スイングバイバイ

新座遊

折り返しの数々

日本海海戦。東郷平八郎は、バルチック艦隊の目の前で、Uターンをすることで、勝利を収めたという。これは結果オーライの典型であり、Uターン中の集中砲火で致命的な砲弾が当たらなかったからこその勝利である。


Uターンが必勝の戦術と考えるのは早計だという教訓でもある。それを踏まえたうえで、俺は、田舎にUターンしようとしている。

都会の暮らしは、目まぐるしくも煌びやかで、鮮やかな色彩に過呼吸を起こしそうになる。若いころはそれが楽しかったと言えるが、浮ついた雰囲気にエネルギーを注ぐだけの気力が、徐々に失われつつあることを自覚したとき、まるで周回魚の悲しみのような切ない気分に襲われたのだ。

問題は、Uターンすべき田舎が、どこにも存在しないことにある。俺の田舎はどこなんだろう。


惑星探査機のボイジャーが、外宇宙に向けて進んでいくとき、エネルギー節約のために、方向転換のために使った技がスイングバイである。木星の重力を使って、推進方向を土星に向けて加速したのである。

Uターンとまではいかないが、まあターンではある。自分の力だけではどうにもならないことでも、他者の力を借りれば、もう少し元気になれる、という事例と解釈しよう。


俺には頼るべき他者の力がない。いや、本当はあるのかも知れないが、スイングバイの計算を怠っていたので、気づいていないのだ。だから、誰かに俺の田舎を探してもらうということに思い至らなかったのだ。


ターンで思い出すのは、レイテ沖海戦での、謎のUターンだ。

大和を始めとした強力な艦隊が、敵前でUターンしたという謎。艦隊司令長官だった栗田中将に対する批判が、戦後も続いたが、俺にはどうしても中将のせいとは思えなかった。戦略の失敗を戦術の巧緻で取り返すことはできない、という大原則に従えば、中将は最大限の努力はした、と言わざるを得ないからだ。

Uターンせずにそのまま進んだとして、果たして勝利を得られたか、というと、絶対にそんなことはない。戦略的にすでに負けていたからである。


俺は都会の暮らしに、戦略的に負けているのだ。

だからUターンしよう。帰るところがないとしても。


天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも


時代は遡って、奈良時代。阿倍仲麻呂は、遣唐使の一員として、大国の唐に留学した。きわめて優れた人物だったようで、唐朝の官吏に推挙され、高官である右散騎常侍に任じられたりもした。

これは唐という国の懐の深さもあるのだろうが、当時の中華からすると田舎者の阿倍仲麻呂が皇帝の側近になれるというのはなかなか興味深い話でもある。

で、Uターンである。

阿倍仲麻呂さんは、結局のところ、田舎へのUターンを叶えることが出来ず、異国の地で没した。しかしここまでくると、唐を異国とするのは言い過ぎではないか。もはや祖国と言ってもそれほど違和感がないレベルでガッツリと唐で仕事をしているのではないかな。

月を眺めて日本を想う、という解釈をするのが普通だが、俺の感覚では、月を見て、スイングバイをして、さらなる高みを目指した、ということなのではないか。いや、根拠はないが。


俺は月を見上げる。ベテルギウスの残滓が月の明かりに被さって、祭りの後のような静けさを感じる。

俺はどこに帰ろうか。月の重力を使って、都会から、スイングバイバイしてやろう。

俺は今は亡き惑星から地球探査に来た宇宙人なのである。












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