリルかあさん。あたしの魔法が見えてたんですか。そうか。。魔法使えるんだ。。。ほんとにここの人間になったんだなぁ。


「とりあえず着替えてくるね。そしたら厨房で骨でも貰おうか。」

『『待ってるー!!』』


モフモフを交互に撫でると、美桜は後部トランクを開けた。引っ越しのまま積み込んだ洋服たちを箱から引っ張り出す。パールのついた黒のタートルとベルト、ピンクのフレアスカート、使い古したカフェエプロンを取り出すと顔を洗って下着も取り換え、いそいそと着替える。靴の箱からワークブーツを取り出して履き替えると、キャリーケースとエコバッグを取り出す。キャリーの中はフェリーの中で使用するための一式がそのまま詰まっていた。


「えーっと。ある程度の化粧品、洗面道具。エイドキットと身の回りの物。下着の着替えを新しくして・・・・。タブレットと手帳とペンケース、替えのシューズ。明日の着替え。調味料類とコーヒーに紅茶、悪くなりそうなものを出して・・・。ソーラーの充電器。LEDのランタン・・・まさか災害対策しててありがたいと異世界に引っ越して思うとは思わなかったな・・・。LED作ってくれた人は来世でも幸せでありますように。」


ぶつぶつとつぶやきながら、美桜はバッグにある程度の荷物を詰め込むと、ベルトにカラビナでシザーケースをつるした。きっと後でカイドさんが荷物をどうするか教えてくれるに違いない。今はこの程度あれば大丈夫。とりあえずここに置いておこう。室内に荷物を残し、鍵をかけた。


「さて。まずは厨房だね」

『『いこー!!』』


 屋敷の裏手に小さな入り口があった。勝手口だなと見当をつけて、美桜はそっと入り込み、朝食の準備をする人々の姿を見つけて声をかけた。


「おはようございます。すいません。骨ありますなら狼にあげるいいですか。」

『おぉ。お前さんか。新しくこの家の住人になったっていうのは。』

「みおです。よろしくお願いするです。」


振り返ったのは恰幅のいいコック姿の初老の男性だった。にこにこと大声で話しかけてくるので美桜は必死で聞き取ろうとする。


ジェームズ執事から話は聞いてる。俺はアーヴィン。調理長だ。骨と余り肉はここにあるぞ。もうじき朝飯だからな。』

「ありがとうです。こっちがスコルでこっちがハティ。お世話になるです。」

『アルジェントウルフにお目にかかるとはな。しかも懐いてやがる。触って大丈夫か。』


撫でるしぐさをしたので美桜は頷いた。アーヴィンは武骨な手で優しく狼たちを撫でて、骨を渡している。肉の入った桶を持ってどこで食べさせようかと見渡すと、川辺にボートの係留できるような桟橋があった。あそこなら顔を洗ってやることができる。柳の木の下に座り、狼たちの食事を眺めていると後ろからサーシャの呼ぶ声がした。


『まぁ。美桜は早起きね。ここにいたのね。』


緑のタフタのような生地を使った優美なドレスのサーシャは、腕いっぱいに花を抱えながら美桜の隣に座った。

「奥様。おはようです」

『お母様』

「あ、お母様、おはようです」

『おはようございます』

「おはようございます」

『はい。よくできました。』


ふんわりと笑いながらサーシャは美桜を眺める。黒の上着にピンクのスカート。貴族階級としては丈は短いが仕立てはいい。自分を見てにこっと笑う笑顔もまた好感が持てる。


『今日は採寸と言葉の勉強をしましょうね。』

「はかる。する。勉強したいです。」


――とにかく、言葉を何とかしなくては。

それが二人の共通認識だった。「知識」がないと生き残れない。平民からカイドの妻になったサーシャと、社会で揉まれた経験がある美桜にとって、それは当然のことだった。知識がなければあるものにいいように利用されるだけだ。

 幼児向けの絵本や、初等教育の教材を使って、その午後から美桜はサーシャとともに必死になって言葉を覚えた。『お母様』の本当の意味を知って美桜がジタバタと赤面したりする場面はありながらも、ありとあらゆるものの単語を、言い回しを寝る間も惜しんで美桜は覚えた。その間も厨房の手伝いをし、狼たちを散歩させ、与えられた部屋に荷物をすべて運び込み、メリアとともに果樹園で果実を摘み、薬草を覚えた。ようやく日常会話程度なら支障なく話せるようになるころには、美桜がベルノウェイコートに来て一月が経っていた。


 その日の朝、朝食の席で美桜はサーシャとカイドに言われた。


「今日から魔法の修練に入ろう」と。




【後書き】

王子に会うまでの下準備が長い。。。でも言葉と世界をある程度知らないと進まない気がするんですよね

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