中学・高校のときの作品倉庫

サイカワリョウ

心理的退廃的ホームレス

 結局、僕はなにもせずに料金だけを渡して呼んだデリヘルを帰らせた。なにもする気がおきなかった。ホームページの写真の通り、僕好みの女の子だったから、ちょっともったいなかったかなと思ったけど、今もし呼び戻せたとしてもやっぱり帰らせただろう。黒髪ショートで背が低くて、華奢で、目が大きい、少し幼い感じの純真そうな女の子だった。そうだ、僕は本来こういう女が好きなんだ。なんだってあんな女とこんなにも沈んじまうような関係にまでなったかっていうとやはり金だし、僕の怠慢と生来の不真面目さを直さなかったことが原因なんだけど、それでもこの半年僕は結構頑張ったと思う。昼はレンタルビデオ屋でバイトして、早めに帰って少しだけ掃除して料理して。きっと今はあの女は僕のことなんて忘れて幸せになってるんだろうな、と考えて吐き気がした。でもその方がマシだ。もしもあの女がベッドの中で僕とのツーショットを見ながら「ごめんね」なんて呟いて涙をこらえたりしていたら、僕は今すぐにあの女の首を絞めて、そこの電気ストーブのコンセントを引きちぎって自分の口の中に突っ込んで名誉ある感電死を選ぶ。

 


あの女ことミオコさんは、僕を始めて指名してくれた人だった。半年前まで僕は新宿のホストクラブに勤めていた。毎日毎日、売れてる先輩のヘルプに入り酒を飲まされトイレに全て吐いた。もしかして僕が吐いているのは酒や胃液じゃなくて僕の腐ったはらわたか、あるいはアルコールでとろけきった脳味噌なんじゃないのかしらん、などと取り留めのないことを考えて、擂り潰されたヒキガエルみたいななにかを心に飼いながら日々を消化していた。

 そんな日々の中でミオコさんは普通の客だった。初めての来店で、僕を指名してくれた。場内指名だったけど、初めての指名で僕はかなり舞い上がっていた。失礼がないように、失礼がないようにと指先まで気を遣った。ミオコさんはそれから月に数回来店してくれた。聞くところによると、ミオコさんは会社を経営しているらしかった。ホストクラブでの金遣いを見る限り、収入はかなり良いようだ。一度、彼女の会社について調べたことがある。会社はまだ新しいが、そこそこ軌道に乗っているようだ。

 そして半年前、僕がNo.3になったときだった。アフターのときに、ミオコさんからホストを辞めろと言われたのだ。住む場所も十分な金も用意してあげるから、と。

 もともと僕は本気でホストを始めたわけではなく、遊ぶ金ほしさの小遣い稼ぎ程度のものだった。でも遊びでやっていけるほどホストは甘くなく、毎日酒を飲んで肝臓を傷めつけるのにも飽きてきたころ、ミオコさんに出会ったのだ。そこからはミオコさんのお陰でNo.3まで上がることができたが、正直、ホスト稼業が“遊び”の範疇を超えてきて、荷が重いと感じていた。ミオコさんの頼みは魅力的すぎた。

 思えば、その『他人の金で生きていけるなら超ラッキー』みたいな安直な考えが、僕という人間の本質的な負け犬要素なんだと思う。でも正真正銘の現代っ子である僕は「いいえ、僕はこのままホストとして女の子たちに夢を魅せる仕事をします」なんて言いきる信念とか強さとかそんな面白いものは持っておらず、あっさりミオコさんの提案を承諾した。

 ホストクラブを辞め、ちょっと高いマンションを買ってもらった。ぐうたらするのもアレなので、昼間はちょっとだけバイトをして、あとはミオコさんの機嫌をとるように夕食を作ったりした。

 ミオコさんはいつも二十一時ごろにマンションに来た。彼女の家は近くの住宅街だが、家には中学生の娘さんがいるとかで、あまり帰りたくないようだ。僕の作った夕食を食べて、シャワーを済ませて、気が向いたらベッドで睦言を囁いてみたりして。

「ねえ、こんなおばさんで本当にいいの?」

 彼女の口癖だった。僕に拒否権がないってわかっているくせに、いつもこう言うのだ。

「僕はミオコさんがいいんだよ。」

 わざとらしいくらいに甘えた声で言うと、ミオコさんはあからさまにほどけた表情で〝女″の顔をした。僕はそれが少し気味悪かった。

 実際、彼女は僕からしたらかなり『おばさん』だった。僕が二十過ぎで、彼女はもう四十近い。それでも彼女には、金だけで釣られたわけではないくらい、ちょっと本気になってもいいくらい、不思議な魅力があった。

 


 僕はふと、彼女との昨日の会話を思い出した。夕飯の後片付けをしているとき、彼女は唐突に口を開いた。

「もしもアタシがさ、明日突然消えたらどうする?」

 僕は、皿を洗いながら答えた。

「探すんじゃないかな。警察に届けて、大げさって言われるくらい一生懸命探すよ。」

ミオコさんは首を振った。

「いいえ、違うの。消えるってのはさ、あなたとか会社の人とか、みんなの記憶からアタシが消えて、娘も違う人の子供だったことになって、とにかく存在ごと消えたときよ。」

珍しかった。ミオコさんはこんな無意味な心理テストみたいなことを好むタイプじゃないし、そもそも『世界から消える』なんてネガティブなことを言い出すことはほとんどない。年度末に秘書が風邪ひいて忙しいだとか取引先の社長が嫌だとかそういう仕事の愚痴は頻繁に言ってくるし、僕はそれに甘い甘い少女漫画みたいな返答をしていればよかったんだけど、こうも人間性の根幹が暗転したみたいな話題には言葉を慎重に選ばざるを得ない。

僕に求められているのは、僕の意見ではなくミオコさんの気分がよくなるような返答だ。

 少女漫画の王子様みたいな解答か、新興宗教の教祖様みたいな言葉か。僕は少し考えてから口を開いた。

「忘れちゃうんじゃないかな。でもあなたの存在だけは脊椎が覚えてて、きっと脳味噌がむず痒くなる。だけどきっとあなたのことは思い出せないと思うよ。それっていつも人間が自然にやってることじゃん。僕にとってミオコさんは大切だけど、人生の中で『絶対失えないもの』なんてないし、どれだけ大切でも、なくて困るものなんてない。」

 僕はそんなことは言わなかった。

「もしそんなことになっても、僕はミオコさんのことは絶対忘れないよ。こんなにも愛してるんだからね。」

 僕は笑ってこう言った。ちょっと冗談めかして、ミオコさんの方を見ないで答えた。

「ふうん、そっか。」

 無感情に彼女は答えた。

 排水溝が音を立てて水を飲みこんだ。

僕がちらっと振り向くと、彼女はさきほどの質問なんて忘れたかのようにテレビを見ていた。どうしたの唐突に、と尋ねようかと思ったがやめた。どうせテレビドラマででもそんな内容が出てきたのだろう。僕はそれ以上なにも言わずに、まだ泡まみれの皿に向き直った。

「アタシ、もう帰るね。」

ミオコさんは惰性で眺めていたテレビを消し、シャワーすら浴びず、早々に自宅に帰っていった。僕はいつも通り、軽くキスをして見送った。


 跳梁跋扈も過ぎた深夜のことだった。ミオコさんからメールが届いた。結婚することに決まったから、もう会えない。マンションと当面の生活費はあげるから別れようとのことだった。

 なんとも一方的なメールだ。さっきまであれだけ普通に接しておいて、半年の付き合いがあった男とメール一通で縁を切ろうというのか。正直、現実が飲み込めなかった。口座を確認すると、確かにあと半年は食べていけるだけの金が振り込まれていた。さすがに贅沢は望むべくもないが、マンション一部屋とこれだけの金を渡されたらたかだか元ホストのヒモとの手切れ金としては十分すぎるだろう。彼女から望んだこととはいえ半年間養ってもらっていた身としては、文句の言いようがなかった。

 金の話ではない。彼女のことを愛していたかと問われればそれは違うが、心理的に依存していたのは間違いないのだろう。今初めて気づいた。『ヒモとして都合のいい関係のはずだったが本当は好きだった』、なんてそんなチープな話ではない。そんな女性向け雑誌の胸糞ストーリーみたいなのはごめんだ。だけど、彼女のことは特段大切なわけではないはずなのに、なぜか絶対に取り返しのつかない分岐点を間違えたような、絶対の居場所だと思ってたものが全部消えてしまったような絶望感が、思考をすべて奪っていった。



 そして話は冒頭に至る。僕はうだうだしていても仕方がないと思い直し、体育座りの姿勢を解いた。ベッドから降りてカーテンを開けると、南中した太陽が眩しい光を僕に突き刺した。一睡もせずに、半日も彼女のメールのために抑鬱状態でいたのかと思うと少し馬鹿らしい。朝四時に呼んだデリヘルの娘はどうしているのだろうか。ミオコさんのことであれだけ胸がいっぱいだったのに、踏ん切りがつけばさっぱりと忘れられるのが、僕の長所であり欠陥なのかもしれない。

 仕方がないので朝食も兼ねて昼食はなにかお腹に入れよう。食欲はないが午後のバイトに差し障るといけない。今夜もミオコさんが来ると思っていたから冷蔵庫にはひと通りの食材があるが、チゲ鍋を作るような元気はないのでカップラーメンで済ませてしまおうか。

 

 

 バイト先の閑散としたレンタルビデオ屋のカウンターで、僕は所在もなくミオコさんのことを考えていた。やはり結婚するとなるとそこそこの高収入の男なのだろうか。頭のてっぺんから足の先までマッチョイズムでできてるような男か。どちらも僕とは根本的に合わない人種だ。きっと彼らのようなサムライ・スピリットを持つ男は僕のような優柔不断で日々を無気力に流されるように生きている人間のことを拒絶するのだ。

 いや、逆か。

 僕が、自分の道を持っていて、明確なヴィジョンのもとに行動していて、前だけを見つめるような人間を毛嫌いしているのだ。

 

こんな不毛な精神論をしたのは中学二年生の夏以来だった。

 

店内には相変わらず人は少なく、明らかに専業主婦のようなオバサマが韓流ドラマのパッケージを眺めていたり、小汚いエロジジイが十八禁コーナーにいるだけだった。

 店のドアが開いた。遠くで風俗の広告宣伝車の声が聞こえてきたが、下卑たそれはすぐに店内のJ‐popにかき消された。入ってきたのは中学生くらいの女の子だった。

 僕は彼女に見覚えがあった。ミオコさんの娘のトキコだ。何度かミオコさんに頼まれ彼女の学校からピアノ教室まで車で送ってやったことがあるからよく覚えている。黒髪の綺麗な娘だった。

 確か今は中学三年生ではないだろうか。顔は取り立てて不細工ではないが、飛びぬけて可愛いというわけでもなく、母親のような妖艶な魅力もなく、本当に普通の女の子という感じだ。

 彼女はひと通り店内を歩き回り、映画を一本持ってカウンターに来た。カウンターの近くまで来てから、彼女は初めて僕に気づいたようだった。

「やあ、調子はどう?」

 向こうがこっちに気づいている以上、他人の振りをするのもなんだか避けているようでもどかしいなと思い、僕はベタな挨拶をした。

「あんた、捨てられたのね。」

 淡々とした返答だった。中学生なのにこんな鋭く、冷たい返事を仮にも大人にするのかと、僕は少しあっけにとられた。

「はは、まあね。学校はどうしたんだい?平日だろ。」

「文化祭の振替休日よ。」

トキコはそれ以上なにも言わなかった。会話を続ける意思はないようだ。彼女が借りたのは、『風と共に去りぬ』だった。

 会計を済ませ、彼女はレンタルのナイロンバッグを手にして踵を返した。

「ありがとうございました。」

僕はマニュアル通りの言葉をなぞった。


 

五時半にバイトから帰りマンションのドアを開けると、大きな鞄がリビングに置いてあった。僕のベッドにトキコが座っていた。彼女は図々しくも部屋のビデオデッキを使い、先ほど借りた『風と共に去りぬ』を観ていた。

「おかえりなさい。今夜、泊めてもらえる?」

僕は、先ほど彼女に「捨てられたの?」と言われたときよりも茫然としてしまった。ミオコさんに合い鍵は渡してあるから、彼女からくすねればトキコがこのマンションの一室に入るのは簡単だ。しかし、母親の元愛人のもとに泊まろうとはどういう根性をしているのだろう。

「・・・お母さんも心配しているんじゃないのかい?年頃の女の子が男の家に泊まるなんて。」

自分でもびっくりするほど普通の大人のような対応をしてしまった。

「あの女が母親だなんて言わないで。男がいないと生きていけない屑よ。そんなに男が好きなら動物園の猿山にでもいればいいんだわ。」

 トキコは少し言葉を止めた。流しっぱなしの映画が気になったようだ。数秒間テレビの画面を真剣に見つめてから、トキコはもう一度口を開いた。

「あの女、新しい旦那とよろしくしてるから家にいると気持ち悪くってしかたないの。それにあなた、私に手を出すような度胸はないでしょう。」

 僕はぐうの音も出なかった。というか常識的に考えて中学生に興奮するような異常性癖のペドフィリア野郎だったら十も年上のミオコさんとお付き合いしていない。

「仕方ないなあ・・・。今夜だけだよ。」

「ええ。そのつもりよ。ありがとう。」

 少し意外だった。あまり口は良くないが、彼女はきちんとお礼は言える子だったのだ。そう思うとこの子はそう悪い子ではないのだろう。

 新しい父親に馴染めなくてプチ家出をするなんてかわいらしいものではないか。僕は少し気分がよくなった。

「なにか食べるかい?どうせ夕食も考えてなかったんだろう。」

 彼女は少し目を大きく開いた。

「あら、コンビニで買おうと思って忘れていたわ。ご相伴にあずかってもいいの?」

 なかなかしっかりした子だ。でもさすがに大人として中学生に自分でコンビニ飯を買えと言うほど落ちぶれてはいない。

 まあヒモだったんだけど。

「もちろんいいよ。食材は余ってるし。子供はそんなこと気にしないでよ。」

 彼女は子ども扱いされたことに一瞬だけ不服そうな顔をしたが、自分の立場をわかっているようでなにも言わなかった。


 僕が料理をしている間、彼女は学校の宿題をしているようだった。

「はい、お待ちどうさま。」

 湯気が立つオムライスに生野菜のサラダ。一流料理店とは言わないが、ファミレスで出てきても恥ずかしくないくらいの出来栄えだ。

 自分ひとりならいつもは手抜きをして賞味期限ぎりぎりの食材を適当に放り込んだ鍋にするのだが、成長期の子供がいるとなるとまともなものを作らなければならない。少し張り切って作ってみたが、少し子供っぽかっただろうか。

「いただきます。」

 きちんと手を合わせて、トキコはオムライスを頬張った。

「ん、おいしい。」

 やはり、家庭環境のせいで少しとげとげしいが、彼女の本質は素直で純粋なのだろう。声に出しておいしいと言ってもらえるとなかなか嬉しいものだ。

 ミオコさんは、あまり料理の感想を言わなかった。

「私、いつもはスーパーのお惣菜で済ませてるから、手作りの料理を食べるのは久しぶりだわ。」

「・・・いつでも来ていいからね。」

 僕はそんなことしか言えなかった。

 そういえばミオコさんはいつも僕のところで夕食をとっていた。トキコはきっと、食事も、睡眠も、生活のほとんどを一人で過ごしてきたのだろう。


「そういえばトキコちゃん、『風と共に去りぬ』なんてずいぶん渋いもの借りたね。好きなの?」

「ええ。気に入ってるの。観るのはもう三回目よ。いい加減にDVDを買おうかしら。」

 風と共に去りぬは、僕も好きな映画だ。栄華を極めたアメリカの白人社会が南北戦争によって崩壊していくのは、無常感がある。言葉では言い表せないけれどなんだか好きだ。

「我儘で傲慢で、打算で男をとっかえひっかえしていたスカーレット・オハラがレット・バトラーに捨てられて泣くのが最高に好き。あの女は〝強い女性″なんかじゃないのよ。」

「ずいぶん感想が曲がっているね。僕はスカーレットは好感が持てるけどな。あれだけ取繕わないで、自分のやりたいようにやるってのはなかなかできるもんじゃないよ。」

「あんなの周りが見えていない阿呆なだけ。自分のわがままを全部押し通そうとするから、全部うまくいってないじゃない。」


 ぼくは少し口を閉じた。『風と共に去りぬ』の主人公であるスカーレット・オハラは、やっぱり強い女性だし、トキコはそう言うけれど、大人になると自分の意見を通すのがどれだけ大変かよくわかる。スカーレットの〝強さ″は子供にはわからないものなのかもしれない。

 あるいは、特定の男に執着する癖に今の男には捨てられたくないというスカーレットの姿勢が彼女の母親と重なって見える、とか。

  

「よく映画とか観るの?それとも文学が好き?」

「映画はそこそこ観るけれど、詳しいってほどじゃあないわね。小説は好きよ。特に好きなのはサリンジャー。」

「ライ麦畑かい?あれなら僕も好きだよ。ホールデンの思春期特有の潔癖さとか、大人になったらなんとなく割り切れちゃうものを全部抱え込んでる感じが好き。」

「私、ライ麦畑でつかまえてはそんなに好きじゃないのよね。野崎孝翻訳版で読んだからかもしれないわ。主人公の、社会に適合できない自分を棚に上げてまわりの奴らが全部悪いみたいなスタンスが好きになれないわね。思春期真っただ中の中学生としてついホールデンと同じ目線で見てしまうから。大した強さも才能もないのに社会を見下してる彼の一人芝居に自分を重ねてしまうの。同族嫌悪かもね。」

 彼女は少し自虐的に言った。

 ライ麦畑が嫌いとは少し意外だった。彼女は母親がいつも男にかまけているのを嫌がっているから、ライ麦畑みたいな大人の汚い部分を拒絶するような思想は好きだと思っていたけれど。

「勘違いしないでよね。私はあの女が愛情に依存しないと生きていけないのを軽蔑しているだけ。〝大人は汚くて憎むべき存在だ″なんて中二病みたいなことは言わないわ。」

「へえ・・・。」

 もしかしたら、社会に馴染めない失格者という点では僕の方がトキコより子供なのかもしれない。

「ご馳走さまでした。シャワー、借りてもいい?」

「いいよ。タオルなら洗面所においてある。着替え、ある?」

「ええ。」

 トキコは鞄から着替えを取り出し、リビングを出て行った。程なくして、お湯が弾ける音が聞こえてきた。


 彼女は良くも悪くも現実を見ている。彼女には男に溺れる母親のもとで、それを拒絶しながら、自分なりのプリンシプルを確立させている。僕はどうだろうか。なにも考えないで明日から目を背けてる僕。トキコといると、自分が惨めな社会の迷子であることを自覚させられる。


 少し不快だった。


 きっとこれは自分自身への苛立ちなんだけど、やっぱり十も年下で幸せじゃなくとも〝踏み外していない″人生を送っている女の子が妬ましくて仕方なかった。僕は別にアフリカの貧困地帯に生まれたわけでもないし、両親は育児放棄気味だったけれどそうひどい家庭ではない。でも、なんでだかこんなことになってしまった。


 責任者はどこか。

 これは青春小説ではない。


 しばらく実家に帰っていない。偉そうにトキコを「泊めてあげ」ているが、ここは僕の家ではない。ここはミオコさんの買った家だ。

 僕の家はどこだ。

 

 意味のない人生だった。恥すらない生涯だ。

 のうのうと生きている現代社会の産業廃棄物が僕なのかもしれない。


「お風呂上がったわよ。」

 トキコのよく通る声が聞こえた。彼女はぺたぺたと裸足でテレビの前に座った。一時停止されていたDVDが再生され始める。僕は自分もシャワーを浴びるためにリビングを出た。



 浴室から出るとソファでトキコがうとうととしていた。

「もう寝るかい?」

「ええ、明日は学校だし、このままソファを借りるわ。」

 昼間の気丈な態度とは打って変わって子供のようなとろとろとした声だった。本当に眠たいようだ。

 寝室にはミオコさんと使っていたダブルベッドがある。彼女と僕が同じベッドで寝ることになるから少し抵抗があったが、女の子をソファで寝かせるのも複雑な気分だったので、ともすれば床に寝そべって眠ろうとするトキコをどうにか引きずってベッドに乗せた。

 女子中学生のぐにゃりとした体を毛布の中に押し込める。トキコはすでに意識を手放したようだ。

 彼女は寝苦しいようで、寝返りをうって毛布を押しのけた。白い腹がかすかに服からのぞいた。

 

 罪深いなにかが僕の全身を駆け巡った。僕の中のまだ生きている部分が熱く脈打った。動悸がウォッカのように脳を蕩かした。早まった息で朦朧とした頭で、その白に手を伸ばした。

 穢れのないソレがどうしようもなく僕を手招く。彼女への妬み嫉みが破壊衝動となり劣情を煽った。ミオコさんの寝ていた場所で、彼女の遺伝子があどけない寝顔を晒している。色欲に塗れた女の胎内からこんなにも純粋な娘が生まれてくるという事実に興奮した。

 麻痺した思考が本能の箍を外した。


 指先で彼女の下着をずらした。


 少女の柔らかな肌が暖色の電光を反射した。


 僕は弾かれたように彼女から離れた。

 酔った細胞が反逆したようだった。理性がもんどりうって脳を刺した。

 こんな子供になにをしようとしたのだろう。十も年下の女の子に。

 罪悪感が胃に溜まった。すべてを吐き出したかった。感情を吐瀉したかった。自分に対する失望が獣のように僕を襲った。僕は動けなくなった。自分の行動が理解できなかったが、四捨五入しないと成人にならない、四捨五入すれば成熟する少女の淫靡さが心の奥底をもぞもぞと撫でた。


仕方がないので僕も自分の布団に入った。鼓動はロックンロールのように鳴りやまなかった。



 朝起きると、隣はもぬけの殻だった。リビングには簡素な朝食とメモが置いてあった。

『泊めてくれてありがとう。冷蔵庫のもの勝手に使いました。   時子

追記 一泊二日なので、今日中にビデオを返しておいてください。』


なんとも我儘な娘だ。昨夜のことを思い後ろめたさが湧いてきたが、少なくとも彼女は気づいていないようで少し安堵を覚えてしまった。


 僕はDVDが入りっぱなしのテレビの電源をつけた。画面の中では、レットに捨てられたスカーレット・オハラが、涙を流して呟いていた。

「明日には、明日の、新しい風が吹くわ。」

                         《終》

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