第3話

「どういうこと」


 テメルは開口一番にそう言った。言わんとすることはよくわかる。僕も同じ気持ちだ。

 オリビアが僕の部屋を訪ねて、クロエと名乗った夜。あれから僕はオリビアから話を聞いた。オリビアはひどく戸惑っていて、ときどき混乱しながら自らに起こったことを話してくれた。結果として、オリビアは僕とクロエしか知り得ないようなことを多く知っていた。それは僕がクロエと過ごした思い出でもあった。


「僕もよくわからない」


 だからこうして、オリビアを連れてテメルの部屋を訪ねていた。ここへ来てからというもの、なにかとテメルを頼ることが多いように思う。


「こう言ったら不謹慎かもしれないけど許してね。まるで……幽霊でも見ているようだわ」


 もちろん、テメルはクロエを知らない。だから真偽を確かめようがないのだけれど、それでもオリビアと顔を突き合わせていても解決しそうになかった。


「なんか変なことが起きてるわね」


 テメルが言う変なこと、というのは先日決行されたMSC幹部を逮捕する作戦のことだろう。

 結果として、僕らの目の前で自殺した代表以外の幹部は逮捕することができた。代表はまったくためらいを見せなかった。意を決した人間というのは、微塵もためらわずに自決できるようなものなのだろうか。そして、なにより奇妙なのは幹部ふたりの証言だった。


 彼らはオリビアを知らなかった。それどころか、代表が語った襲撃理由も、その襲撃が失敗し、僕とオリビアが生きていることさえ知らなかった。僕らの街への襲撃は、成功したと思っていたのだ。代表と接点があったのだから、その真意を知らされず、ただの傀儡として動いていたとは考えづらい。


 そして、もうひとつ。代表はオリビアが我々の元から脱走したと言った。オリビアは戦闘力を持たないからMSCの隊員とは考えづらい。そして、昨夜。オリビアは組織がなにかの研究をしていたと身の上を語った。ところが、MSCはどこまでもただの民間軍事請負企業で、研究施設の類を一切保有していなかった。幹部らの証言からもそれは明らかで、企業データベースに登録されている資産を調べてみても、MSCが過去から現在に至るまで研究の類に手を出した記録は一切なかった。


「事実と異なる幹部の証言。詳細不明なオリビアの実験。おまけにMSCにはそういった事実はない。さらに加えて、オリビアが持ち得ないクロエの記憶を持っていること」


 謎だらけだわね、とテメルは天を仰いだ。


「どうしたらいいかな」


 僕はテメルに素直に尋ねる。すべての情報がばらばらでなんの接点も見出せない今では、解決の糸口を見つけられない。


「どうって、私にもなにがなんだか」


 しかし、テメルもお手上げのようだ。


「あの……」


 そこで、オリビアがおずおずと手を挙げた。


「私の体、調べてくれないかな。そうしたら、なにを研究していたのか、手がかりになるかも」

「いいの」


 テメルが気遣わしげに問う。そこにはオリビアへの配慮があるのだろう。今まで得体の知れない実験に付き合わされてきたオリビアを、さらに調べることについて。その反応を見て、彼女が基本的には善良であることがわかる。僕を、オリビアを、人として扱ってくれる。僕はそれをありがたいと思うことができるようになっていた。それもすべて、クロエやライアン、トレバーのおかげだった。彼らが僕をひとりの人間にしてくれた。単なる労働力ではなく。最初は戸惑いもあった。今までされたことのない扱いを受けて、戸惑わない人はいないだろう。だから、オリビアも今は戸惑っているのだろう。彼女は実験体だった。単なる研究材料だった。それがPMMでは人として扱われ、気遣われるような存在になった。実際どう思っているかはわからないけれど、想像はできる。


 そこではたと気づく。僕はオリビアを許しているのだろうか。こうして普通に会話し、ともにテメルのところを訪れる程度には、そうなのだろう。そのことに驚くとともに、なんだか腑に落ちるものはあった。


 あの夜、僕は彼女を責めた。クロエの代わりに生き残った彼女を殴ろうとした。しかし、彼女のバックボーンを知った。彼女もまた、僕と同じように人ではないものだった。そして、そこでは彼女の意思はないものとして扱われていたのだろう。それに僕は共感してしまった。自己投影。嫌な言葉だとは思うけれど、それでも、僕は彼女を責められなくなってしまった。今でもクロエを失くしてしまったことへの憎しみは抱えている。けれど、それをオリビアへ向けることはできなくなってしまった。あの襲撃がオリビア奪還を目的としたものだとしても、そこにオリビアの意思が介在しないことを知ってしまった。オリビアの境遇が、僕のそれと同じだと知ってしまった。だから、そういう意味では、オリビアを許してしまっているのだろう。


「いいの。私も、知りたい。私が何者なのか。私がいったい、どんな研究に手を貸していたのか。それを知りたい」


 オリビアの言葉を聞いたテメルはしばらくの思案ののち、言った。


「わかったわ。じゃあ、やってみましょう」


 言うやいなや、テメルは早速隊長に連絡を取り、研究施設へとオリビアを取り次いでくれた。とはいえ、施設はあの襲撃のあと僕が入院していた国連管理下の病院だった。再び国連関係者用の受付から入り、通された部屋も前回と同じだった。


「最近よく会うわね」


 部屋の奥でなにやら作業していたヒエロが立ち上がる。


「ヒエロよ。よろしくね」


 そして、オリビアに握手を求める。オリビアはそんな待遇に戸惑いながらも、おずおずと右手を差し出した。


「そんなに怯えなくても大丈夫よ。あらかた話は聞いているわ。悪いようにはしないから、安心して」


 ヒエロは笑って握手を解いた。

 僕は勝手知ったるなんとやらで、壁に立てかけられたパイプ椅子を三脚引っ張り出して並べた。

 さて、と彼女は前置きして話し始めた。


「じゃあ早速本題ね。オリビアのことだけれど、まずは普通の検査をするわ。それが終わったら、細胞を採取して調査する。研究されるなにかが見つかるはずよ。たしか、細胞を採取されていた、って言ってたわね」

「はい」


「じゃあそこからね。細胞と言っても人体は二百種類以上の細胞から構成されているわ。それをすべて調べるとなると、それなりの時間はかかるかもね。まぁ安心して。痛いことも苦しいこともないわ。ちょこっとずつ細胞を採取させてもらえれば、それで済むから。二、三日入院してもらって、細胞を採取したら、あとはこちらの仕事よ」


 思っていたよりもずっと負担はないようだ。それなら大きな問題はないだろう。


「わざわざ付き添ってもらっちゃったけど、オリビアに関して今言えることはこれくらいね。あとは調べてみないことには話せることはないわ」


「わかった。オリビアはそれで構わないかしら」


 テメルがオリビアに問う。小さくなってテメルの隣に収まっていたオリビアは、オリビアを見上げるとこくりと頷いた。


「そう、ありがとう」

「それじゃあ、よろしくね」


 続けてヒエロも立ち上がって、テメルと握手をする。


「オリビアはこのまま残ってくれるかしら。施設を案内するわ」

「うん、わかった」


 親しげに微笑むヒエロに、オリビアは控えめに頷いた。


「ノア、行きましょ」

「うん」


 そうして、僕らは病院をあとにした。なにか手がかりを求めてここに来たはずだけれど、また新しい謎を仕入れてしまった。とはいえ、オリビアのことが分かれば、少しは進展するかもしれない。なにもしないよりはましだろう。


「そういえば、ノアはクロエの記憶がある前のオリビアと話していないからわからなかったかもしれないけど」


 PMMの施設へ帰る車中。運転をしながらテメルが言った。


「オリビア、なんだか人が変わったみたいだったわ。以前はあんなにびくびくした様子はなかった。どちらかというと、感情が希薄なように見えたわ。それが今朝は……。いったい、なにが起こっているのかしらね、本当に」

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