灰と忘れじの言葉
14話 儚い希望にさようなら
渇いた砂漠を逃げるように駆け抜け、寂びれた荒野を進む馬車の中で、凱はずっと蹲っているノアに声をかける。
息が詰まるような空気の中、縫い付けられたように上手く開かない唇と縛り付けられたような舌を懸命に動かして、何とかではあるが声を出した。
腫れ物に触るような、恐る恐るとしているか細い声で。
「……ねぇ」
「……」
「ねぇ、ノア……聞こえてる?」
「……」
「これから、どこに向かうの?」
「……………知らない」
「……知らないって…それは困るよ。僕はこの世界の地理なんてさっぱりなんだから」
「……ほっといて」
「こう、どこか行きたいところとかないの?知り合いがいる街とか、仕入れたい商品の名産地とかさ」
「………【白百合の花園】」
「それは、どこに?」
「………知らない。忘れて、私の事なんてほっといて、もう、一人にして」
「そんなこと、言われても、困るよ」
「………いいじゃない。死にたいんでしょう?望み通りじゃない」
極限まで押し殺した声。
生きることに怠惰な声。
全てを投げ出し諦めた声。
それが、あの日の光景を彷彿とさせ、凱はその言葉にカチンときた。
もう既に色々と我慢の限界だったところに、こんな事をされれば誰でも感情は爆発するだろう。
辛いのはお前だけじゃないんだぞとか、何のためにここまでやって来たんだとか、誰のせいでこうなっているんだとか、遣る瀬無さと自分や世界に対する怒りや理不尽さに打ちひしがれた果ての感情とが
「死ねばいいって、ふざけんなよ!何投げやりになってんだよ!綺麗事、気持ちのいいお題目だけ好きなように並べ立てて、人を無理やり救っておいて、嫌なことがあったらどうでもいいとか、一番命を蔑ろにしてるのは、自分じゃないか。僕を救った責任を取れよ!なんなんだよ、人には偉そうに説教しといてこの体たらくは!」
「凱こそなんで、そんなすぐに【次】の事を考えられるの!?ルドルフの死が悲しくはないの!?」
人の心をどこに落としてきたと糾弾されるも、その反撃を真正面から否定して叫ぶ。
「ルドルフの死と自分たちの未来を考えるのは別に関係ないだろ!ルドルフが死んでも、ベルタが死んでも、酒場のマスターが死んでも、生きてる僕らには平等に明日がやってくるんだよ!そう言ったのはノアだ!そう教えてくれたのはノアだ!この世界に生きている誰も死を望まれてなんかないって啖呵を切ったのはノアだぞ!」
「私たちが、殺してしまったのよ……?また、私は………あまつさえ、ありもしないことを勘ぐって、疑って……私は……私は……」
「だからって、潔く死ね?それとも、死で償うべき?死を望まれる命なんていないんじゃないのか!?」
「なんで、……そしたら私は、ルドルフに、ベルタに、ベアトリーチェに、あの子たちの死にどうやって贖えばいいのよ……私には、どうすることも……!」
ボロボロと、ノアの瞳から透明な雫が零れる。
堤防が決壊したかのように抑揚のなかった暗く澱んだ声が、濁った瞳が激情に彩られ、この世界にぶちまけられる。
その怒りと嘆きは自分自身へと自暴自棄に向けられていて。
「そんなの、僕が知るか。僕だって……こんな、こんな事初めてだよ。贖い、罪がなくなる方法なんて知らない。罪が消えるとも思えない。僕が言いたいのは、ルドルフ達の死を悲しむなって話じゃない。毎日寝る前に謝るでも、今後は贖罪の旅をするでもいい。なんでもいいんだ。ルドルフの死でノア自身が生きることを諦めないでよ。死ぬ言い訳に誰かの死を使わないでよ。この世界で、唯一僕に生きて欲しいって言ってくれた君が、僕みたいに死にたいだなんて言わないでよ」
「……。死ぬ、理由……。でも、私は……もう、色んな人を、死なせて、私は、私は、幸せを売りたいだけなのに、みんな死んで、死んでしまって……きっとあなただって」
「……つい、熱くなって言い過ぎた。色々辛いときに畳みかけてごめん。でも、僕に『生きろ』って呪いをかけたのは紛れもなくノアだよ」
そう言って凱は前だけを見続ける。
膝を抱え込んで馬車の壁に背を預けたノアは、呟くように宣言する。
「私こそ、ごめんなさい。少し、もう少しだけ一人で悩ませて。何とか踏ん切りをつけてみるから」
「ごめんなさい、凱。さっきは取り乱して、言ってはいけないことを言ってしまったわ。そして、ありがとう。あなたが、あそこで私を叱って間違った道から引き戻してくれなかったら、私は、私に、そして私に
御者を必要としない馬車で、ノアは前を向く。
泣き腫らして目元が赤くなった顔を燦々と降りしきる日光の元に惜しげも無く晒し、凱と同じ方を向く。
泣き腫らした顔は刺々しい日光で皮膚を焼かれたと言い訳するには少々苦しい。
泣いて、哭いて、泣きじゃくって、八つ当たりして、自暴自棄になって。
それでも、泣き腫らしたことを後悔して、未練をタラタラと口にすることはなくなったと。
きっちりと過去に分別をつけて、未来を考えるようになったと。
感謝の言葉と真剣な態度と、そして、この、泣き腫らした目元を持つ、曇りなき眼で訴えかけるのだ。
「決めたわ。私は、なんとしてでも、私が関わってきた人々を幸せにする旅をする。【幸せ】を、売り歩くわ。ねぇ、凱。私がさっきみたいに道を誤らないためについてきてくれないかしら」
「君が、そう【生きろ】と言うのなら、僕は何処までも着いていくよ」
例え行き先が地獄でもねと付け加えて、凱はノアに向き直る。
お昼ご飯になにか食べようかと提案すると、ノアは目を丸くして本当に、前向きになったのねと返した。
「前向き?一体何が?」
「生に対する考え方が。だってあなた、これまでは食事も必要最低限だったでしょう?死ぬ前に沢山食べたら食材の無駄だって、この世界にそんな余裕はないって」
生きろと呪いを掛けられた馬車の中で、【客人亭】で女将に食事の量を聞かれた時、初めて世界に対する希望をもってキャンバスに平和を描こうとした時。
一度でも昼食を取ろうと凱から言ったことはあっただろうか。
深く考えずとも無かったと断言出来る。
「生きなきゃ、いけないから。彼らの分まで。何よりも君と一緒に。この罪を償って、贖って、絵に、世界に、死に向き合ってみようと思ったから」
それが理由。
そう言葉を結んで馬車に積んである木箱の中からあれでもないこれでもないと昼食を探し始める。
照れ隠しであるのかは判然できないが、生きることに前向きな後ろ姿に相好を崩す。
「そっちには入ってないかも。お酒を卸す時に一緒につまみとして燻製肉とかも出しちゃったから…」
「そっか。日持ちしないものなにか仕入れた?もしあるのならそれから食べよう」
「ルドルフ達におすすめされた嗜好品とかなら……」
「ああ……うん。コーヒーとかは機械が無いしなぁ…煙草も…」
「……その───」
凱はその言葉の先を言わせないように割り込んだ。
「───本当は、もう割り切ったってそう思い込んで、もう向き合うこともせずに。そうやって悲惨な過去の出来事を乗り越えた強い自分を演じることで逃げてるだけなんじゃないかって……そう思うんだ。それが、それが、怖い。だから、いつかは決着をつけなきゃね」
ガラガラガラガラと車輪が石を噛み砕いて轍を刻む音がする。
カンカンと照りつける太陽の下、饐えた臭いはどこかへ消えていった。
あれはこの世界のものではなく、押しつぶされていた凱自身の物だったのだろう。
吐き気を催す邪悪、あの悪臭の源は。
自分自身であった。
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