間抜けな探偵のターンについて

N's Story

第1話 長考

 インバネスコートに鹿討ち帽の男は、もう何十分と部屋の中で歩き回っていた。

 広くて贅沢な内装の部屋には似合わず、たった二メートルほどをずっと楕円を描いて歩いている。時折立ち止まると宙を見て、再び歩きだすときには床を見る。思い出したかのように唸ったり、何かを呟いてみたりもしているが、それらひとつひとつには意味がないようだった。

 はじめのうちは私も彼に「座ってみてはどうですか?」「お茶があるみたいですよ」「空気が悪いので風を入れましょうか」と言ってみたが、どれに対しても小さく曖昧な返事をしていた。彼が何かを考えているときは、外からの刺激を与えてもあまり意味がないのだ。

 いい加減、彼の小さく規則的な往復運動を見ているのに飽きた私は、部屋の中を物色し始めた。しかし、あまり物を動かし過ぎてもかえって面倒になるだろうか。そんな思考が頭の片隅にあったため、結局枯れた花の入った花瓶をひとつ動かすだけにとどめた。

「なんだねこれは」

 退屈しのぎに、機械のように決まりきった動きをする彼の軌跡の内側に花瓶を置いた。ちょうどマラソンの折り返し地点になるように。そうするとようやく彼は私に話しかけてきた。

「ターンの目印です」

「これでは障害物が多くなるではないか」

「ここを支点にUターンするんですよ」

 彼は床を無言で凝視してから首を傾げた。

「いや、それにしたって邪魔ではないか」

「もとよりこの広い部屋の中でたった二間しか往復していなかったのですから、普段から障害物の多いところで過ごしているのでしょう?」

「それとこれとはまた別だ。しかしよく分かったな」

「普段の癖というのは、制限がない場所でこそよく出るのです」

 そんな推理を何かの映画で見た記憶がある。受け売りだ。

「なるほど、勉強になるよ」

 まるでフィクションの中の探偵のような姿の彼がそう言う。イメージがあるせいで、全く間抜けには見えなかった。しかし、彼がズボンをかかとで踏んでしまっているのが最後に見えたので、ひどく残念に思った。

 恐らく彼には全く周囲が見えていないのだ。それはそれで天才のようで面白いわけだけれど。

「相手が探偵であるのなら、そのくらいはわかっていてくださいよ。彼らはそういうところに目ざとく知能を働かせるんです」

「だからこうして探偵の恰好をしているんだ」

 サイズのあっていないコートを広げながら、彼は胸を張った。コートの切れ間から、汚れたシャツが見える。

「サイズがあっていないのですから、余計怪しまれますよ」

「でもだいぶ着込んでいる」

「死体からはぎ取ったんですから、新品なはずないでしょう」

 三十分ほど前に息を引き取った探偵が、床に倒れ込んでいた。その頭の上には、枯れた花が供えてある。

「じゃあどうする?」

 子供のように頬を膨らませた彼は仁王立ちになった。それを聞かれても私は困る。

「それを考えていたのではないですか? この死体を破棄するなり現場を工作するなり、そうやって歩き回って考えていたのではないですか?」

 彼はまた、床を凝視してから首を傾げた。

「いいや、君の殺し方を考えていたんだよ。唯一の理解者であり目撃者の君」

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