第3-3話 朝日を作ったわけは、

「うぁ……くそ」

 ビークが目を覚ました時、そこは暗闇に包まれていた。

 彼が知覚できるのはごうろう、ごうろうと聞こえる広い空間を響く何かの音。体を横たえているのは冷たい鉄と温い鉄の狭間を感じる。

「やっぱりは無くさねえといけないんだ」

 ビークは這う。ごうろう、ごうろう。体をまさぐると、何も持っていない。

 鋳造の手も、ザックもない。

「ここは、、、はぁ」

 周囲に何もないと分かると、ビークはゆっくりと立ち上がる。

 上を見ればかすかに巨大な物体がゆっくりと大きく動いているのが見える。目が慣れて来た。リベット止めされた壁面と平行に動く。

 彼には一つ。この場所に思い当たることがある。

――処理場。

 猫と深い関係を持ったものが都市に戻ったとき、都市に明確な疑問を持ったとき、骨人形に逆らったとき。

 そして、太陽中毒が治療できないところまで進行してしまったとき。

 犬、人間、骨人形、小動物。その全てが平等に消えていくとされる場所。

 ビークは都市で生活していた時に、隣人のマスィタに話半分に教えて貰った。

――知ってるか、この前いなくなったジェイコブなんだがよ。

 住む場所と労働は紐づいている。隣人もジェイコブもビークの職場仲間だった。

――骨人形と一緒に逃げたってんで、処理されたらしいんだ。

 時折現れる骨人形と人間の逃避行。ビークは「よくある話だ」と思い、悪化し始めた太陽中毒を考えれば同じ末路を辿るのだろうと不安を感じていた。

 何とはなしに共有されている噂だったものの、太陽中毒の恐れや『我らタンパク質は再利用されなければならない。』そんなデモ行進で騒がしかった日に聞いた話だったから、ビークの記憶にはっきりと残っている。

「何か聞こえるな――処理される!」

 大きく響く空間の音だけでなく、鉄を掻くような音が不規則に跳ねる。

 何かがいる。それはビークに近づいている。

 彼は慌てて駆けだすも、次の瞬間には足を止めていた。

「待って、くれ。猫も太陽も知らないんだ‥‥」

 跳ねたなにかが、きやぁんと音を立てて目の前にいる。おぼろげながらその姿は人のように見える。

 ビークが弁明のため言葉を続けようとすれば目の前のなにかから腕が突き出される。それは乱暴に彼の肩を掴み、ゆすぶった。

「なあおいここから出してくれよぉ! なあ! なあ! あぁ!」

 暗闇から浮かび上がる整えられた髭面と酷い斜視のが縋りつくように、甲高く悲壮感のある声を張り上げる。

 ビークはそれを振りほどこうと突き出された腕を掴んだ後にまさかなと固まる。その顔に心当たりがあった。

「デモ行進の男! 落ち着いてくれって、頼むよ」

 社会の課題をつまびらかにするためのデモ行進。全ての物を再利用、再生産、余すところなく使い尽くす。それだけの価値があるのだから<処分>という制度はおかしいだろう。

 そんな抗議の中心に立っていた男。というのがビークの認識だ。

「””これが““ 再利用! 再生産! だなんて!」

 それだけ言うとそのきかいは上を向き、すぐに頭をぐらりと下げてビークに寄りすがろうとする。そして力の入っていない腕が彼の肩から落ち、うなだれた。

「んん。だ、大丈夫すかね」

 男は体の側面のライトを柔らかく光らせており、少しだけ周囲がはっきりとする。巨大な物体は振り子のようで、偏心しているのかこの場所の壁面を沿うように回転していた。

 動きは変則的で、早まったり止まりかけたり。

「ビーク君だね。どうだいこの体は、再生産というのは怖いぞ」

 声を掛ければすぐにシャンとして演技めいた顔で微笑みながら答える。

 そして、ある一点をライトで照らし始めた。

「あんた、だれ?」

「俺はピヴェール。ピーヴォと呼ばれる。先ほど見た通り、頭と体のインターフェースがろくでもないせいで不安症だ」 

 ピーヴォは無理やりに頭部が接合された骨人形だ。人間の頭部と素体を用いた骨人形化は非合法な行為として、都市では禁じられている。

都市管理機構Peak to Peakはやっぱりウソつきだった」

 ビークが口にした組織は上から下までPeak to Peak全てを見ているから、そのように呼ばれる。都市に対する全ての政を扱う大きな組織で、そのほとんどは犬達が取り仕切り、ビーク達が知る所は少ない。

「そんなことよりも、ここから出してくれ、ほらああそこに出口があるんだよおぉ!」

 ピーヴォはまたすぐに取り乱し、先ほどから照らしている一点を見ながら叫ぶ。

 小さな作業口があるような、ないような。ビークの目ではそこに何があるのかは分からない様子で、暴れようとするピーヴォを取り押さえる。

「やめようぜ、行くからさ。ピーヴォ―、ここはどこなんすか」

 力では敵わないがビークは彼が自身に害を加えられないことを知っているようだ。暴れていても、押さえられればすぐに静まる。

「振り子式アンカーの下だ。回すことで太陽の発散を止めている。その下に、どこ、もここ、もない。だから、出口もない。出口もないのにいぃぃそこあるんだよお!」

 そう思えばすぐに叫び、地団駄を踏む。感情のふり幅がとても極端で、自身に制御出来ないもどかしさも相まってピーヴォはがちがちと歯を打ち鳴らしてもいる。

「頼むよ落ち着いて欲しいんすよ、だってほら出口あるんすから!」

 ビークは頬をぺちぺちとやり、それでも恐慌状態は変わらない。じたじたとやっているピーヴォ―はまた別の方向をライトで示し、何かを伝えたいようだ。

「ほら、あそこすよね。落ち着けって」

 ただそれにビークが気付くはずもないので、闇雲にその光をピーヴォの言う出口に向けて合わせようと空しい努力を続けた挙句、掴んでいた腕が折れてしまった。

「あっ。すまないです」

 驚いたのか拍子抜けしたのか、彼はそう言って押えていた腕を放してしまう。

「取れちまった!!! 取れちまった!!! 取れちまった!!! 出口が取れちまった!!!」

 それで恐慌が収まるわけもなく、ピーヴォは叫びながら走り出して暗闇の中へ消えていく。残された腕はまだ点灯している。

「だーいじょうぶだって。俺がいるってことは」

 工業製品なら穴はある。ビーグルは機械的漏洩ろうえいを気にしないぜ。とは偉大なる建築家にして芸術家である猫の言葉だ。ビークは彼の作業場で仕事を始めてから、学ぶところが多かったのである。

 また、ビーグルは技術的なものに長けている犬種と知られていたが、肥満しやすい体質も相まって沢山は働かない。体を動かさなければいけないからだ。

 だから、必然的に詳細を確認、検討するのは別のものの役目となる。そこに隙があると作業場のイエネコは知っている。

 人間たちが知らない、この世界のことを沢山知っているのだ。

 犬たちの社会、骨人形たちは人間に向けて何も教えてはくれないから、ビークにとっては新鮮だ。落ちていたライトを軽く持ち上げるとこの場所の全体を軽く照らし出す。

「振り子式、アンカーね。この下の空間は機械的ろうえいってことか」

 ごうろう、ごうろう。

 飛行船ほどの大きさの物体の振り子はただただ運動エネルギーの使用先というだけでなく他の用途もありそうに見える。振り子をよく見れば溝や小さな光が点っていて、単なる質量と違って見えるからだ。

 周囲を照らしてみれば、壁面は窒化処理された鋼の滑らかな曲面が広がっている。リベットや溶接の跡が見えないところを見ると、巨大な一枚のパネルで作られているようで、どのような工場で作られたのかビークには想像もつかなかった。

「わっからねえすね」

 壁沿いを照らしてみれば、誰かが住んでいたような跡がある。ぼろぼろの布と、空になった幾つかの容器が転がり、壁面の一部は何かが叩きつけられたか、被膜の上にこびり付いた固形物が見えた。

「壊れちまったんだああぁ! お願いだ!」

 遠くからはピーヴォの悲痛な叫び声が聞こえる。ビークは付近にめぼしいものがないのに納得すると、叫び声の方に歩を向ける。

「ああなるのは辛いすね」

 ごうろう。ごうろう。病的な陽は巨大な機械によって支えられている。


「なあなあここどこ?」

「オレたちみたいなのがいない」

「ちいさいほねにんぎょう、いたね」

 鼠たちは隠れていた。工場を歩き回る骨人形の目を上手く避けようと無計画に歩き回った結果、出口すらも分からず三匹が固まっている。

 彼らは工場に存在する機械的漏洩――雑な建築と劣化によって生じた隙間――を使って見つからないように進んできたのだったが、当初の狙いも忘れてしまいどこへ行くかも分からなくなっていたのだ。

「壊れちまったんだああぁ! お願いだ!」

 先の方からピーヴォの叫び声が聞こえる。気付かない内に深くまで進んでしまったようだ。

「うるさい」

「リーダーよりはマシだよ」

「たぶんでられない」

 鼠たちは顔を見合わせてその場限りの意思合わせをする。それもすぐに頭から抜けてしまう。そうしてこんな場所まで下ってきた。

 工場の地下に作られた病的な陽を維持するための装置。骨人形しかいないから鼠たちが入るくらいの傷口があっても問題はない。

 鼠程度の生き物でどうにかなるような代物でもない。それに、小動物はいつでもどこにでもいる。そんなことを気にするのは猫だけだ。と、犬達も骨人形も考えている。

「でもきっとでぐちはわかるよ」

「でれないのに?」

「ほらここから」

 そうして鼠たちは小さな亀裂からピーヴォのうずくまる傍に現れる。

「ほら、手を持ってきたんで」

 と、ビークが近づいて来たのと丁度同じタイミングだ。

「おまえ、なぜここに」

「てはどうしたんだ」

「たべものあるか」

 目ざとくその姿を認めた鼠たちは彼の肩の上をにぎやかしている。

 ビークは少々驚いたものの、私服であるツナギのポケットをまさぐる。どれどれ、これなら。そんなことを言い、いつ入れたのか分からない埃まみれのナッツ類。

「「「おおー食える」」」

 などと必死になる鼠はビークの掌に乗っている。小さい。

 彼は鼠たちがゆっくりと食事にありつけるよう、そのまま地面に下ろしてやる。

「どこから出て来たんすか」

「したみてきれてるうまい」「ほんとうまい」「てがないなうまい」

 なるほどビークが足元を照らしてみると、鉄板の継ぎ目が裂けている。鼠などの小動物であれば通れるだろうか、どうやら錆が侵食しているようで触ればボロボロと剥がれていく。

「ここから脱出可能ならばいいのだが。錆が広範囲に侵食していれば崩落が狙えるかもしれない。少し、離れて貰えるか」

 つかの間の正気。恐慌状態から抜けたピーヴォは裂け目に腕を突き入れて引き上げる。うぎぎ、ぴゃん、ぐきゃきゃ、奇妙な音を立ててめくれ、彼の腰ほどの高さまで持ち上がり、そこから折れ曲がって止まる。

「水が垂れてるってのは、どうしてすかね」

「触れるなよ。ここに何か溜まっている」

 水。ビークはそう言ったが、その水は銀色の何かが含まれていた。生き物のように水滴の中を舞っている。

 それは平坦に見える床を這い、ピーヴォが捲った錆びた20t20mmほどの鋼板の次に見えた金属で、歪んだ油の滑やかな色合いをしている。

 銀色の粉末とも液体ともつかぬ何かが工業用水に混じり、その金属の面から滲み出ていた。

「やはり、出られない……」

 もちろんピーヴォはそれに落ち込み、今にも叫びだしそうだ。

 液体は端を伝って流れていく。それは暗闇の中でも淡く光っていた。

「なあ、ここって」

「さけばないひみつをおしえてあげるよ」

「ここだぜ、でられず」 

 鼠はピーヴォの上に登っていき、笑う。小さな手を彼の頭の首の接合部に当て、こつこつとやり、配線が飛び出ていないのを見ると残念そうに彼の頭に登っていった。

「やめてくれえ。出口がないんだ! もうないんだからあ!!」

 またも騒ぎ始める。

 ビークはピーヴォが開いた鋼板の先を見ていた。彼の外れた腕を使って、しつらえたように出来たひび割れ鼠道とその上の金属。

 鼠道に液体は伝っていなかった。鋼板を開いたから、漏れ出したように見える。

「ふーん。なんだろうな、これ」

 ピーヴォの腕でつつく。ぐるりと入り込む。金属のように見えたが、柔らかく腕が入った。

 ビークは驚いて手を放してしまい、腕はそのまま内部に消えていく。

「なんだあ。これ分かりますかね」

 危険を感じてビークはピーヴォと鼠たちに向き直る。うずくまる彼は騒いではいなかった。代わりに何かをじっと見ている。

「ひみつだからねこれ」

「でもでれねえ」

 ビークが肩に小さい熱を感じれば一匹が楽しそうに言った。

「なあそれしってるかけいほうだ」

 膨れ、膨張。金属のように見えた地肌からレンズが顔を出す。そのレンズはトンボの目玉の様に一面に現れてビークや鼠やピーヴォ、そして流れる液体を観察している。


 ごうろう、ごうろう。

 固まっているのは肉だけだ。動いているのは機械と金属ばかり。

 ごうろう、ごうろう。


 観察していればそれらのレンズが液体の中に含まれていた粉末だと分かる。流れている液体は赤いランプを点灯させ、壁際を伝う。

「ああうるさい! 警報を鳴らしたな!」

 ピーヴォは地面の観察を止めて忌々し気に声を上げる。そして、液体の流れる先を見て何かを発見したのか駆けだしてしまった。

「あーおちるー」

「きれいにな、おちるんだ」

 その素早い動きに反応できず鼠は振り落とされて一匹はランプの上に乗って跳ね、もう一匹は体を捻り一回転して着地する。運が良かっただけだったが、鼠は誇らしげだ。

「ほねにんぎょうくるぞ」

「警報はヤバいすね、どうしよっか」

 ビークに今の状況を変えられる案はなかった。危機感がなさそうに鼠を撫で、ピーヴォは、

「ここだ! ここだ! ぶち壊してやる!」

「あっと、ランプも危険だ」

 そうして遅れて聞こえて来る叩きつけられる金属音。ビークは鼠三匹を肩に載せて急いでそちらへ向かう。

 ランプの点滅が早まり、指先くらいだったランプも掌ほどの大きさになっている。

「ででくるぜほねにんぎょう」「て、どうした」「はらいおとししよう」

 壁面は凹む。液体は彼が叩いている壁面の下を伝い、壁面を四角く覆うようにして固まり、ピーヴォの残された片腕が振るわれると弾かれてしまう。

「大丈夫すか、これ扉じゃないすか」

「ちくしょう、骨人形が来る」

 液体に覆われたかと思った壁面はシャッターに変わり、ガシャガシャと上がっていった。

 外側に数名立っている。ピーヴォと同じ脚が見える。骨人形だ。

「ちくしょう。なあ鼠、あの秘密を骨人形にも教えてやれ」

「うえーしかたねえ」「やるかやるぞ」「いいかいしずかに」

 その秘密とは何だろうか。ビークには知る由もないが、ピーヴォの指示を聞いて鼠たちはシャッターの隙間から骨人形たちへ走っていく。

「サッと逃げよう、それしかないすね」

「待て、やつらがなんとかしてくれる。逃げるなら、私のアジトへ行こう。払い落しもしたいんだろう?」

 そういうなり、ピーヴォは腕を構える。

 シャッターが開ききると武装した骨人形が3体立っていた。彼らは目の前にいる者を認識すると、話しながら銃を撃ち始める。

「ピーヴォ様ここから出てはいけませんよ居てはならない存在は消さなけれ」

 その瞬間にピーヴォは素早く飛び込み、銃声と光がすぐさま襲いかかる。勝ち目はない。ごぅぁあんと硬く重い音が1度、そうして銃声は止む。

 それで終わってしまった。脇に隠れていたビークは息を飲み、諦めたように機微を振ってそろそろと壁に背を向けて両手を上げる。そして3回、同じように硬いものを叩きつける音が聞こえた。

「何をやってる、早く来るんだ」

「へ? あれ、生きてますね」

 ピーヴォが戻ってきてビークに声をかける。彼の細い体は一部欠けていたものの動くには問題がなさそうだ。

 不思議に思ってビークが見てみれば骨人形は倒れている。それも頭部がひしゃげて、三体とも機能停止していた。

「ほねにんぎょうたんじゅんだからな」「くうものくれ」「てきとうなきかいだ」

 鼠はビークの肩に登って、首回りを回ってみたり、少々得意になっている。

 彼らが骨人形に何か細工をした。それだけは分かる。

「秘密の正体見つけたり」

 不敵に笑って見せ、鼠は驚く。

「ばれたか」「くわしいんだおれたち」「くうものとてだ」

「逃げるぞ、ここから」

 今のところ、ピーヴォは落ち着いている。ビークを急かすように肩を叩く。

「知ってるんすか?」

 何を言っているんだ、といった風に彼は駆け出す。警報はビークの耳には聞こえないが、鼠たちも

「いそげくるぞ」「あいつねずみみちしってる」「はやく」

 少々焦りを見せている。鼠たちはこうしたことで焦ることはあまりないが、あまり急いた様子のないビークを急かすため、彼の首に甘噛みする。

「いって。分かってますって、急ぎます」


 白く幾何学模様が入った廊下を小走りでピーヴォの後を追う。

 今は逃げる以外にない。腕を奪われた猫のお使いはその後でどうとでもなる。

 ビークは危機感なく、そんなことを思っているのだった。

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