まちぎる ~白亜の城壁を持つ街の冒険者ギルドに登録した、転移者アキラの少し遅めの青春日記

西川 旭

第1章 街と、ギルドと、転移者アキラ

01 ギルドへようこそ、異世界からの冒険者さま。



 キンキー公領の南端に位置する港街、ラウツカ一級市の、春は朝。

 この街の南側、港湾地区に「冒険者討伐者組合・ラウツカ支部」と言う、白亜の大きな建物がある。

 内外の者からは通称で「ギルド」と呼ばれている施設だ。

 爽やかで心地よい陽光の下、ギルドの正面入り口である両開きの大扉を、叩こうとして、思いとどまりやめて、押し開ける人物がいた。


「たのもーう」


 黒目黒髪、若干陽に焼けた黄色味がかった肌を持つ、並人(ノーマ)の女性である。

 広めで形の良い額を、前髪を真ん中から分けて横に流すことで露出している。

 後ろ髪は後頭部で一つにまとめ、鎖のように長い三つ編みにしていた。

 美人、と言うよりは可愛らしい美青年と言っていいような中性的な容姿をしていたが、れっきとした、一人前の、淑女である。

 本人がそう思っているのだから間違いない。

 腰帯に、留め具で打撃用の鞭――はた目には木剣かなにかに見える代物――を提げてはいるが、理知的な淑女であり、乙女なのである。

 異論を挟んだ者はひどい目に遭うことで知られる。

 彼女の名はウォン・シャンフェイ。通称フェイ。

 門扉を威勢よく叩いて、中にいる者に大声で要件を告げる癖を、つい先日に知人からたしなめられたばかり。

 そのためいかんせん覇気のない挨拶になり、一人で勝手に気まずい想いを抱えながらギルドのエントランスロビーに足を運び入れる。

 朝早いこともあって、ロビーに人はまばらだった。

 テーブルで茶を飲みながら何かの本を読んでいる、赤目赤髪の耳長が、一人。

 そしてロビーを進んだ先、ギルド総合受付窓口になっているカウンター。

 そこで一人の冒険者らしき男が、受付嬢相手になにやら大声を上げていた。


「やれやれ、今日は私は非番だというのに」


 溜息をつきながら、足早にフェイは悶着の起きているカウンターに向かった。


「だからよお、姉ちゃん、納得いかねえっつってるだろぉ?」


 男の風貌は汚れた茶色の髪、右目には眼帯。

 革の衣服にガントレット、片手剣を腰に帯びたと言ういでたちの、軽装戦士風の冒険者だった。


「納得できないとおっしゃられても、こちらも困ります。報酬も補償も当初の規定通りですので」


 カウンター越しに身を乗り出してすごむ男。

 それに対し涼しい顔で受け答えしているギルドの窓口担当職員は、若い女性である。

 眩しいほどの金髪と深い蒼の瞳、そして多くの者が目を向けてしまうであろう、大きく前に突き出た、山のようなバストを持っていた。

 確か、あの胸は湯船に入ると浮くのだったということを、フェイは思い出した。


「だったら最初っから報酬が安すぎんだろこれよお? 簡単な仕事だと思って請け負ったら、魔獣も蟲もわんさか出やがってよお! 手間賃と薬代と装備の修繕費を合せたら完全に赤字だっつうの!」


 男の不満は、ギルドから請け負った仕事の報酬が、割に合わないという点にあるようだった。

 なんとか完遂したものの、経費が多くかかってしまったようである。

 声を荒げてなおも男のクレームは積み重なっていくが、受付女性は意にも解さない。

 別の席で同じく窓口業務を担当している同僚女性が、はらはらした表情でそれを見ていた。

 しかしフェイの姿を認め、不安に曇っていた顔がパッと晴れる。

 フェイの耳に入ってくる両者の会話によると、冒険者が騒いでいるのは山間にある鉱山へ作業者を送り届ける際の、護衛任務についてのようだ。

 こう言った道中護衛の依頼がギルドには頻繁に舞い込んでくる。

 魔物や盗賊に襲われることなく、安全に目的地へたどり着けるように。


「ですので、出発の前にギルド割引でお薬や装備を補充できます、と言う案内をさせてもらったはずですけど。確か『要らねえそんなもん』と言ってお断りされましたよね?」  

「ぐ、あのときは、その……」


 ぺらり、とこの冒険者と交わした書類をさかのぼって確認し、受付の女性はさらに続ける。


「それにこの依頼、魔物を討伐した際には、魔物の死骸を依頼主さま、この場合で言えば鉱山の地主さまですね、その方に見せて確認することで追加報酬がある、と付帯条件がありますよね?」

「し、死骸の回収までは、手が回らなかったんだよ……」


 反論されて、どんどん冒険者男の声と態度は小さくなっていった。

 魔物がたくさんいたと言うのも話を盛っているだけで、実はそれほどでもなかったのかもしれない。

 もしくは、すでに地主から追加報酬を貰っているのに、その上でこうしてギルド相手にゴネているか。

 大方そのあたりだろうとフェイは推察したが、口には出さずとりあえず事態を見守る。


「追加に関しては冒険者さまとご依頼主さまの直接取引事項ですので、ギルドとしては関知できかねます。ご了承いただけましたらお引き取りください。他にも業務がございますので」


 きっぱりそう言い捨てて、金髪巨乳の受付職員は、別の仕事の用意のために席を立とうとした。

 そのときだった。

「……く、くっそアマ! なめてんじゃねえぞコラぁ!!」


 軽くあしらわれて激昂した眼帯の冒険者が、持っていた剣の柄に手をかけて、抜こうとした。


「公共の場で刃物を抜いて他者を恫喝するだけで、この街では大きな罪になることをご存知ですか?」


 受付嬢の親切で慇懃無礼な忠告も、頭に血が上った冒険者には無意味だったようである。


「うっせえ! 衛士どもが来る前にテメーのそのデカい乳をひん剥いてや……え、あ、ぐぉわっ!?」


 しかしその剣が抜かれることはなく、冒険者の男は仰向けの格好で床に、どてんと倒れこんだ。

 やはり彼も、大きく立派な胸が気になっていたようである。

 それはともかくとして、受付嬢に助け船を出し、暴れる冒険者を転倒させたのはフェイだ。

 フェイが冒険者の上着の襟首を掴んで、無理矢理後方に引き倒したのだ。

 目の前のことに感情を高ぶらせていて、真後ろに立っていたフェイに全く男は気付いていなかった。

 受け身をとれず、したたかに後頭部を床に強打した模様である。


「い、い、いてえ、ちくしょう、何しやがる!! うぐぅっぷ! やめ、ふ、踏むな……」


 倒れた冒険者の胴体の中心をフェイは右足で踏みつけ、動きを封じる。

 抵抗しようにも体が地面に縫い付けられたかのようにびくともしない、完璧な制圧である。

 むしろもがけばもがくほど、踏まれている足が体に食い込んで行くかのような激痛を冒険者は味わうことになった。


「リズ、あまりこういう手合いを挑発するものではない。いつか痛い目を見るぞ」


 金髪巨乳の受付嬢を、フェイはリズと呼んだ。

 本名はエリザベス・ヨハンセン。通称リズ。

 フェイの親しい友人にして、ラウツカ市ギルドの受付職員として働いている。


「挑発なんてしてません。真面目にお仕事してるだけですよ、フェイさん」


 しれっとした顔で言ってのけるリズに、フェイは溜息をついた。

 いつも本気で心配しているのだが、リズがあまり意に介してくれていないからだ。


「ところで、この男は他の衛士に来てもらって引き渡すが、それでいいか?」

「うんぎぎぎ、やめろっつってんだろやめてくださいお願いします骨が折れてしまいます死ぬっぶェェ!」


 男のアバラとみぞおちあたりをギリギリと強く踏みつけながら、フェイが確認する。


「はい、よろしくお願いします。とりあえず縛っておいてください」 

「わかった。隅っこの方に置いておく」


 なぜか懐に持っていた麻縄を用い、フェイは冒険者男の両手と両足を「背中側でまとめて」縛り付ける。

 憐れ、クレーマー冒険者はエビ反りの体制で身動きが取れなくなってしまった。


「いぎぎぎぎ! ぐぐ、もがもが!」


 騒がれても耳障りなので、さるぐつわも噛ませる。

 いずれラウツカ市の保安警備兵、通称「衛士」が来て身柄を連行されることだろう。


「助かりました。最近多いんですよね、ああいう人」

「そう思うなら自重しろと言っている、まったく」


 不埒な冒険者を出入口近くに引きずりながら、フェイの視線はギルドロビーの隅に向く。

 一連の騒動がありながらも、のんびりとモーニングティーを楽しんでいる、ボサボサ赤毛の、耳の長い人物がいる。


「ルーレイラ、貴殿も知らん顔をしていないで少しは手伝え。どうしてギルド職員ではない私ばかり働いているのだ。せっかくの非番なのに……」

「あはは、僕がいるの気付いてた? 非力な僕に力仕事を期待しないでくれたまえよ」


 顔を隠すように読んでいた本をテーブルに置き、おどけるように赤毛の耳長が笑った。

 名前をルーレイラ。

 リズと同じくフェイの友人であり、リズにとっては仕事仲間とも言える。


「いやあ見事な立ち回りだねえ相変わらず。さすが、ラウツカが誇る『小さな達人』だ。きみがいる限りこの街は安泰、僕も毎日ぐっすり安眠できるというものさ!」


 軽薄そうに調子のいい言葉を並べたてるルーレイラは、詳しく言えば「人間」ではなく、赤エルフと呼ばれる種族だった。

 ボサボサの真っ赤な髪を整えもせず、顔の右半分が前髪でほぼ完全に隠れてしまっている。


「悪びれもせず、情けないことを言うものではない。貴殿もこの街のギルドに所属する、立派な冒険者の一人だろうに……」

「立派だなんてやめてくれ。鬼も逃げ出すフェイに言われると恐縮で身動きが取れなくなってしまう」


 ケラケラ笑う赤エルフの賛辞もあながちお世辞ではない。

 なにを隠そう、フェイ本人がラウツカ市の治安を守る衛士の一人であり、市域の北に位置する城壁城門の警護隊に属している。

 下級士卒から勤め始めて、7年目の今は10人編成の小隊長を任される身分だ。

 現場の隊長にとどまり続けているのは本人の希望によるところが大きく、能力と実績で言えばもっと出世していてもおかしくない。

 街中でも名物になっている衛士さまなのである。

 プライベートの時間でも、縄をはじめとした捕縛用の小道具と、護身用具にして制圧用具である打撃鞭を持ち歩いている程度には仕事熱心な。

 そんな鬼隊長が、冷やかされた不愉快を隠そうともしない恨めしい顔でルーレイラを睨み、こう言った。


「最近、街中でいたずらをしている子供に、親や周りの大人たちが『良い子にしないとフェイ隊長が縄と鞭を持って走って来るよ!』という躾けの文言を多用しているようだが、まさか流行らせているのはルーレイラではないだろうな?」

「めっそうもない。僕が去年から数えて55人の子供にそう言っただけのことで、この広い市街で流行する原因にはならないだろうさ。自然に広まったんだよ」

「やっぱり貴殿ではないか諸悪の根源は!!」


 そんなフェイと同じ用事でルーレイラも、リズに呼ばれて朝早くからギルドに来ていた。

 ルーレイラは、ギルド「専属の」冒険者である。

 先ほどカウンターで暴れようとしていた不逞冒険者は、自分の都合に合わせて好きな時に仕事をギルドから請ける、完全なフリーランスの立場。

 しかしルーレイラは、ギルドが指定する任務、依頼を一定以上こなさなければいけない契約を結んで働いているという、立場の違いがあった。


「三人そろったことですし、行きましょうか」


 二人を別の部屋へ促すリズ。


「リズも、ルーレイラも、私の話はまだ終わってないぞ。少しは緊張感や危機管理の意識と言うものをだな……」


 歩きながら小言を述べるフェイ。


「終わったらエビ食べに行こうよ。最近は大漁なんだってさ。肉も魚も血なまぐさいのは苦手だけれど、エビとかタコは好きなんだよねえ僕」 


 すでに遊ぶことを考えている、ルーレイラだった。



「こちらです」


 そう言って扉を開けたリズたちが入ったのは、ギルド職員の休憩仮眠室。

 ベッドや長机、簡素な椅子が並んでいる殺風景な一室。

 本来なら当然、ギルドの職員が使う部屋である。


「誰だ、知らない顔だな。まさかとは思うが……」


 しかしベッドを占拠して安らかな寝息を立てている男に、フェイは見覚えが無かった。

 衛士になって7年、ラウツカに赴任して4年目のフェイは、ギルド職員と専属冒険者の顔を一人残らず記憶しているのだが。 


「ええ、転移者ですね」


 リズが困ったような、嬉しいような、複雑な表情でぽつりと、言った。


「あははあ、リズやフェイと同じように、外の世界からのお客さんかい!?」


 そう、ここはリズやフェイから見て異世界と言われる場所。

 リードガルドと呼ばれる大地の、マトヤ連邦キンキー公領、一級市ラウツカ。

 それが地球を離れ、はるばる飛ばされたリズやフェイが今現在、生きている世界であり、暮らす街。

 そのラウツカの街に、地球からの新たな転移者が、やって来たのだった。

 今はとある薬と魔法の力で強制的に眠らされているが、いずれ目を覚ますことだろう。

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