第19話

「初めまして、ヒエロよ」


 僕らを招き入れた女性は開口一番にそう言った。


 テメルに連れられて、国連管理下の病院に来た。あの襲撃のあと、僕が入院していた病院だ。今日はPMMに関係する用事ということで、一般とは異なる国連関係者向けの受付から院内に入った。そうして通された部屋は彼女の自室のようだった。だが、研究室のような部屋で、大小様々な実験器具が所狭しと配置されていた。加えて、たくさんの書類がいたるところに放置されていて、ほとんど足の踏み場もない。つまりは、ちっとも整理されていない。


「あぁ、座るところがないわね。適当に椅子を持ってきてくれるかしら。その辺にあるわ」


 彼女が指差した部屋の隅を見ると、確かに数脚のパイプ椅子が壁に立てかけてあった。僕はそこから二脚とって、うち一脚をテメルに手渡す。

 ヒエロは手近にあったキャスター付きの椅子を引き寄せると、さっそく切り出した。


「今日来てもらったのは、あなたたちが逮捕したPMCから面白いものが見つかったからなの」

「面白いもの?」


 パイプ椅子を開いて腰掛けたテメルが問ひ返す。


「そう。なんと、単独動作するナノマシンよ。まるで世紀の大発見ね」


 ナノマシン。それは僕もニュースで見たことがある。数年前にどこかの医療系IT企業が医療用途のナノマシンの開発に成功したというニュースだ。そして、先進各国はこぞってその技術を求め、自国の医療に導入していった。それによって、昨今の医療は大きく進展した。開発されたナノマシンは病原体に作用するだけでなく、人体の細胞にまで作用する。すなわち、細胞の変異によってもたらされるがんをほとんど駆逐してしまった。先進国ではがんによる死亡率をほとんど0%に近い数値まで減らすことに成功している。以来、ナノマシンは様々な人体の不具合に対応していった。病気だけでなく、骨折や外傷といった、いわゆる人間が本来持ちうる自然治癒力を持って治してきたものにも影響を及ぼした。今では医師がある程度の応急処置さえ行えば、あとはナノマシンが勝手に人体を修復してくれる。病原を排除し、創傷周辺の細胞を活性化させ、外傷を修復していく。もちろん専門的な知識が必要とされるが、医師の負担は大きく減ったと報じられていた。


 しかし、それはあくまで医療現場に限っての話だ。テメルが疑問を投げかける。


「でも、MSCにナノマシンを扱えるだけの設備はない。それに、そういった機関とも取引はなかったはずよ」

「そうみたいね。それに、実用化されているナノマシンはあくまで医療用途。それも、常に監視していないと動力を失うような代物よ。それ単独で動作できるようなナノ技術は未だ実現していない」


 ヒエロの言うとおり、ナノマシンは常に監視を必要とする。点滴やそれに見合う外部からの動力供給によってナノマシンは動作する。動力源の供給が絶たれてしまえば、ナノマシンはすぐに自己分解を始め、体内から跡形もなく消失してしまう。だから、まだ入院設備そのものはなくなっていない。ナノマシンによる治療を受けるためには、そういった設備の整った病院で動力供給を受け続けるしかないからだ。


「そんなものを、どこで……」

「それだけじゃないの。これを見て」


 ヒエロはうず高く積まれた書類の中から、ひと束の書類を取り出した。上部がクリップで留められたそれを、テメルがぱらぱらとめくる。横から覗き込んだが、文字列で紙面が埋め尽くされて真っ黒だった。なにやら複雑な化学式や数式も見える。


「これは……」

「ナノマシンの分析結果よ。端的に言うと、このナノマシンは大脳の運動野に割り込んで、遠心性神経を伝う情報を制御する機能を持っている。つまり、使用者の運動を制御することが可能な代物よ。それも、使用者の意図を介さずにね」


「どうしてそんなものを」

「わからないわ」


「幹部たちは」

「知らなかったわ。ナノマシンを使用していることさえも。これじゃあまるで、操り人形みたいね」


 それからナノマシンについていくつか質問をして、僕らは病院を後にした。おかしな事象に行き当たってしまった。使用者も意図しないナノマシンの存在。それも、運動制御が可能。本当にそんなナノマシンが、ナノ技術が存在するのだろうか。調査結果を直に聞いたものの、そんな技術が存在するだなんて、にわかには信じられなかった。

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