第12話 ギルド登録といったらアレだろアレ

朝特有の澄んだ空気と、朝霧の残滓で不思議な反射をする朝日を浴びて清々しい気持ちになれるのは早起きをした者の特権だ。


俺は目覚めがいい方で、一度起きると二度寝はしない質だ。

起きてすぐに窓を開けて空気を入れ替える。

朝は少し空気が冷たく、僅かに残る寝起きの怠さを綺麗に拭い去ってくれる。

昨日使った井戸で顔を洗い眠気を吹き飛ばして食堂へと入っていった。


「おはようございます。朝食をお願いします」


「はーい、席に着いて待ってて下さいね」


カウンターには女将さんでは無く、昨日料理を運んできてくれた娘さんがいた。

朝から手伝いとは感心感心。


席で待っていると料理を運んできたのは女将さんだった。

恐らく忙しい朝の仕込みなりをしている間、娘さんがカウンター業務を代行しているのだろう。

そりゃ朝は出ていく客だけだしな。

忙しくなる方に人手を割くのは当然か。


大盛りのポテトサラダの様な物と薄切りのベーコンが載った皿と、昨日の夕食と同じパンが多めに付いてきた。

食べてみるとやはりポテサラだな。

味は芋そのものといった感じ。

この量を食いきるのは骨だぞ。

そう思ったところ周りの様子で正しい食い方が分かった。

どうやらパンに挟んで食べるのが正解らしい。


まずは純粋にポテサラだけを挟んだもの、ポテサラとベーコンを一緒に挟んだもの、そして例の酸っぱい漬物とポテサラとベーコンを挟んだものと3種類楽しめる。

順番に食べてみたがどれも中々おいしいじゃないか。

特にあの酸っぱいのを挟んだのが絶品だ。

こういうのもあるのか、そう感心させられた。


朝からサンドイッチを大量に食ったせいで少し腹が苦しい。

あの量は大人が食べるのを想定しているのだろう。

子供が一人で食べるのは無理があったか。

少し休んでから行動開始といこう。


さて、今日は遂に念願の冒険者デビューだ。

荷物は置いていってもいいだろう。

特に盗られるものも無いし、財布だけ持って行こう。


カウンターには今度は女将さんが立っていた。


「女将さん、冒険者ギルドってどこにありますか?」


鍵を預けるついでにギルドの場所を尋ねる。


「それだと、うちを出て左手に進むと広場に出るんだけど、そこの右前側に大きな建物があるからそこが冒険者ギルドだよ」


「わかりました。ありがとうございます。行ってきますね」


「はいよ、気を付けて行っといで」


礼を言って宿を出てギルドを目指した。


早朝から賑わう人の群れに交じり、広場を目指す。

女将さんの話ではすぐそこみたいな感じを受けたが、なにせ都市は広大だ。

道ですれ違う馬車を見かけるたびに、羨望の眼差しを隠せないのも仕方がない。

とはいえ、徒歩での移動にも利点はある。

それは街並みをゆっくり見れるということだ。

そこには確かに生活があり人々の活気の源がそこかしこに散りばめられている。


朝からやっている店も大体は飲食店が多い。

今のところ目に付く全部が店舗での営業で、屋台や露天商といったものが、全く見られない。

この世界では一般的ではないのだろうか。


その疑問は広場に着くと解消された。

そこかしこに露店が開かれ、盛んに売り買いがなされていた。

なるほど、ここに来る途中に露店を見かけなかったのはこの広場に集まっていたからか。

露天売買の許可の問題からなのか、それとも単に人が集まる場所に自然と集まったのか、恐らくは後者だと思うが、どこか前世でのフリーマーケットの光景を思い出すそれを横目に、目的の建物の前に立った。


アイボリー色の煉瓦造りの頑丈そうな壁が20メートルほどの長さで横に広がっている。

入り口は今は開け放たれていて、中の人の動きが僅かに覗ける。

建物自体の高さは5メートルほどか。

しかし奥の方に塔のように聳え立っている建物の一部が10メートルはありそうだ。

なんとなくロンドン塔を想像させる造りをしている。


まさか、こんなものがあるとは。

門構えといい建物の造りといい、これはなんて―


「大きいだろう?」


あっけにとられていると、後ろから声がかけられた。

安全な街中で気が緩んでいたのか、声をかけらるまで後ろに立たれた気配に気付けなかった。


振り返ってみると、黒いローブに身を包んでなにやら籠を背負って立っている神父がいた。

目が開いているのか分かり辛いくらい細く、柔和そうな雰囲気だ。

神父と気付いた理由は簡単だ。服の造りが前世のテレビで見たスータンというのに似ていたからだ。

極めつきは腰の横に大きな銀製の輪と棒を組み合わせた十字架に似たものが括り付けてある。

この世界の宗教の十字架に当たるものだろう。

ザ・神父と言わんばかりの格好なのだからそのものでしか有り得ない。


「君は街の外から来たのかな?ギルドの建物を見るのは初めてみたいだね。魂が抜けそうなほど口を開いていたから、きっとそうだと思って声を掛けてみたくなってね」


そう言って俺の横に並んでギルドを一緒に見上げる。


「冒険者ギルドも商人ギルドもどちらも大きいんだけど、この街ではこっちの方がわずかに大きいんだ。ヘスニルは交易都市だからね、人と物が集まるから自然と冒険者の仕事も増えて行って、結果として建物も大きくなっていったんだ。君のように地方からやって来た人なんかがこれを見て驚く姿をよく見るんだよ」

親切にも見ず知らずの俺なんかに細々と解説をしてくれる神父。


でも神父様、違うんです。

大きさに驚いたわけじゃないんです。

この建物があまりにもからなんです。


こんなどう見ても誰かが意図して作ったとしか思えない、漫画なんかでよく見る冒険者ギルドの姿そのものじゃないか。

テンプレートがどこかに記されててそれに沿って建てられたんじゃないか?

大きさの話をすると現代日本で生きた記憶を持つ俺からしたら、この程度の大きさで度肝を抜かれることはない。

高層ビルを知っている身では、でかい文化遺産ぐらいの認識で終わる。

まあそれでも大きいと感心する心は持ち合わせてはいるが。


まさかそんなことを言うことも出来ず、黙っていると、神父は放心していると勘違いして、励ましの言葉を残して去っていった。

慌てて返事を返そうと思ったが、既に人混みの中に紛れてしまっていて見つけられなかった。

ここで暮らしていればいずれ出会う機会もあるか。


気を取り直しギルドの中へと踏み込んだ。

実は顔がにやけるのを我慢するので精一杯だ。

入ってすぐに受け付け窓口が幾つか設けられており、どれも人が並んで混んでいた。

右手にはテーブルと椅子が置かれたフードコートの様なものが併設されており、かなりの広さを占めている。


既に何組かが食事をとっていたり、テーブルを囲んで打ち合わせをしていたりする。

左手には掲示板が並び、それを見ている人の群れが横に広がっており、その中へ分け入るのを躊躇させるほどだ。

ここから依頼を見つけて受付に持って行くシステムだろうか。


なによりもまず登録を済ませるために受付の列に並ぶ必要があるのだが、どの列も順番が回ってくるまで時間が掛かりそうだ。

ただ一番左端の受付だけ人が並んでいない。

そもそも窓口に誰もいないから利用できないのか、それとも別の理由があるのか。

これだけ混んでいるんだから、そこも解放した方がいい気がするんだが。


そう思って俺は察してしまった。

さてはあそこは高ランク者専用だな?

低ランク者では使えない、高ランク者への優遇措置か。

俺は騙されないぞ。ノコノコとあそこに行けば、失笑とともに断られることになるんだ。

きっとそうに違いない。であればあそこは無視だな。


とにかくどれかに並ばないといけないので、どれにしようか悩んでいた時だった。

不意に俺が立っている場所に影が差した。

影の持ち主を探して振り向くと、俺の背後に大男が立ってこちらを見下ろしていた。


2メートルはある身長と手入れのされていない赤毛の長髪が目立ち、さらには伸ばし放題の髭が顔を覆い、感情が読みにくい。

邪魔になっているかと思い、横にずれたが視線は俺に向けられたままだ。

まさか……これは―。


「坊主、見ない顔だが、新入りだな?」


キ、キターーー!!

恒例の新人いびり、『ガキのいるところじゃねぇ、帰ってママのおっぱいでも飲んでな』のテンプレストーリーっっ!!

まさかこの身で体験できるとは!

絡んできたチンピラを圧倒的な実力で追っ払う、セオリー通りじゃないか。

ベタすぎる展開にニヤケる顔を平静に保つので精一杯だ。


さて、どうやって倒そうか。

挑発してスタイリッシュに倒すのがかっこいいな。

だが、下手に出て調子に乗らせてから落とすのもまたいい。


うーむ、……考えるのが面倒くさくなったな。

適当な魔術で一発かまして『な、なにーこんなガキがこんな魔術をー』みたいな流れで行くか。

そうと決まれば早速―


「新規登録は左端の窓口だ。そこに行って呼び鈴を鳴らせ。担当がすぐにやってくる」


「……え?……あ、はい。どうも御親切に。ありがとうございます…?」


それだけ言って後ろを向き、片手を上げてフードコートの方へ去っていった。


あるぅぇぇえ?ここは絡んでくるもんじゃないの?

新入りの洗礼があるんじゃないの?

なんの問題もなく登録できちゃうよ?いいの?


チラッチラッと周りに視線を送るが、こちらに注目している人は全くいなく、ただ佇むばかり。

絶対にひと悶着あると思ったんだがなぁ。


……まあいいか。親切に教えてくれたのだから早速向かうとする。

というか、あの窓口って高ランク者専用どころか新規専用だったのか。

いや言われて考えてみれば納得できるな。

確かに新入りには登録手続きや説明で時間がかかるだろうから、専用の窓口は必要だよな。

何事もなく平穏に登録ができることにモヤモヤとした物を抱えて、窓口の呼び鈴を鳴らした。


「お待たせしました。こちらは新規登録者優先の窓口です。新規登録をご希望でしょうか?」


落ち着いた声で応対に出たのは銀髪碧眼のセミロングのエルフの女性だった。

長い耳が髪の横から飛び出しているのが見える。

微笑を浮かべた丁寧な対応に、その美貌も相まって冒険者に人気があるんだろうなと思った。


「はい、新規登録をお願いします」


「承知しました。本日は私、メルクスラが担当させていただきます。それではこちらに氏名・年齢・出身地・特技をそれぞれの欄に可能な限りのご記入下さい。名前と年齢以外は白紙のままでも構いませんが、その場合は依頼者への推薦が難しくなりますのでご注意下さい」


出身地以外は普通に書くとして、特技は雷魔術を外すか。

人前で使えるのは土と水だけとなると、依頼が限定されるかな?


「あの、実は俺、字が書けないんですが、代筆をお願いできますか?」


「かしこまりました。では口頭でご申告下さい」


出身地と雷魔術を伏せて申告し、次のステップに進む。

年齢の所で一旦書く手が止まったがなにかあるのだろうか?


「それではこちらの箱の側面に手を添えてください。はい、そちらで結構です。そのままの状態で少々お待ち下さい」


ティッシュ箱ぐらいの大きさの箱を手渡されて、長広い面を上にして横を持っていると、触れている所から波のようなものが手から体へと伝っていき、全体に浸透していくようにして消えていった。


「今のって―」


「はい、結構です。それではこちらへご返却下さい」


俺の質問に答えることもなく手に持っていた箱を回収し、なにやらゴソゴソやっている。

え、今のを説明してくれないの?


「ギルドカードの作成にしばらく時間が掛かります。この間を利用しまして、ギルド規約の説明をさせていただきます」


まるで保険の勧誘を受けている気分になるな。






まとめると以下のようになる。


冒険者同士の争いは原則禁止されており、これを破ると組合内罰則が適用される。

軽いものだと罰金で済むが、重いものだと除籍処分となる。

こうなるとギルドカードを没収され、冒険者として生きていけない。

これに加え、人を殺傷した場合は更に国の法で裁かれ、最悪は死刑に処される。


依頼は掲示板に張られている依頼書に紐付けされた札を受付に持って行き、そこで説明をされて受理される。

提示されている報酬金額は既にギルドが税金と手数料を引いた額であり、これによりギルド登録者は納税の手間を省ける。

ただこの仕組み上、ギルドからの依頼を一定期間受けずにいると、強制依頼が発生する。

これをこなして未納分の税金を納めないと、依頼掲示板の利用ができなくなるので注意すること。


ランク制の規定は黒・白・黄・赤・青・紫の順に高くなっている。

また、それぞれの色でさらに4段階に分けられ、例えば登録したての新人は黒4級から始まり、実績を積んでいき黒1級からの昇格で白4級となる。

昇級は依頼の達成実績とギルドへの貢献度で評価されるが、詳しい基準は秘密だそうだ。


目安として黒が駆け出し、白が中堅からベテラン、黄がベテラン以上と見ていい。

赤まで至ることができれば冒険者としては大成功したと言えるそうだ。

現在は紫の位に至っている人物はいないらしい。

ちなみに黄2級から税金の減免がされ始め、赤4級になると完全に免除される。


依頼を受ける際は自分のランクの2つ上までは受けることができる。

つまり俺なら黒4級から黒2級までのランクの依頼を受けることができる。

これは本人の能力や実績から逸脱した難易度の依頼をうけるのを防ぐためらしく、駆け出し冒険者の安全措置も兼ねている。


ついでにさっきの箱を持ってなにやらやったのは、登録の際に魔力を読み込んでカードに本人認証できるように加工するための準備だったそうだ。

魔力を波にして体に流し、返ってきたパターンをカードに記録する。

これはランク制が導入された700年前に考案されたものだそうだ。

このおかげでギルドカードの第三者の悪用が出来なくなり、登録者の確認もしやすくなったらしい。


他にも細かい決まりがあるが、今はこんなものでいいそうだ。

解らないことはいつでも聞いていいし、説明が必要な依頼にはその都度説明していくとのこと。



「カードが出来ましたので、ご確認下さい」


そう言われてメルクスラから手渡されたのは、名刺くらいの大きさの黒い金属で出来たカードだった。

ご確認下さいと言われても俺は文字が読めないのだから、何が書かれているのか分からないんだが。


そのことを思い出してか、メルクスラは気まずそうな顔をしている。

すいませんねぇ、面倒くさい客で。


ただ、名前だけは宿の台帳に記帳された文字を見ていたので、理解はできた。

あとは何か文字が書かれている、ぐらいの認識しか出来ない。

…まあいいか。間違いがあったらまた来ればいいだろう。


問題無いという素振りで甚平の懐にカードをしまう。

言ってなかったが、服を作る際に懐の部分にポケットを作っておいた。

それが今日生かされた。


「登録作業は以上となります。それでは1年間、ご健闘をお祈りします」


そう言って軽く頭を下げられたが、意味が解らなかった。


「あの、1年間というのはなんのことでしょう?」


そう聞くとメルクスラは一瞬首を傾げたが、はっとして、頭を下げてきた。


「申し訳ありません。年齢制限の説明を失念していました」


そう言われて、年齢制限の話を始めた。

中々にうっかりさんだな。


ギルドへ登録するのに年齢を問われることはない。

だが、この世界では15歳を成年としているため、それ以下の年齢では登録は出来ても活動は制限される。

通称年齢制限と言われ、15歳に満たないものは1年間、自分と同じランク帯の依頼しか受けられない。

当然その間昇級もない。


一定期間、問題なく依頼を達成出来て、ギルド側だけが設定・把握している達成目標をクリアした者だけが、改めて通常の冒険者として扱われる。

これを達成できない限りは15歳になるまではこの制限が付く。

現在このギルドにも何人か15歳未満の冒険者がいるが、未だにこの制限が解除された者はいないそうだ。


その日を暮らせるだけ稼げばいずれ解除されるのだ。

無理に依頼を受けて体を壊したり、下手をしたら死ぬかもしれないリスクを取る必要もない。

1年2年と制限付きで過ごす内に、自分の正しい実力を把握するようになる。

その頃には経験も積んで、立派な駆け出し冒険者が出来上がる寸法だ。

よく出来てる仕組みだと感心してしまう。


当然10歳の俺はこれに該当し、1年間は制限付きの依頼で頑張らなくてはならないため、先程の言葉が出てきたというわけだ。

ギルドが新規登録者を大事に育てることを考えている証か。

そしてふと、先ほどの冒険者とのやり取りを思い出し、漫画などでよくある『新人冒険者の洗礼』について聞いてみた。


「そういったことはありえませんね。将来自分を助けてくれる可能性のある相手をわざわざ弾くのは自分の首を真綿で絞めるのと同じです。そもそも性格が合わないといったものでない限り、険悪になる意味がありません」


納得の真実だ。

呆れた様子で説明してくれたが、言われてみればなるほどと思う。

冒険者として生きているのなら、そういったことも見越して考えられないとやっていけないだろう。


メルクスラに礼を言い、立ち去るついでに掲示板の様子を確認して行こうと思う。

人が減った様子の無い掲示板前だが、邪魔にならず尚且つ様子を確認できる距離に立つ。

掲示板の前の人混みに入る気も起きないし、そもそも字が読めないから依頼を吟味することすらできない。


遠目で見ていると、依頼を受ける人は依頼用紙の下に下げられている木札を取って受付の列に並んでいく。

あれが依頼の割符の様な物か。

複数下げられているのは枚数分の人数の募集があるからだろう。

なんとなく流れが分かったのでギルドを後にする。


次の目的地は教会だ。

さっきの神父に聞けばよかったと今になって後悔していた。

まあ、あの時はギルドの建物に呆然自失気味だったから仕方ないね。

だが場所の見当はつい先ほどついていた。

なにせ立ち並ぶ建物の屋根より高い位置に、神父が持っていたものと同じ形の十字架が上に突き出ている場所が確認できたからだ。


目印があるなら後は簡単だ。

そこを目指して歩いていくだけ。

流石に直線距離そのままに進むことはできず、何度か角を曲がり、教会へと辿り着いた。


どうやら目印にしていた十字架は鐘楼の屋根についているもののようだ。

それより低い建物の屋根には一回り小さい十字架が立っている。

体育館ほどの大きさの建物はかなり古いようで、壁を蔦が覆っているが、過剰に繁茂しないように適度に手入れはされているようだ。

目の前にある大きな両開きのドアは、開けた先が礼拝堂になっているのが普通だが、この世界ではどうなのだろうか?

ノックをした方がいいかと思い、中に響くように強めにノックした。


「開いてますよ。そのままどうぞ」


と聞き覚えのある声に従い片側のドアを開く。

やはりそこにいたのはさっき会った神父だった。

向こうも気づいたようで少し驚いた顔をしていた。


「おや、君は先程の…。…ようこそ、神の家へ。今日はどうしました?」


どの世界も教会を神の家と呼ぶんだなとどうでもいいことを思い浮かべながら、用件を切り出す。


「先程は失礼しました。今日は書庫の立ち入りの許可を頂きたく思いまして。まずはこちらを」


そういって団長から渡されていた大きい方の封筒を差し出した。

受け取った神父は中身をじっくり読んだあと、封筒へと戻した。


「確かにアデス・ハルア様からの紹介状と確認できました。これにより書庫への立ち入り申請の一切を免じます。どうぞこちらへ」


そう言って先導して歩いていく神父についていく。

コネうまし。


石造りの通路を歩き、しばらくすると懐かしい匂いがした。

インクと紙が長い時間を経て放つ独特の匂いだ。

いわゆる図書室の匂いだな。

到着すると、神父は壁際へ行き、何やらゴソゴソとやると薄暗かった部屋に明かりが点り、室内の壁いっぱいに据え付けられた本棚を照らした。

10畳ほどの部屋は真ん中にテーブルと椅子が4脚あるだけで、天井に円形の光源があり、それだけで部屋の明るさを賄える。

光に揺らぎが無く、ランプにしては火をつけることもしていなかったので恐らく魔道具なのだろう。


「さて、ここがうちの書庫だよ。陽が落ちるまでは好きに使って構わない。けど、本を汚したり破損したりした場合は弁償してもらうから、気を付けるように」


「わかりました。案内していただきありがとうございました、神父様」


「そういえばお互い名前を知らなかったね。僕はナルシュ。この教会を預かっている身で、一応司祭の位を与っている」


「俺はアンディです」


そう言って礼をすると、右手を差し出された。

握手の習慣がこちらにもあったのか。

しっかりと握り返し自己紹介とした。


「神父様、お願いがあるのですが」


「なにかな?僕に出来る事ならいいんだけど」


「実は俺は字が読めません。なのでここで字の勉強をしようと思うんですが、よろしければ教師役をお願いできませんか?」


神職で司祭の位についているんだ。

文字を扱えないなんてことはないだろう。

最初から一人で勉強するつもりだったが、教師役が入れば捗るに違いない。


「ああ、構わないよ。団長さんからの手紙でも助力をお願いされているしね」


ダメ元で頼んだが快諾されて一安心だ。


「文字の勉強ならここの棚だね。いくつか見繕っておくから、机の上を軽く払ってくれるかい?」


そう言って本棚の一つへと向かっていった。


言われるままに部屋の真ん中にある机の上を払ってみると、わずかだがホコリが舞った。

そこへ本を何冊か積んで持ってきた神父が席に着いた。

手で向かいの椅子を勧められたので腰掛ける。


「さて、まずはこの本から行こうか。これは絵本仕立てになっていてね、最初に文字を覚えるのにうってつけなんだ。文字を指しながら読んでいくから質問があったら遠慮なく言うんだよ」


そう言って、本をこちらに見やすいように神父とは逆に向けて読んでいく。

これって地味に難しいはずなんだけど、慣れているようで難なく進んでいった。


俺がすごいのか子供の脳の吸収がすごいのか、恐らく後者だが。

4時間ほど学び、大体の理解ができるようになってきた。

数字は完璧に覚えた。

こちらの世界にもゼロの観念があったし、10進数が基本なので混乱なく覚えれた。

これはエレイアに通貨の話をしてもらった時に解っていた。


文字に関してはアルファベットのようなものの組み合わせのため、暗記してしまえばあとは早かった。

文章の作り方自体は単純なもので、簡単な文法だけで構成されたものなら既に読めるようになった。

ただ、不思議な感覚だが、元々覚えていたものをなぞりなおして覚えてるような感覚に陥ることが何度かあった。

これはもしかしたら、この体の記憶が持っていた知識を思い出しているのかもしれない。

あくまで俺の仮説だが、そうとしか考えられない、そんな時間だった。


「すごいじゃないか、アンディ君。文章を理解するのはもう充分だね。あとは慣れだよ」


そう言って神父様に労われた。

正直何日かかるかわからなかったが、蓋を開けてみれば1日で済んでしまったのはうれしい誤算だ。


「ありがとうございます、神父様。長い時間、付き合わせてしまいましたね」


「言われてみればそうだね。昼食を摂るのも忘れていたよ。今更ながら空腹が辛くなってきたね」


確かに俺も腹が減っていた。

昼に休憩を少し挟んだが、食事を摂ることなく集中していたからな。


「神父様、今日は本当にありがとうございました」


「いいんだよ。僕も久しぶりに誰かに教えるのが楽しかったからね。またいつでもおいで。教会の門はいつでも開かれているよ」


そのセリフもこっちの世界で聞けるとは。

外はすっかり日が暮れており、空腹感に急かされて足早に宿へと帰っていった。

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