一億払えばあいつを買える

長谷川うたこ

第1話

2020/03/01


j-pop最新ランキングをかける。

ほどなくラブソングが流れる。

空いた時間に短編小説をダウンロードする。

らんらんと恋の話が散らばる。

Twitterを開く。

女と男の話題がニュースの一面をかざる。


どうしてこうも恋の話は見たくない時に目を引くものなのか。

1週間前には共感し心躍らせていた夢物語が、今は排水溝の溜まりのように萎えさせた。私は顔をしかめる。




私には親友がいた。


相手は異性である。

言葉通り、心も体も、全てゆるすほどの仲のいい友であった。

互いに恋人ができたって、そんなこと気にして友達を切ってたらいつか独りになるぞと嘲笑いながら遊んだ。だらだらと買い物にでかけた。目的のない旅行にでかけた。時間がたつのがとにかく早かった。大学入学を期に互いの家はかなり遠くなったが、それでも月に一度は新幹線や鈍行で会いに行った。ここ2ヶ月ほどは私が大学の授業で忙しく、あまり会っていなかったけれど。特別楽しかったかと聞かれると、うまく答えることはできない気がする。極上の幸福感こそなかったが、この緩やかに流れる時間が愛おしかった。



親友、アイツは、とにかく芯の強い人であった。

私はこんなにも自分で物事を決められる人間を見たことがなかった。アイツは世間体を全くと言っていいほど気にしていないように思えた。確かな情報と、利害と、正義。この三つに従っていつも進むべき道をしっかりと歩んでいた。

その性格は時には頑固にさえ思えたが、私はその頑固な所も面白がっていた。

インターネットには未掲載の幻のラーメン屋を探しに、知らない町を練り歩いたのだが、なかなか見つからずに、ついには丸一日飲まず食わずで歩き回っていた。アイツは幻のラーメンを食べるまで絶対になにも食べないと言って聞かなかった。

もちろんそんなラーメン屋など無く、結局はカップラーメンをポツンと立ったコンビニの前で食べた。アイツはコンビニ近くの川から汲んできた水、それも暗くて綺麗かどうかわからない水を、私と自身のラーメンに少し入れて、これでここでしか食べられない幻のラーメンだなあと、下手くそな笑顔を浮かべるのだった。ラーメンはなんだかジャリジャリとした。

そして、アイツは笑うのが絶望的に下手だ。

本人曰く愛想笑いができないだけだ、そこらの嘘つき共とはちがうと主張しているが、痰が絡んだようにガラガラとした引き笑いと、左右均等に吊り上がらない頬や目はなんだか不気味だ。端的にいうと気持ち悪いのだけれど、私にはアイツの心からの笑みがあの醜い形に収まってしまうことを知っていた。

本人には、笑うの下手だね、としか伝えたことはない。どう思おうと自由だけれど、伝えてしまったらこの言葉は容易に鋭利な刃物に形を変えるだろう。親しき仲にも礼儀はある。ある程度に、また、口に出さず、お互いそのことを守っていたような関係も、良かったなあと思う。


とにかく、強く頑固で歪なアイツとの日常が、私にとって日々を動かす重要な歯車となっていたのであった。



そして話は2日前に遡る。その大切な大切な歯車が、ガチンと音を立てて外れ、落ちて、壊れてしまったのであった。



「恋人ができたから、もう会えない。」

今でも自分の目を信じられない。こんなメッセージひとつが読めなくなったのかと思った。一秒間に100回くらい読み直した。


楽しかった日々は思い出として安らかに保存されたりしない。その日々一つ一つが今はろうそくの火のように心の奥底で揺らめき、何かに吹かれ、消えそうにちらついてくる。

幸せだった頃には、私はろうそくが与えてくれる明るさに気付かない。輝く世界、反射で煌めく世界に目を奪われて舞い上がっていた。踏み出す一歩一歩が跳ねるように、力がみなぎった。脈絡のない会話をいつまでだってしていることができた。

とにかく毎日が楽しくて仕方なかった。


だか、この一文で全てが砂の城のように音もなく崩れ去った気がした。時が止まった。みるみるうちに目に見える全てが色褪せていった。まさに血の気が引くといったところか。手先から感覚が消えていく。皮膚がミシミシと硬くなるのを感じる。ああ、どうしてだろうか。どうしてだろうか。

今まで恋を理由に友情を捨てる奴を笑いあった日々はなんだったのか?

恋愛と友情の違いについて議論しあったあの夜は?今までの恋人達と喧嘩しても、私といることをとってくれたあの時間は?

私が尊敬し、憧れて、心底感動した、あの強くて頑固なアイツはどこへ行ってしまったのだろうか?

こんなに簡単に自分自身の矛盾を許すような人間だっただろうか。疑いきれない。私は心底つまらない奴だと思った。嘘つきの最低な奴だとも思った。そんな奴に一瞬でも憧れを持った自分に腹が立った。悔しかった。酷く侮辱された気がした。裸で、炎のごうごうと燃え盛る薪の上で、土下座でもしてもらいたい気分だった。だが、裏切り者というのも、なにか違う気がする。約束などしていないのに。これだから人の言う恋なんて嫌なのだ。信頼を盾に縛り付けるだけじゃないか。


しかし、アイツのことだ。何か重大なことが起こっているに違いない。


私は原因を考えた。

セックスをしていたからか?身体を忘れられなくなったのか?

ただ、アイツは見つけた好みの人をひっかけては楽しんでいるような人間だった。お前より気持ちのいい奴を久々に見つけた、二丁目のクラブによくいる人だ、とわざわざ言ってくるような人間だ。忘れられないから離れるなんてことはないだろう。忘れることなんてたやすいだろうに。

いや、友達とはセックスしてはいけないのか?セックスには恋愛的な感情を、それもただ1人のために注がなくてはならないのか?

なんだか、最愛の人のみとしかセックスをしてはいけない決まりがあるように思える。

なぜだろうか?所詮は本能に基づく欲求である。最も気持ちの良い状態を求めるのは自然なことではないのだろうか?他の人々には、寝具を変えたり、料理を選ぶのとはまた違って見えているのだろうか?恋愛とは、2人の人間の欲求を満たす物を、限定することが大切なのか?身体の隅々を見せられるのはあなただけという、排泄腔を用いた信頼の確認なのか?


しかし、私はこの感覚が他人と違う、変な感覚であることを肌では理解している。そのために、恋人ができた時は一から説明して、理解を得るようにしている。最近できた恋人にも伝えた。

私は恋人というのを、かえってくる場所だと思っている。敵のない、あたたかで、安心できる場所。私は出来るだけ恋人に刃を向けない。たとえ間違ったことをしていようと、世界で唯一の味方でいたい。愛の鞭など嘘っぱちだ。恋人という名目を理由に、鋭く尖った自分の正義を首にあてがい、いうことをきかせる。自分自身に相応しい型にぎゅうぎゅうと押し込める。そんなことはしない。恋人の考えを紐解き、出来るだけ汲み取り、両手でだきしめる。それだけでいいのだと思う。恋人だからって予定を優先したりはしない。予定は、先に確定した順番に決まっていく。そんな人間だから、分別のつく人が好きだ。



私がうだうだと理屈をこねくり回していても、何も状況は変わらないだろう。そう思い、真相を確かめるべくアイツに電話をかけた。


「もしもし、私だけど」

「なに」

「あんなに友情を切るのはうんぬんとか言ってたあんたが、彼女ごときで私との縁を切るの」

「お前だって、彼氏できてから会わなくなったじゃん」

「彼氏?期末の公開プレゼンにむけてリハーサルとチェックが多いだけだよ」

「へぇ、そう」

「言ったじゃんか」

「そうだっけか」

「うん」

「へえ」

「まあ、そんなことよりも、いつからそんなつまらん人間になったの、嘘つき」

「いつからかなあ。まあ、俺はきっと昔っからそんな奴だよ」

「私は今までこんな奴と笑ってたのかって寒気がしたわ、嘘つき、クズ。今まで嘘をついた私のことを怒ってきたじゃんか」

「3回も留年して休学重ねて、就職もしないって時点でクズなのはわかってるだろ」

多分今アイツは、あの歪な笑みを浮かべている。

「そんなのは勝手にあんたがいいと思って決めたんでしょ、知らないよ。でも決めたことは曲げない奴だったのに。私が嘘つくと怒ったくせに。嘘つきじゃんか。」

「そうだなあ、ごめんな」

「ばか」

「知ってるだろ、馬鹿なんだよ」

「寂しかったんでしょう、かまってくれる同期も後輩もいない抜け殻の大学生活に、不安になったんでしょ。」

アイツはなにも答えない。

「図星かあ。間抜けだなあ。見てらんないよ」

「うーん。無意識にやってた。ただ、確かに図星だな」

「またすぐ飽きて前みたいに浮気だのなんだのって詰め寄られて走って逃げる羽目になるんだから。」

「あれはちょっと楽しかったな」

「あんたあの時信号全部無視して、ハリウッド映画みたいになってたじゃんか」

今はお互いに笑い合えてる。しかしアイツは次の言葉を発そうとしない。

「じゃあさ、私があんたの未来を買おうかな、そしたらもう縁なんて切らないでくれる?」

「いくら?」

返事が早い。電話の奥からガラガラと汚い笑い声が聞こえた。金の話をすると本当に楽しそうだ。

「一億」

「おお、わかった。」

「うーん、やっぱ一千万じゃだめ?」

「安いぞ。馬鹿野郎、価値観腐ってんのか」

「わかったよ嘘つき野郎、馬鹿」

この後、さびしんぼうの嘘つき野郎とは、たわいもないことを2、3こと話して電話を切った。


大親友を買うために一億を稼ぐ人生が始まってしまった。

さて、私は、愛と欲に溺れた馬鹿な雌か、友達思いの優しい人間か、どちらなんだろうか。

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