第3-5話 朝日を作ったわけは、浮動す
夜も更けた頃、黒いコートに身を包んだ者が偉大なる猫の作業場を訪れた。
猫は煙草を吸い、今日の自分の仕事を眺めて満足気だ。作業で汚れたツナギは所々補修の後が目立つが、彼に良く馴染む。
灰色の工具箱の上に置かれたマグカップには中途半端に茶が残っていた。けれども茶渋は残っていない。猫の作業場には、余計なものが全くといってなかった。
「俺が作ったんだぜ、安心しろよ」
「GC、いつも悪いね」
黒いコートを脱ぎ、顔を出す。犬だ。
「その名では呼ばないでくれよ、日雇いのフェク時代を思い出しちまう」
病んだ太陽の下にいるはずの犬でも、見知った顔なのか猫は親し気だ。
カップに残った茶を飲み干して、端のシンクに置く。何か飲むか? いいや、大丈夫。猫は天井が気になるのか、チラリと目線を動かした。
「工具見てくれ。手短に済ませようぜ」
偉大なる猫はやって来た一匹の犬に新しく制作した工具を見せる。
猫は◆QUBIC - D◆と呼んでいた。刻印されているのは偉大なる猫の可愛らしくも威嚇した顔だ。猫規格の基準は緩く、作者の刻印であれば何でもよかった。
「そうだね、ニエム。いいね、なんか頼んだものと違うけど」
「わざとやってんだな。まあ、いいけどよ」
その犬は艶やかな黒い毛並みのシェパードの雌、はっきりとした目とスッとしたマズル、はっきりとした顔立ちと共に凛々しい感じがしたが、声は小さく自信がなさそうな様子でそれを手に取る。
「壊せ、汲み取れ、積み重ねろ。組み替えるにはこのハンドルを回す。遺伝子を組み込み、変性させるにはボタンを押し込む」
4角型の柄は手に馴染まない。先端で4本に分かれ何か把持できるように40㎜だけ突起が出ている。柄は先端を回せるようユニバーサルジョイントで繋がっていた。
風車のような形をしているからかシェパードはそれをくるくると回そうとして回らずに残念そうな表情を浮かべた。
「大体要望がざっくりし過ぎてんだ、あの陽を変えるなら自分たちで考えろってんだ。マータ、もう来るなよ」
「握り潰されてしまうからね。だからこうして密かに来たの」
◆QUBIC - D◆の先端部分は柄と異なり黒い合金で把持する大きさが経時的に変化する。陽を操作するには常に大きさが変動するものでなければならない。また、とてつもなく熱に強くなければいけない。
この工具は使用者の意思によって自在に動く。トルクを発生させる機構は柄の中央に挿入された黒い棒材で押し込まれ巻かれた猫
特殊な用途の為か、偉大なる猫も少し手を焼いたようで、別の作業台には似たような形の工具が置かれていた。それらは全てスプレーで✖印が付いている。
「これで、陽をちょっとだけ貰えれば、あとは大丈夫だから」
「へっ、しっかりやれよ。扱い方はいつもの通りだ」
偉大なる猫はシェパードのマータに手を差し出す。
「頼んでおいたもんは用意してくれたか。まさか忘れたなんて言わねえよな?」
「無理だった、だからね……っ、あぁ」
そう言うが早いか作業場に血走った眼のチワワが十数匹現れる。ある個体は天井から、ツールボックスから、車両から、いつの間にか入り込んだ彼らは等しく唸り、偉大なる猫に強い敵意を向けている。諦めた様子のマータは動けずにいた。
小さく凶暴な彼らはやや統率力に劣る。それを補うために体に機械を取り付けられていた。加圧式の黒いスーツに身を包み、その眼光は機械的だ。
「腕1つなら喰ってもいいカ」「死ななきゃいいだろウ」「どうして殺させなイ」「こんな畜生は殺セ」「阿呆な雌犬メ」「愚かだナ」「死んじまっテも責任はコイツサ」「やろうゼ、早く早く早ク」
彼らの声にはノイズが混じる。食欲と殺意の牙が隙間から覗き、その腕には黒い銛が握られている。
猫は表情を変えない。大量の
感情のままに口走るチワワ達を見えていないように振舞い、作業台に乗る。その周りを円状に犬が取り囲む。
「だろうなぁ、来る時見えてたンだぜ、
「ごめんね、失敗が多くてさ。ッッ……痛いな」
マータはチワワ達に荒々しく拘束され、首に小さな咬み痕を付けられる。彼らが噛み付くことで小さな鍵が体内に挿入される。
その後に拘束具のロックが掛かったことを示すランプが青白く点灯する。体をきつく締めつけるベルトは適当に巻き付けられたが、彼女の身動きを封じるには十分だった。
「大人しくしてロ、殺すからサ、行ケ」
出入口を塞ぐように立っていたチワワは汚れた茶色の
彼女が持っていた
「殺セ」
それと同時に一斉に飛び掛かるチワワ。作業台の上の猫に向けられたのはやはり銛で、先端が撃ちだされる。黒い何かが流れ込んだそれはひゅぉぉ、と空を切る。空しい音だけが飛来する。
当たろうが当たるまいがそれは変わらない。猫は作業台の上で笑う。
「俺が作った場所でそれはねえなぁ」
動物が反応出来ないほどの速度で撃ちだされたが、猫を貫くことはない。
くぅわしゃ、どぷぅん、と銛は猫の1メートル上で交わり絡まる。そして影のように等分されてチワワの元へ戻る。
「殺セ、喰らエ」「
叫び、吠え、唸り、チワワ達は素早く飛び掛かる。
撃てないのだから、喰らいつくしかない。判断は早かったが、何故そうなったのかを考える余裕はない。
一度捕まってしまえば猫の命はない。
しかし、飛び掛かってきたチワワ達も先ほどの銛と同様に猫がいた場所の直上でぶつかる。チュワ、ンンンンン……。同士討ちが防げず、一体だけその場で目を見開いて動かなくなった。彼らの武器は黒い銛と多種多様な牙だ。
毒や熱、鋭く、噛み付くものもいれば、口から突き出るようにされたものもいて、襲われれば気が抜けない。小さく、素早く、そして数の多さで蹂躙する。
ただ、それでも犬であるから、機械の力を借りても偉大な猫を仕留めるのは難しい。飛び掛かったヤツも、様子を見ていたヤツも、猫を見失った。
「駄犬どもじゃ分からねえよな」
猫は姿を消し、声だけが残る。チワワどもは分からず怒りに任せて吠える。そしてすぐに作業場の電気が消え、天窓から月の光が注ぐ。機械的な犬達の目だけが光っている。小さく甲高い耳障りな犬の鳴き声が作業場に響き渡っている。
「消えタ、そんなはずはなイ」「探セ」「見つけロ」「消えッ……」
その最中、一番裏口に近い場所を塞いでいた一匹が倒れた。猫でなければ出入りできないその入口は既に固く閉ざされている。
猫が素早く動いたとしても、その姿を見られずにそこまで到達することは出来ない。どのようにして移動したのかは不明だ。
「カラクリも知らねえ犬に捕まえるのは無理だぜ」
猫の声だけが残り、部屋の窓にもシャッターが下りる。チワワどもは作業場に閉じ込められた。床面から漏れ出す煙と冷気。無味無臭だったが、彼らは途端に慌て始める。
「そこダ、行ケ、行け」「ちくしょウ」「早ク追ウ、襲エ」「あれハ、動いテいなイ」「逃ゲなけれバ」「ドクだ」
遅れてチワワ達は出口に殺到するが、施錠されてしまい扉は開かない。
噛み付き、牙で破壊しようとするも、その毒も熱も、鋭さも弾かれる。
「射テ、壊せ」
すぐに態勢を立て直し彼らは入口に向けて銛を撃ち出し、黒い先端は壁にぬるりと入り込む。どぷぅん、きゃ、きゃ、と厚い鉄板がねじれていく。
そうして穴が開く。くぅわしゃ、と銛の先端が戻った時に入口は穴だらけになり、素早くそこから飛び出したチワワたちは猫を探すため、殺すために、音もなく散開し、影に溶け込んで消えていった。
*****
マータは茶色の斑のチワワと共に、どこかへ連れて行かれている。
小さめの車両に無理やり押し込められた彼女は片目から血を流している。
車両の後ろで雑に転がされて、荒い路面の振動をもろに受けて
「理解シたナ、前からオマエを追ってイタ。腐ったメスイヌ」
このチワワはゼ、と言う。趣味は目を盗むことで、彼の住処には多くの目が、犬猫問わず保管されているとの噂だ。
犬たちの世界に必要な目。片目だけではほとんど役に立たなくなる。使い物にならない犬たちの行き場はまことしやかに囁かれたが、本当のことを知っている者はいない。
ただ、そこへ連れて行かれれば、帰らない。
だから犬たちは目を失わないように細心の注意を払う。機械の仮面を被ったり、どうやっても目を奪われないような工夫を凝らすようになった。
「陽を盗ム。これから死ガ、オ前を刺ス」
マータは気付かない内に目を抜かれていた。小さく唸り、耐える以外にない。
連れて行かれる場所ははっきりとしている。私はそこから戻らないだろうと彼女は覚悟をしようとしたが、弱弱しく鼻を鳴らし、惨めな格好で転がされている。
「ン、ン、ン」
車両の目の前に突如現れる巨大な岩。車両は止まらず、そのままぶつかる。
派手な衝突音もなく、ぬるりと入り込む車両。チワワたちの銛と同じような性質を持っているのか、止まることはない。
「ン、ン。猫か」
岩を抜けた先でゼは何かに気付く。車両を止め、周囲を睨んだ。
山道に続くこの道は周囲は木々が生い茂り夜半過ぎというのも味方して車両のライトで照らす先以外見えない。
しかし彼には関係が無い。ライトがあろうがなかろうが、視界に映る全てを捉える。そのように機械を取り入れたのだから。
「準備ガ悪イ。だかラ、進言シタ。勝手にしロ」
不服そうなセリフからはいかなる感情も感じられない。ゼは犬の方を向かずとも何が起きたのかを承知していた。
時間の無駄とばかりにすぐに発進させて先を急ぐ。今度はライトを消して、滑るように消えていった。
犬は車両から消えていた。
しかし、ゼは何もしなかった。車両には新しく床面に空いた穴だけが残る。
車両は速度を変えずに進んでいった。犬たちの都市からも、猫たちの自然からも離れ、巨大な山の麓へ続く道の途上で彼はどこへ向かっていたのだろうか。
「ど、どうして?」
「少し傷むが、我慢してくれよ」
偉大なる猫はマータを助けた。岩を抜ける際に車両は周囲を流体として扱える。そして、猫にとって流体はほとんど生まれた時からそこにあるものだ。
流体化すれば配向性が崩れる。それを利用すれば、車両に穴をあけて犬を助け出すのは造作もないことだった。
猫が精密ピンセットをマータの首に差し、ぱちりと音が鳴る。埋め込まれた鍵が壊れて拘束具が解け、縛られていた場所の毛が荒々しく毟られジグザグ模様を作っていた。
「ああっ! こんな、こんな目に」
「まずは戻ろうぜ、その目も困るだろうしな」
猫が合図をすれば姿を現す猫バイク。肉球刻印のエンジンは力強く燃焼を続ける。
ここに留まっているのは危険だ。いつ残りのチワワどもがやって来るか分からない。猫はマータを支えながら、後ろに乗せてやる。
「ごめんね、迂闊だったばっかりに」
「気にするなよ、長い付き合いだろ」
深刻そうな様子もなく、猫はいつもと変わらない。傷ついたマータのために少しだけ気を遣っているが、必要以上に悲しんだりはしないのだ。
「ありがとう、ノル」
「こんな時まで、どうせ覚えてたろ?」
バイクを煽り、来た道を戻っていく。
もう、マータは戻ることは出来ない。猫の作業場も使えない。
偉大なる猫は、どこへ向かうのだろうか?
~~つづく~~
猫小説 釘 @meet_spike
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