第2話 退部理由・入部理由
「古実さんは紅茶で良いかな?」
先輩はケースから紅茶のパックを取り出して紅茶を作ろうとしている。
「あ、はい。あの私が作りますよ」
座っていたパイプ椅子を軋ませて立ち上がる。
「いいからいいから、待望の新入生だもの」
先輩は落ち着いた表情をしていている。
私は甘えていいのか分からずその場で色々考えて再びパイプ椅子に座る。
「古実さんって何でこの時期に文芸部に入部をしようと思ったのかな?」
奥にある電気ポッドに向かうため本棚に挟まれた通路を進んでいる先輩は私に問いかけてくる。私は下を向く。
「言える訳がないよ…」
小さく呟く。先輩には聞こえてないだろう。
私が文芸部に入った理由は先輩には言える訳も無い。
私は中学の時から吹奏楽部でフルートを吹くのが好きだった。
田舎にある中学校の吹奏楽部。部員は少なく部員全員でやっとコンクールに出場が出来る程の少人数で少ない楽器を工夫して回すことで皆で努力していた。
時は流れて私は高校受験をすることになった。
吹奏楽部の友達は地元の高校を受験する、しかし私は吹奏楽が有名な私立の女子校を目指した。
馴染みの土地を離れるのは寂しかったけど、もっとハイレベルで楽しい演奏が出来ると期待して受験。中学で吹奏楽をやっていた点と自分を良く見せる良いのか悪いのかという性格のおかげで私はこの女子校に入る事が出来た。
憧れの吹奏楽部。
最初は楽しかった。技術も設備も桁違い。そんな環境で私は演奏をしていた。しかし次第に期待していた楽しいという思いが感じられなくなっていた。
強豪校ともなれば当然、厳しい競争に心を擦り減らさないといけなかった。私はそれが楽しいに繋がると勝手に思っていたのだ。
しかし現実は楽しいとは思えなくなっていた。
夏のコンクールまで私は自分の気持ちを押し殺して練習に参加した。慣れの問題。まだ私が分かっていないだけなんだ。時間が解決してくれる。
本当はそう思わないと押しつぶされてしまいそうだったから。
しかし、コンクールが終わり家に帰った時、楽しかった中学時代に録音した演奏を聞くと涙が出てしまったのだ。明らかに低い演奏レベルなのに涙が止まらない。頭につけていたヘッドホンを取ると決意をした。
次の日、私は退部した。顧問の先生はとても驚いていた。
「私が付いていけなくなっただけです。誰も関係ありません」と頭を下げて退部の許可を貰った。
もう部活動なんてしたくないと思った。だが私立の学校ということもあって部活動に参加することは強制となっていた。大きなお世話だと思うがルールでは仕方がない。私は次の部活動を探し始めた。
最初に頭に浮かんだのは運動部、それはだめだ。運動自体は苦手ではないが頑張っている部活はもう嫌だ。文化部、それも部員が少ない順に見ていこう。すると部活動のパンフレットの一番最後に”文芸部”の表記を発見した。
文芸部 部員数 1名 活動内容 文集制作
私は文芸部に入部することにした。
部活に強制参加なのは文理コースだけなのだ。私は勉強をして進学コースに入り、部活を辞めるつもりだった。それに部員1人だけ、しかも文芸部ならあれこれ言われる事も無いだろう。
「古実さん?」
先輩は私の前に紅茶を置いてくれた。先輩の質問にも答えない私をきょとんと見ている。
「あ、はい。ありがとうございます」
小さく”いただきます”と加えて紅茶を飲む。予算を削られているため高級な茶葉など買えるはずもなく普通の味のする紅茶。
先輩は3年生。1年生から文芸部に所属しているようだ。
最初は3年生は既に引退していると思ったが推薦で大学が決まっている先輩は文芸部の部長を続けているらしい。
パンフレットで名前を確認すると倉敷史と書いてあった。最初は倉敷先輩と読んでいたのだが長いのでフミ先輩と呼ぶようになった。以前なら先輩を下の名前で呼ぶなんてした事が無かった私だが先輩がフミと呼ぶのを歓迎してくれたので今はそうしている。
失礼だと思うが、フミ先輩は文芸部の部長をするにはもったいない程の端正な顔立ちをしている。横に長いたれ目の瞳に背中まで伸びた黒い艶のあるストレートヘア。小さい顔に比例して体も細い。余計な要素を引き算していくと完成するようなどこか儚げな雰囲気がしていた。
私みたいにヘアピンからはみ出した髪の毛が時折目立つような地味な生徒とは違うのだ。普段だったら先輩と話が会わない事も多い私だけどフミ先輩は私に合わせてくれるのだ。
「まあ、何で入部したかなんてどうでも良いね。これで廃部の危機回避に一歩近づいたのだから」
フミ先輩は微笑みながら自分のカップに入ったブラックコーヒーを飲む。コーヒーを飲むだけで絵になる人もいるんだなと感心する。
そんな感想を抱きながら先輩の読んでいる本に注目する。フミ先輩は一息付くと分厚い本を読むことを再開する。
遠くから聞こえる運動部の掛け声。他の部室から聞こえてくる楽しそうな話し声を聞きながら私は授業の復習を始める。
少し前まで吹奏楽のことしか頭になかった私が復習をしても分からない問題が多い。ただ解説を読んで解いて、そして間違っているというループを繰り返す。
勉強に飽きたというより我慢できなくなってきた。
部室に置いてある唯一読めそうな詩集を開く。しばらくページを進めていると青春というタイトルの詩で読み進めるのを止める。内容は青春は素晴らしいというありふれた詩。
今の私は青春をしているのだろうか?青春という言葉の定義も分からない。勝手な想像だが心を突き動かされて何というか計算なしにとにかく走り出すような事を青春というのではないのだろうか。
そう考えると今の状況は青春からかけ離れていると言える。
学校伝統のセーラー服を着ていなければ大人に見えるフミ先輩と何も生み出していない無駄な時間を過ごしている私。運動部の威勢の良い掛け声が遠くから聞こえてくるこの部室では青春など生み出されることなんて無いのかもしれない。
結局その日の最後はスマホに流れてくるどうでもよいニュースを読んでいたところで終わる。
「じゃあ、終わりね」
フミ先輩は使い終わった文芸部室の鍵を見せて今日の活動の終了を告げる。
「はい…ありがとうございました」
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