Uの呪象

せとかぜ染鞠

Uの呪象

「Uターンした途端に死んじゃえ!」1回きりの出番を終えた私はカーテンの奥で,はつらつとU字型ステージへと繰り出した魅実みみの後ろ姿を呪った。

 Uの先端で,片足を軸にクルリとターンしながら,新作のシースルードレスを風になびかせる。軽快なリズムにのって両手を腰にあてるなり,ヒップを突き出し,お決まりのポーズを披露してみせる。

 観客たちが溜め息まじりの歓声をあげた。

 満面の笑みを浮かべて八方へ愛想を撒き散らし,手を振りながら闊歩して戻ってくる――主役の独擅場に尽きるショーだった。

 私は舌打ちして階段を一つ降りた。

 会場で悲鳴がわきおこる。振り返れば,魅実が胸を押さえて激しく痙攣している。大きく仰け反ってから前のめりになると同時に何か吐き出した。

 ……あたしの体にはワインが流れているの。そう彼女が言ったように赤ワインみたいなそれは照明を受けて色移りしながら客席へと飛び散った。

 金切り声を発して観衆が席を逃げ出し,ステージから離れた。

 ドレスを真っ赤に染めた彼女が倒れた――魅実!

「魅実! しっかりして! どうしてこんなことに!」駆け寄って呼びかければ,魅実は震える指を私の肩越しへむけた。その先にモデル仲間の麗菜れいなが立っていた。

「今夜のイリュージョンはキャンセルになったようだ」麗菜の後ろで,新作発表会後のショーを予定していたマジシャンの誇童こどうが,スマホから緊急連絡の処置をとった。

 病院に運ばれたとき,既に魅実は事切れていた。原因不明だった。

 あんな呪いの言葉を吐き捨てなければよかった。来日して何も分からない私に,仕事だけでなく,日本の風習や生活様式まで手取り足取り教えてくれたのは魅実だ。親友だと思っていたのに,1年前に雑誌専属モデルの仕事が決まってからは冷淡になり,モデル仲間をけしかけて陰湿ないじめまでしかけてくるようになった。そればかりか交際中のマネジャーまで奪われた。

 彼女が憎らしくてならなかった。私にないものを全て手に入れているくせに,私の最も大切なものまで奪ったのだから。それで,あんなひどいことを言ってしまった。まさか本当になってしまうなんて……

 病院の夜間専用通路で麗菜と誇童が立ち話をしていた。2人も一緒に魅実に付き添ってきたのだ。

「今更なかったことにしてくれと言われてもサタンは納得しませんよ――自分のほうから話を持ちかけたんじゃないですか」

「だから,そこを何とか!――魅実みたいになるのはいやよ!」麗菜が誇童に組みついた。私の存在に気づき,誇童が麗菜を押し返す。「では僕はこれで――御愁傷さまでした」細長い廊下を音もなく去っていく。麗菜がその名を叫んだが,誇童は振りむかなった。

 麗菜に詰め寄った。「今の何!」

「何? 何のこと?」

「しらばくれないでよ――魅実みたいになりたくないとか,サタンとか――魅実の死んだ理由,何か知ってんじゃないの?」

「馬鹿言わないで! 知るわけないわよ!」

「噓! 魅実が死ぬ間際に,あなたを指さしていたのよ」

「あたしじゃないわよ!」麗菜に突き飛ばされる。「もう放っておいてよ!」啜り泣きながら走り去った。

 それから1週間後に麗菜は念願のミラノコレクションのモデルとして抜擢された。しかもメインだ。だが嬉しそうではなかった。よく笑うだったが,無表情になった。そしてショーで華々しい成功をおさめたのち,帰国の途につくため空港へとむかう途中,事故に遭って死んだ。


 デパートの展示即売会の仕事を終えた黄昏時――交通センタービルからのびるU字 型の陸橋歩道に立っていた。たくさんのカップルが腕を組んで行き過ぎていく。視線を落とせば帰宅ラッシュの渋滞。殆ど動かない車のなかの人間が全てカップルに見える。

「シャアロンテ!」マネージャーだ。彼が交通センタービルの出口で手を振っている。私は陸橋歩道の先端から分岐する階段を降りずに,彼のいる出口へとUターンした。何も考えず彼の胸に飛びこむ。「もう1回遣り直したいよ」

 彼は再び私のもとに戻ってきた。

 仕事は相変わらず冴えない類のものばかりだったが,プライベートは充実していた。一方,彼は私にもっと質のよい仕事をさせることに執着していた。コネクションに物を言わせ,テレビ番組のコメンテーターという背のびした話をもちこんだ。気乗りしないままオファーを受けたが,案の定空振りに終わって彼と大喧嘩した。楽屋を飛び出し,逆上した頭のままテレビ局のなかを歩いていると,道に迷った。

 ここは何処だ? 扉をあけてなかへ入る。使用されなくなったスタジオか物置のように思われた。照明のスイッチはないかと壁づたいに進む。無造作に置かれた木材に足をとられ転倒する。続けざまに壁に立てかけた鉄板が倒れてくる。辛うじてよけた。掌に何かついた。ベトベトしている。いやな臭いもする……

 血だ!

「いやぁー!」何度もつまずきながら,もと来た方向へ戻ったつもりだ。だが扉が見つからない。出口は何処なのだ? 弾力性のあるものにぶつかって弾き飛ばされた。後頭部を強打して肩に激痛を覚える。倒れたまま薄暗がりに目を凝らす。周辺に無数の蠟燭ろうそくが積み重なっている。そして尖った蠟燭台も。

 恐るおそる自分の左肩を見る――蠟燭台が突き刺さっている――

「いやあぁ! いやあぁ! いやあぁ!」

 シュボッという音がして橙の火が浮かぶ。1本の蠟燭に火がともされる。

「妻に体あたりされちゃ困りますよ」――その声は。

 誇童は,捩りあげた太い蠟燭を,斜めに傾けて十分に蠟を垂らしてからそれを固定させた。「勝手に入っちゃいけないな。ここは僕のプライベートルームなんです。局のお偉いさんに僕のファンがいましてね――マジックの練習用に使っています。ね,叶子きょうこちゃん」と,装飾を施した背もたれの椅子に,深く腰かける人形を見た。

 妙に生々しい人形だった。それに人形の顔は――

 これは誇童の妻の叶子だ。かつてトップモデルとして世界を股にかける活躍をしたが,現在は夫のアシスタントとなり,マジックショーに出ている叶子の顔なのだ。

 人形の腹には蠟燭台が突きたてられ,どす黒い血が流れ出していた。人形の足元には,同じ顔をした人形が,交差する状態でうずたかく積みあげられている。

「叶子はね,本当に本当に有名になりたかったんですよ。自分の顔が世界中の人々に知られることを切望していた。だからUの呪象じゅしょうを描き,サタンに誓いを立てたんです」

「Uの呪象?」

「あれ? 魅実から聞いたことなかったですか? イギリスの黒魔術ですよ。U字型を描きながら移動すれば,サタンが来たるという信仰がありましてね。そのとき願をかければ必ず叶うんです――3回までは。でも3回の願い事が叶った後は絶対に死んでしまう。命とひきかえに三つの願い事を叶えてもらうんです。叶子も名声をつかみ,死んでしまいました。……僕はとっても寂しくてね,それで彼女と同じようにUの呪象を描きながら歩きつつ強く願ったんです。叶子が帰ってきてくれるようにって。そうしたら兄がクローン技術を駆使して叶子を蘇らせてくれましたよ」さも愉快そうに大笑いする。「僕は次にワールドマジックショーで優勝できるように願いました。その結果が御存じの通りです。クローンなんだから何体殺したって平気だ! 思いっきり派手にやってやりましたよ! あんな芸当マジックでできるわけがない。真実だから感動を呼べるんです――さて3回目はどうするかって? 決まってるじゃありませんか。願いませんよ,願うもんですか。だって死んじゃうからねぇ――僕は彼女たちのように愚かじゃない! さぁて,これで全部だよ! 全部知ったあなたをどうしてやろう!」

 がむしゃらにただ逃げた。幼子みたいに泣き喚いた。転倒して頰を切ろうが,額を裂こうが,肩に蠟燭台を突き刺したまま逃げた。捕まってモルタルの床に叩きつけられる。蠟燭台が食いこんだ。シュポッシュポッシュポッシュポッ――眼前に置かれたU字型の線路をミニチュアの汽車が走ってくる。汽車には斬り口の新しい叶子の生首がのっていた。汽車が近づくごとに後退りしていく。線路にそいながらU字型を描き,ついに線路の果てまで追いつめられた――

「助けて! ここから出して! お願い!」

 突如,周囲が明るくなった――

「動くな! マジシャン誇童こと島本しまもとしのぶ――殺人容疑で逮捕する!」拳銃を構えた刑事たちに取り囲まれていた。

 マネージャーの彼が走り寄ってくる。

 誇童の協力者が魅実や麗菜,そして叶子の殺害を自供したという。

 彼は,私の仕事の失態を咎めたことを深く詫び,プロポーズをしてくれた。モデルの仕事をやめて家庭に入る――それは心から望んでいた夢だった。彼のお嫁さんになれる。

 だが――嬉しくはない。ひたひたと黒い影が背後に迫っているのだから。闇に沈む街路樹の風に擦れあう音が,Uの呪象を描いて来たるサタンの囁きに聞こえた。おまえも約束を果たせという声に……

 新作発表会で呪いの言葉を発したときも,交通センタービル前で彼に思いを告げたときも,誇童に殺されかけて命乞いしたときも,私はUの呪象を描いた。そして三つの願いは既に果たされているのだった。

                                  (終)

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