2、歯

 中学生にして初めて『北の国から』の魅力に気付き、テレビシリーズからスペシャルまですべてのDVDを買いそろえ、何度も見返した。その素晴らしさを同級生と共有しようとしたが、気持ち悪がられた。

 田中邦衛くにえ演じる黒板五郎は、聖美きよみの理想の男性像となった。高校生になると、この物語の世界をつくった倉本そうに憧れを抱き、脚本家になることを夢見た。それを現実とするため、聖美は勉学に励み、現役で早稲田大学文学部に合格した。本当は東京大学に入り、倉本聰の後輩になりたかったのだが、〈早稲田も著名な脚本家は輩出しているし……〉ということで、心の整理をつけた。


 大学3年になり、いよいよ就職が目の前に迫った。周囲には作家や映画監督などを目指す者がたくさんいたが、ほとんどは在学中にその夢が覚めてしまい、民間企業への就職活動という現実的な道を選んでいた。聖美は文学漬けになろうと、大学生活というモラトリアムを過ごそうと、脚本家への夢は消えておらず、むしろ燃え上がっていた。〈こうなったら絶対田舎に行く!〉――というのも、敬愛する倉本聰が、著作の中で田舎暮らしをすすめていたからだ。〈田舎を、自然を知らずして、血の通った物語が書けるわけがない〉と聖美も思っていた。


「聖美の気持ちはわかった」父親が言った。

「ホント!?」聖美は声を上げた。

「あなた……」母親は困惑していた。

「父さんも、倉本聰って人は素晴らしい人だと思ってた。その歳でそれに気付けたことは、父親として嬉しい」

「父さんに分かってもらえて、嬉しい」聖美は涙をこぼした。

「じゃあ、富良野ふらのに行くのね」母親が言った。「北海道の冬は厳しいだろうけど、頑張ってね」

「んーん」聖美は首を振った。

「え?」父と母が目を丸くして言った。

「行くのは栃木だよ。足利あしかが市」

(…………意外と近っ!)両親は脱力して言葉が出なかった。(あれほど言ってた割には近いな……同じ関東じゃないか。それに、村じゃなくて、『市』だし……)


 田舎に行くとすれば足利市! ――これは聖美が中学生のころ、すでに決めていたことだった。当時憧れていた、サッカーが上手で成績も良いサラサラヘアの男子が、夏休みや春休みに足利市の祖父母のところに行っていて、よくその話をしていた。聖美はそれを傍目はために見ながら、〈彼の素敵さの秘訣ひけつは、定期的に田舎(この場合足利市)に行っているからだろう。やはり田舎(特に足利市!)に行かねばなるまい!〉と、思いつめていた。寒さが苦手な聖美は、富良野を初めから候補に入れていなかった。


「ねえ、いいよねえ、父さん?」

「あ……、ああ、いいよ。聖美がそんなに本気なら……ねえ、母さん」

 母親は困惑し、父親を半ば責めるような目で見ていた。

「父さんは聖美が頑張るってことを信じてる。ああ、そうさ、信じてる……」


 かくして聖美は、友人たちが企業をまわっているのをよそ目に、足利市の農家をまわっていた。行った先では、「ここで働かせてください!」と、神隠しにあった千尋のような言い方をしていた。2ヶ月ほどの〈就活〉で、ようやく人の好い老夫婦が聖美のホームステイを認めてくれた。

「うちじゃあ、子どもらもみんな出てっちゃって、寂しかったんだよ。聖美ちゃんみたいなかわいい子が、一緒に住んでくれることになって、ばあちゃん嬉しい」

 おばあさんは、頭にかぶっていた手拭いを取って涙を拭いた。おじいさんは何度もまばたきをし、鼻をすすった。

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