13話 ユダ
ソドロム山近辺の街道には人がごった返していた。
人通りが多いではとても説明がつかないほどの人、人、人の群れ。
この街に暮らす全ての人が一か所に集まったのではないかというほどの規模であった。
こんな世界でも意外と人はいるんだなと場違いな感想を凱は抱く。
人が行き交うこの光景こそ、【歓楽街】と言う名に相応しい。
さてこれからどうするべきか、と凱は考える。
ノアの機転によって、ソドロム山付近にまで来たが、ルドルフ一行がソドロム山に向かったという情報をどうやってベルタに伝えるか、それを悩んでいる。
一番良いのは、手分けして聞き込みをしようと提案し、ちょうどいい塩梅で目撃証言があったと言う事だろうか。
先ずそんな目撃証言がと疑うことは無いだろうし、もし仮にそんな人居るのかと疑われたとしても、もう雑踏の奥へ消えてしまったと言い訳すれば深く追及はできないだろう。
後の検証での整合性で何かボロが出るかもしれないが、この場が誤魔化すことができれば問題ない。
嘘がバレるまでそう遠くないだろうが、たった一日でも役に立てばいいのだ。
「ねぇ、人が多いから聞き込みは手分けして行わない?」
「そうだね。………三十分くらい経ったら、またここに集合でいいかな」
「そうですね。…よろしくお願いいたします」
ぺこりと頭を下げるベルタに気にしないでと声を掛け、三者三様に聞き込みを開始する。
二、三人を当たって知らないとの回答をそれぞれの口から聞いたあたりで、人の波が割れた。
その奥から、青ざめた顔をした壮年の男が現れて、信じられないといった面持ちで言葉を放つ。
その言葉は決して大きな声では無いものの、聴衆の耳朶を打つ。
「ルドルフの……死体が見つかった。隣街の馬小屋に放置されてたらしい。なんでも刺し傷が体中にあって、………ルドルフの家に恨みを持つ奴らの犯行じゃないかと」
「確かにあの子のお家は裕福だし、成功者を妬む輩はごろごろいるしねぇ…でもどうして…」
「誰がやったんだ……?」
「そんな……とてもいい子だったのに」
ガヤガヤと憶測を語りだすもの、ショックを受け泣いてしまう者、冥福を祈り瞼を閉ざす者。
反応は様々だが、人波の間でルドルフの死が共有される。
勿論その情報は聞き込みを行っていた凱にも、ノアにも伝わり、あまりにも唐突な展開に二人とも放心する。
そして情報は少し遅れて────
「坊ちゃまが………死…ん………だ?」
────ベルタにも伝わった。
ベルタは呆然とした足取りで、情報の出所である男の元へと向かう。
無意識に、考えないようにしていた。
でもそれを、現実は非情にも突き付けて来る。
誰が、ルドルフは事故に遭わず、五体満足で帰ってくると断言出来るだろうか。
人間は誰しも見たいものしか見ない生き物だと言う。
都合の悪いことを無意識に省いてしまうらしい。
凱たちは、幸せというあまりにも強烈な光で、周りがよく見えていなかった。
「どういうことなのですかッ!坊ちゃまが死んだなど…どうして、なんで坊ちゃまが…隣街に…?」
錯乱し、男に掴みかかるベルタ。
自分でも何をしようとしているのか良く分かっていないのだろう。
焦点の合っていない、瞳孔がイヤに開いた目でどこかを見ながら坊ちゃまがと
否定する理由はいくらでも挙げられる。
しかし、誰一人としてルドルフが生きている証拠を挙げられない。
野次馬はショックを受けているベルタを男から剥がしながら男にさらなる情報の開示を求める。
縋るような視線に対して男は力なく首を横に振り、もう有益な情報はないと示す。
絶望が、ヒシヒシと伝播していく。
「俺も、ルドルフん家の使用人の人から事情を聴いた衛兵からの又聞きだから詳しいことは何とも。何故殺されたのか、現在調査中らしい」
「ルドルフが、【幸せの花】を求めていたから、それだけだ」
皆が絶望の沼に肩を沈める中、声が響く。
肩どころか頭まで泥濘の中に沈めてしまう一言が。
それを────。
言った────。
のは────。
途切れ途切れの思考で凱が認識したのは、小高い丘で会った老人だった。
右足が膝から下から無く、危ういバランスを杖を突きながら器用に歩いていたあの老人だった。
凱が悩みを吐露し、奮起した切っ掛けとなった老人だった。
「────なんだって?」
誰かが呆然と、或いは悄然と聞き返した。
みんなが耳を疑った。
聞こえてくるはずのない言葉に。
それでも沼から這い上がることはできない。
どれだけ否定しても、どれだけ理解を拒んでも、目の前に突き付けられ続ける残酷な結末は姿を変えない。
「【幸せの花】………私が、小さいころ、話してしまったせい………?どうして……私は、坊ちゃまがいるだけで………ただ、それだけで………私は、私が、坊ちゃまを………殺した?」
虚ろな目で、それでも涙を流しながら、ふらふらとした足取りでベルタは向こうの通りへと姿を消した。
誰も声を上げられなかった。
ノアも、凱も声を掛けられなかった。
零れる涙が、感情が、言葉が飽和して、結局「何故」ですべて塗りつぶされる。
無限回の疑問の提示で脳の処理が追い付かない。
何故、どうして、何がどうなって、何で、何を、どうやって。
混乱している人垣から、男が一人歩み出てくる。
「おい、モロゾフ爺さん……あんた今、なんて言った?」
一週間ほど前、ルドルフを茶化していた酔漢が酔いとは全く別の理由で顔を紅くして詰め寄る。
どうして、あの人が、どうして、あいつが。
「儂が、ルドルフに【幸せの花】についてすべて聞かせた。そう言っておる」
────。
────。
────。
「あんたが暗黙の了解を破って話しちまったせいで、ルドルフは死んだんだぞ?なぁ、爺さん。あんた知ってんだろ!?【幸せの花】は絶対に持ち帰れない。求めたものは、死を渇望していて、もしくは近々死ぬ運命にあって!花を持ち帰る前に死んじまうんだよ……!死ぬ運命にある奴の元にしか、その噂話の詳細は伝わらねぇんだよ!だからこその噂だ、だからこその伝承だ!」
何が何だかわからなかった。
世界は凱を置き去りにして自転しているような。
一抹の疎外感を空白の頭の中で感じ取った。
内容が頭に染み込まない。
しかし、たった一つだけわかることがある。
それは、滅亡の引き金を自分たちが引いたという事。
それが形のない焦りとなって凱の心を蝕み、より思考の空白化を推し進めていく。
「あんたが、余計なことしなけりゃ、ルドルフは今も、ベルタの隣で幸せに笑ってたかもしれねぇのに!それを、踏み躙ってよくもぬけぬけと………!」
────もう。
────もう。
もう、耐えきれない。
「────」
矢も楯もたまらず凱は逃げるようにその場から離れ、固まっているノアの手を引いて馬車の置いてある宿屋へと向かった。
一瞥もできない背後では、老人が諸悪の根源として糾弾され続けていた。
その糾弾の声が、両耳を塞ぎ込むことのできない二人の耳に木霊し続けた。
あれから心に整理をつけるために、かれこれ数時間は経過し、陽は傾いた。
ルドルフの死は街全体に広まり、嘆く声と老人を糾弾する声がそこら中で呟かれていた。
ノアが心を空っぽにしながら無表情で荷物を積んでいる間、凱は出歩くことにした。
自分の罪を告白するか、あの老人の親切を無駄にしないために、隠し通すべきか決めかね、神か、運命か、あるいは探偵に事の真相を暴かれることを心のどこかで期待しながら、他人任せな思考に耽っているとルドルフの屋敷の前まで来てしまった。
ルドルフの屋敷の前にも人だかりができていた。
「ベルタと、イザベラ、ルーカス………三人とも死んじまった。首くくって、ルドルフの後を追いやがった…」
「どうして、こんなことに。【幸せの花】なんて伝説があるから………」
「いやいや、情報はただの情報に過ぎない。言ってみれば道具だよ。それを凶器として扱うのは人間だよ」
「ルドルフおにいさん、しんじゃったの?」
遠くから、近くから、右から、左から、上から、下から、到るところから聞こえてくるのはその言葉。
直接糾弾されているわけでもないのに、凱の胸は締め付けられるばかりだ。
そしてそれは、至極当然でもある。
殺したのは、紛れもなく自分たちだ。
否、自分だ。
それなのに糾弾の矛先は自分たちではない。
罪の意識はあるのに、実際に罪も背負っているのに、裁かれている冤罪人を見て、お前はこうなるべきなんだよと突き付けられる。
このクソッタレた世界でも、せめて思い出だけは綺麗なまま残っていて欲しいからなどとどの口が言うのか。
自らの手で、幸せを
結局、世界というのはどこも希望というものはただの見せかけで、死と絶望だけが平等に与えられるという事なのだろうか。
それとも、凱一人に絶望を与えるために、凱の周りの、本来幸せになるべき人々の運命まで捻じ曲げてしまっているのだろうか。
(誰か、気づいてよ。裁かれたほうが楽なのかな。楽になるべきじゃない。打ち明けるべきかな。あの人どうなったんだろう。僕は死ぬのかな。痛いのかな。ルドルフは恨んでいるのかな。何もできない。誰か裁いてよ。夢なら醒めろ。苦しい。息が詰まる。【幸せの花】なんかがあるから、でも────悪いのは全部、全部僕なんだ)
展望が狂い始める。
もう情緒も、心情も、現実と夢の境界線もすべてがぐちゃぐちゃだ。
「坊主」
何も考えたくない。
でも考えて、どうにかしてこの罪を裁かなければ。
(裁かれたいなら、告白すればいい。何故できない?怖い、殺されたくない。裁かれたいのに、何故。ノアはどうなる)
「坊主?」
疑問が、否定が、願望が、諦念が、絶望が、脳内を駆け巡る。
(なんで裁かれない!僕は、裁かれるべき人間で)
「坊主!」
肩をがっしり掴まれて、凱はハッとする。
物思いに耽りすぎて、いつの間にか立ち止まっていたようだ。
肩にはがっしりした手が添えられていて、頻りに揺さぶられている。
肩を揺さぶっているのは酒場のマスターだった。
双頭の虎らしき生物の入れ墨が彫られた腕を凱の肩から外し、
「坊主、こんな所にいるってことは…ルドルフのことについて、知っているのか」
「……。……────。────……。──……──……はい」
本来、応えるのが簡単な問いの答えに窮した。
それは事態が暴かれることへの恐怖であり、罪が裁かれることへの羨望であり、そんな自分に対する自己嫌悪であった。
「大丈夫か?具合でも悪いのか?」
「そういうわけでは……ないです」
「嬢ちゃんの方は……居ないか」
凱の態度で、凡その事態は把握したらしい。
しかし、店主は何を目的に話しかけてきたのだろうか。
顔色の優れない顔馴染みを見かけたから、心配して声をかけてくれたのか。
それとも───
「なぁ、聞きたい事があるんだが、いいか?」
「……はい、何でしょうか?」
「ここじゃ人が多すぎる。そうだな、【客人亭】に向かいながらでいいか?」
マスターはそういうと、返事も聞かずに歩き出した。
追随する凱の足取りは、重い。
屈強な背中に並び立ちながら話ができないのは、店主の歩幅が大きいからではない。
一歩踏み出すごとに歩けなくなりそうなほど凱の足が重くなるのは、決して歩き疲れたわけではない。
「ルドルフは、みんなから愛されていてなぁ。こんな壊れちまって、絶望と怨嗟が渦巻く世界でも、希望に溢れてて……しかも、身近な女の子を幸せにしたいって一番に努力してて、眩しくてそんないい子だからよ、みんなついつい蝶よ花よと育ててきちまった感は否めねぇんだが、みんな過保護になるくらい好きでよぉ」
零れるのは過去の記憶。
「ルドルフの口から【幸せの花】の話が出たときは大層驚いたよ。あの伝承は、死を望んでいる人の間でしか伝わらないからな。どうするべきか考えたんだ。でも、よくよく聞くと、【幸せの花】は手段であって目的じゃないようだ。だからこそ俺らは、そんなものはない、現実を見ろ、と他の手段を模索させようとしたんだ。まぁ、少しでも付け入る隙があると困るんでかなり厳しめで強情な態度だったんで、ルドルフには不信感を持たれて、結構な人数が嫌われたかもなぁ」
奪われたのは明るい未来。
「まぁルドルフが死んでしまうよりも嫌われたほうが何百、何千倍もマシだからな。みんな進んで嫌われ者になってたよ。……悪いな、一人で滔々とくっちゃべっちまって。どうしても思い出話ばかりに花が咲いちまって、なかなか本題に入れないのが俺の悪い癖なんだが……おっと【客人亭】が見えてきたな。本題を話すために中で人を待たせてるから、もう暫く俺の退屈な思い出話に付き合ってくれよ」
そのまま思い出話にばかり花が咲き、二人は【客人亭】に到着した。
そこに初めて【客人亭】を訪れたときに会った使用人が奥から現れ、こちらにと
使用人に先導されるまま、二人は応接室のような広めの部屋に通された。
中には暗い顔をして視線を落としてソファに腰かけているノアの姿があった。
その表情の理由はまだルドルフの訃報が受け入れられていないのか、はたまたベルタやルドルフの両親の訃報を知ってしまったのか凱にはわからなかった。
酒場のマスターはノアの姿を認めると、揃ったなと呟き、ノアの対面にドカリと腰を下ろした。
腰を下ろしたマスターは凱に対してノアの隣に座るように顎をしゃくり、使用人は口当たりのいい飲み物を3つそれぞれの前に置くと、扉の近くで使用人然とした姿勢で直立不動を保った。
凱が席に着くと、マスターは飲み物で渇いた口を湿らせてから、断罪するかのように真実を解き明かしていく。
「これは……俺の推測なんだが……今回の件、どうせあんたらが余計なお節介でルドルフとあの爺さんを会わせた、もしくは爺さんからの情報をルドルフに伝えたんだろう?あんたらも【幸せの花】に魅了されちゃ困るってことでみんな知らないふりをして、危険性を知らせていなかったのはこちらの落ち度だ。たった数日で辿り着くはずも、準備できるはずもなかったんだがな。───どうなんだ?」
「……」
返す言葉もなかった。
ただただ、申し訳なさと絶望と涙をこらえるのに精いっぱいで、謝罪の一言も出なかった。
自分には謝る資格すらないと決めつけていたから。
「弁解の一言もないんだな。…はぁ」
マスターはそんな凱達の様子を見て、嘆息し、ソファの背もたれに寄り掛かった。
「……モロゾフの爺さんがあんたらを庇って矢面に立ってんだ。それに免じてこの件は吹聴したりはしねぇよ。……とっとと失せな、この街から」
「───ごめんなさい」
誰かの為の優しさは、その優しさから漏れた誰かを傷つける。
冷たく突き立てられた言葉の刃に喘ぎながら、宿屋を後にする。
ノアは顔を隠し、何も告げずに応接室を出ていく。
ショックに耐えきれずにまた馬車の中へと引っ込んでしまったのだろう。
凱も正直そうしたかった。
嘘だ、そんなのは虚偽だ、欺瞞だ、嘘だと言ってくれと嗚咽交じりに叫び、地面をのたうち回りたかった。
しかし、それを現実は、そして幾度も絶望を味わった過去の自分が許さない。
そして何より、今の自分自身が自分は悪くないと現実逃避することを許さない。
こんなはずではなかったのだと訴えたかった。
でも、それで何が変わるのだろう。
故意ではないから、殺してしまっても仕方ないよねなどと誰が言えるのか。
それも、関わった人すべてを不幸にして。
誰が何を言おうとも、引き金を引いたのは紛れもなく凱だからだ。
きっかけを作ったのはノアでも、【幸せの花】の情報を聞いたのも、持ち帰ったのも良いことをして自分自身を肯定したいという私情を挟んだ凱なのだから。
だから、凱は黙って耐え続ける。
誹りも暴力も何もかも耐え続けるつもりであった。
しかし、マスターは話は終わりだとひらひらと手を振り、使用人に凱を連れ出させる。
使用人の男は我関せずを貫き通し、宿屋の外まで凱を連れ出すと、リコリスの手綱を凱に握らせ、お気をつけてと使用人に相応しい礼を見せた。
それが、凱を恐怖させた。
使用人然としているが、今の話が耳に入っていないはずがないし、内心怒り狂っているのでは?
そんな疑心暗鬼が、凱の顔を俯かせる。
そのまま凱は、見えない敵意から逃げるように足を動かした。
耐えきると決めたばかりなのに、逃げてばかりだと自己嫌悪しながら。
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