第4章

 まさかこんなことになるなんて、思いもしなかった。今でも信じられない。信じられないが、いつまでもこの茫然自失の状態に陥ったままでいるわけにもいかない。とにかく、何か行動を起こさなくてはならない。何か行動を起こして、この私にはあの小僧が死んだことに対する責任などこれっぽちもありはしないということ、そしてこの私は頭の先から足の先まで清廉潔白であり、子供に手をかけるなんて卑劣で非人間的な真似をするような人間では絶対にない、ということを証明しなくてはならない。

 しかしどうやって。どうすればいい。私ははじめに何から手をつければよいのか。

 事実関係(少なくとも私にとっての)をひとまず整理してみよう。そうすれば何か引っかかる点、解決の糸口になるような事柄を発見できるかもしれない。

 あの中学生の小僧が、私が局長を務める郵便局にインターンの申し出に来たのは、一体どれくらい前のことだっただろうか。すぐに詳しいことは思い出せないが、倉庫にしまってある資料を漁ればだいたいの日付は割り出せるだろう。インターンといっても日本郵便がオフィシャルに行っている事業ではないし、本社の許可を得ていたわけでもないのだから、書類による記録などとっているはずもなかったのだ。しかしこんなことになるのだったら、細かく日付なりなんなりを日誌の形で残しておくべきだった。そうすればこの町の日がな一日ぶらぶらして昼寝に精を出しているようなじいさんばあさんどもに痛くもない腹を探られるいわれだって、当然無いはずなのだ。あいつにまつわる諸々の事柄を、思い出せる限り思い出してみよう。あの小僧は何ヶ月か前にふらりとこの郵便局に来て、インターン募集の張り紙を見たのでその応募をさせて欲しい、と私の部下にぞんざいな調子で告げた。中学生にしては少し生意気に過ぎるし、大人をなめきったその態度をがつんと指摘してやる必要があったのかもしれない。しかし私は何も言わなかった。小僧がふらふら体を左右に揺らしながら局長室に通され、目やにのこびりついた両眼で部屋の隅々を不作法にもじろじろと観察し始めた時も、私の頭の中にはこのインターンにどんな仕事を押しつけてやろうか、どこまで社外の非公式な業務を(それも人件費を削りに削って)あてがうことができるだろうかという、ちょっとしたよこしまな考えしかなかったのだ。

 これについては、誰も私の責めることなどできないだろう。今時は日本中でこの手のインターン募集が大学生を対象に行われていて、募集をかけている企業は大抵がインターンという名目なら世間知らずの学生どもをいくらでもただでこきつかってやれると、当然の経営判断で毎日手を動かし足を動かし、蜘蛛のようになって人事部の扉をぎいぎいと開け閉めしているのだ。

 私はこれでもいっぱしの管理職なのだから、これくらいのことは“清濁併せのむ”姿勢でもって遂行できなくてはならない。

 私はあいつにこれっぽちの譲歩もするつもりがなかった。当然あいつの名前も、顔も、私にとってはたいした意味を持たない。あくまでも私が上司でありあいつが部下、私は立派な大人であいつはただの小僧、そういった当たり前の事実関係を確認さえしておけば、あとのことはどうでもよかったのである。しかしあの小僧は初日から私に馴れ馴れしく接してきた。私のことを親でも先生でもなく、ちょっと年上の友達とでも思っているかのようだった。どこぞのヤンキーのように私の机に肘をつき、私の着ている服や寒くなりかけている頭頂部をじろじろと眺め倒し、出入りするときには扉をばんばんと激しく開け閉めした。ひょっとしたら手紙のひとつやふたつ、中をのぞき見て楽しむようなことがあったかもしれない。空いた時間に小用でコンビニに行かせたことも何回かあるが、私が渡した小銭も少しばかりくすねたことがあったかもしれない。あいつが死んでしまった今となってはそれを確認する術はないが、どうにもあいつの仕事っぷりは怪しいものだった。そのくせ上っ面は真面目にやってますとばかりに薄気味の悪い笑みを浮かべ、大人にこびへつらうように唇をしきりにすぼめてみせる。見るに見かねてちょっとばかり、私の苦労した若い頃のことを引き合いに出して軽い説教をかましてやったこともあるくらいだ。

 でも案外、今時の中学生ってのは、大なり小なりああいうもんかもしれない。

 もしかしたらあいつは行方不明になる少し前には、私の前でふさぎ込むような様子を見せたり、いつもとは違う様子を見せたりといった“兆候”めいたもので私に異変を訴えようとしたこともあったかもしれない。しかし私がそんなことに気づくわけがないし、そこまで気をつけて中学生の小僧のことを見ていなくてはならない義理もないのだ。なのであいつのあの時の状態についてこれといったことは覚えていないのだが、そこはひとつ頑張って脳みそを振り絞って考えなくてはならない。

 正直言って、あいつのことを思い出そうとすると少しいらいらする。行方不明になる前日、たぶん日曜日だったと思うが、あいつはまたいつものように局長室で私を小ばかにしながらくだを巻き、営業時間ぎりぎりまで頑張っていた。大抵は子供の好きな携帯ゲームやらネットゲームやら、そんな話をだらだらと飽きもせずに話しているのだが、その日のあいつの話題はそれとはちょっと違ったものだったということは覚えている。それじゃあ具体的には何だったのかと言われると少し困ってしまうが、まあ私なりにあいつのぺちゃくちゃ喋っていたことを再構成してみると、こういった感じのことになるだろう。

 「ねえ局長さん、そんなに土日も仕事ばっかりしてると体を壊しちゃうよ。局長さんより僕たちのほうがよっぽど充実した毎日を送ってると思うよ。」

 (こいつはいつもこうだ。私がデスクに向って一生懸命書類をまとめている時にこうして不作法に話しかけてきては、小僧にありがちな甘えきった人生観でこの私に一人前に説教をしてきやがる。こいつにも大人の持つ責任や大変さが身にしみてわかる時が来るだろうが、土日だろうと何だろうと、こうやってばりばり働かなくちゃこれからの時代はやっていけないんだ。こうやって学生気分で甘えに甘えきったゆとり世代のだらしのない奴を見ていると私はいらいらする。こいつは中学生だからそういうわけにもいくまいが、あの大学出の生意気な若造は今日も残業代がどうのと“小うるさい”ことをぎゃーぎゃー喚いていたから、局長室に鍵をかけて“激詰め”してやった。でも許されることなら、こいつにも二、三発は鉄拳を叩き込んで、腐りきった学生気分をたたき直してやりたい)

 「ねえ局長さん、局長さんだってもっと休みを取って楽をすればいいんだよ。局長さんは知らないだろうけど、あの町外れに来た若いお兄さんとお姉さんは毎日家の中で、なかなか楽しそうだよ。」

 (生意気な! ちょこざいな! 私をばかにしているんだ! ああ、自分の子供だったらぶん殴って腹を足蹴にしてとにかくぼこぼこにしてやるところだってのに。どうせこいつはいつものようにその若造どもに話を誘導していったに決まっているんだ。こいつはもう最近そのことしか話さない。他のまっとうなガキどもがヒーローやスポーツ選手の話をする一方で、こいつはあんなプー太郎とあばずれなんかに熱を入れてやがる)

 「なんかね、フランス映画とか、そんな感じだよ。めちゃくちゃ情熱的なんだ、今時の大人には珍しい、今時の大人には本当に珍しいよ……。」

 黙れ黙れ黙れ! と私は思わず叫びだしそうになるが、すんでのところで自分を抑えることに成功する。私はこんなろくでもない小僧のろくでもない世間話を聞くために毎日オフィスに来ているわけじゃない。フランス映画なんかろくに見たこともないくせしやがって。私はこの小僧を殺してやりたいとさえ思う。しかしそんな私の不確かな殺意(のようなものと言っておこう)を事情聴取にやって来た警察官にわざわざ開陳するような不用意な真似は、よほどのばかでないかぎりやらないだろう。

 そうだ、私はばかではない。ばかでは郵便局長という重大な責任を負う仕事は、とてもじゃないが勤まらない。私は自分にかけられた嫌疑を何としてでも晴らし、この町の人々の、そして社内における信用を早急に回復しなければならない。そのためには一見無意味に思えたあの小僧の世間話―町外れに住むあまりにも怪しすぎる若者二人―について個人的に調べてみなければならない。

 どうしてその二人組のことが気になったかというと、あの小僧が失踪のちょうど前日に熱心に彼らについての話をしていたということ以上に、どうもこの町にそんな連中が住んでいるということ自体が、私にはいささか普通じゃないことのように思えたからだった。第一、その二人は一体この田舎町でどのようにして生計を立てているというのだろう。私はこの町のことなら(あの小僧以上に)隅から隅までよく知っているが、今まであんな毎日ぶらぶら遊び歩いていてもおかしくない若者のカップルがこの町にいるということさえ、私のこのアンテナには引っかからなかったのだ。そしてさらに奇妙なことに、小僧の話ではその二人は日頃その家の中にひきこもって、性的な遊戯に四六時中ふけっているという。どうして中学生がそんなこと知っているのだろう。私が思うに、その男女はそれを年端もいかない子供に見せつけてよろこんでいるような、“変態的な”嗜好の持ち主なのだろう。

 だとすると、そんな二人がこの事件の第一容疑者にならないというのは、あまりにもおかしなことではないだろうか。

 お昼の忙しい時間帯に郵便局まで押しかけてきたあの担当刑事の口ぶりから察するに、警察は町外れの二人には目もくれてはいないようだった。確かに人殺しが起ればすぐによそ者に疑いの目を向けるというのは、いわゆる田舎者の頑迷なところだと受け取られても仕方がないだろう。しかし他の連中と違って私の疑念にははっきりとした理由があり、少し調べればたちどころに真実が白日の下にさらされるはずなのである。日本の警察というものはまったく融通が利かず、本来ならば満足に見ることができる二つの目玉でさえも有効に使うつもりがないようだ。

 警察だけには頼っていられない。この町の住民代表として、あの二人が小僧殺しに関わっているという確固とした証拠を掴まなければならない。

 小僧の死体はこの町の川の下流―ちょうど海釣り用の小舟の残骸が何層にもなって河岸に堆積しているあたりに、それ自体も腐った木くずのようにぷかぷかと浮いていた。

 もし小僧が(もし、といってもこれは確実なことなのだが)あの沼地で殺されて死体を遺棄されたのだとしたら、すべての説明が上手くいくはずだ。まずあの頭の悪い小僧は沼地の家に住んでいる二人の若者が性的な遊戯にふけりながら日々を過ごしているのだという妄想を頭の中で展開し、いつしかそれに憧れるようになっていった。小僧というのは(小僧と呼ばれるだけあって)ばかにばかを重ねたような、不器用でしかも向こう見ずな行動しかできない。ばかなあいつは“おそらく”自分があの二人の仲間に入れてもらえる、と思ったに“違いない”。自分は小僧なんて呼ばれるような、そんな甘ちゃんなんかじゃない、人には坊ちゃんに見えるかもしれないが、僕には何でもできる、僕だって本気を出せばとんでもないことができるはずだ、あの局長さんが思わず驚いてしまうような(こんなこと考える奴は死んでよかったんだ)、そんな男らしくてすごいことができる、だからすぐに行動に移すんだ、僕は周りの大人みたいにばかじゃないぞ!

 あとはもうすべて運命の女神が決めてしまっていたに違いない。あの小僧は死ななければならなかった。この私をばかにした罪によって、死ななければならなかったんだ。あいつに同情なんぞ覚えない。覚えるわけがない。もうごちゃごちゃしたことは無しだ、他人の子供なんかの事情に長いこと煩ってもおれない、しかし今回ばかりは少し状況が違う、何といってもこの私の評判がかかっている、まさにそれが問題なのだ、あの小僧は殺された、あの沼地の若者二人に、あいつらがどうしてそんな大それたことをしでかしたのかはわからないが、まあ別にわからないでも気にすることはない、とにかくあのどこの馬の骨ともしれない若者二人がセックスの合間に、あの小僧を殺した、それは間違いない、おそらくセックスの現場に踏み込まれたのかもしれない、それかいつも私がされていたようにいやらしい態度で詰問されたのかもしれない、とにかくあの二人は小僧をあの家の中で袋の鼠にし、殺した、小難しいことをぐちぐちと性懲りもなしに喋り続けるあの喉を、裂いた、裂いた、裂いた、硝子のかけらで、刺身包丁で裂いた、裂いた、裂いた、裂いた、ああ私も裂きたかった、この私も参加させてもらって、一緒に裂かせてもらいたかった、そして牛や豚を解体するように、腹を開いて、内臓を取り出した、内臓をわしづかみに、この私の長い指でがっしりとわしづかみにされていても、あの小僧は悲鳴を上げ続けているかもしれない、許しを乞うかもしれない、助けてくれ、助けてくれと、涙を流しながら言うだろう、僕は局長さんをばかにしました、僕は局長さんをばかにしてしまいました、局長さんは僕たちのことを本当に思ってくれる、尊敬すべき人だったのに、僕たちのことを思って、愛の鞭も振るってくれていたんだ、なのに局長さんを軽蔑したりして、みんなの役に立つ、お国の役に立つ局長さんを、軽蔑してばかにしたりして、ごめんなさいごめんなさい、心を入れ替えます、反省します、だから殺さないで、殺さないで、殺さないで、殺さないで、殺さないで、殺さないで、殺さないで、と懇願するに違いない、懇願しても、この私にはそんな懇願はきかない、そんな脅しはきかないんだ、まずこの内臓をすべて引きずり出し、小僧の四肢を切断してしまう、錆びてしまったのこぎりで、ぎこぎこぎこぎこぎこと、あいつの手足を切り取ってしまう、あいつはぎゃんぎゃん泣きわめくだろう、はははははははっはははははははははははははははっはは、いい気味だ、そしてぱくぱくと動くあいつの顎の骨を粉々に砕いてしまって、顔だって二目と見られないようなものにしてやる、あいつは血みどろの原形を留めない顔でなおも命乞いを続けるだろう、しかし私はそんなあいつを絶対に許さないだろう、私はあんな生意気ながきを絶対に許しはしない、あいつらは惨たらしく死ななければならない、惨たらしく、できる限り惨たらしく、死ななければならない、そして楽しませてくれ、この私を、最大限、心ゆくまで、楽しませて欲しい……

 これが俗に言う“アンビヴァレント”な感情というものなのかもしれない。犯人を暴いて何とかして私自身の潔白を証明しなくてはならないという義務感と、あのくそ生意気な小僧をこれ以上無いほど締め上げて始末してくれた二人に対する羨望。どうも周りの連中の話では、警察はどうやら明日か明後日には私に任意同行を求めるかもしれない、ということらしい。あの小僧について、おとなしかっただの可愛げがあっただの真面目でよく働いただの、そんな思ってもいないことをこれでもかと警察の人間に取り調べで話さなくてはいけないなんで、思っただけでぞっとする。沼地に住む若者二人は私の無意識の願望を究極の方法で満たしてくれたのだ。

 思考が混乱している。一体私は何が言いたいんだろう、何がしたいんだろうか。

 難しく考える必要は無い。私は沼地に住む若者達に深く同情している。私だって彼らの状況に置かれたらあの小僧を世直しの一環として殺してしまうだろう。しかし私は自分自身の身の潔白を証明し、損なわれた信用を早急に回復させなければならない。

 明日は休みを取って、朝一番に沼地へと足を伸ばそう。そして彼らが小僧殺しの真犯人だという証拠を何かしら確認して、その後警察の事情聴取に応じる。日本の警察官は無能な奴ばかりだ。私が取調室で彼らの指紋がついたナイフでも差しだしてやれば、目を丸くして驚き、私に平身低頭するだろう。

 そして私は彼ら二人を冷酷な殺人事件の犯人として司法の手に委ねるが、沼地の家を訪れた際にはどうやって彼らが小僧を誘い出したのか、どうやって小僧を殺しその死体を沼地に流したのかを、じっくりと観察して心ゆくまで味わうつもりだ。

 『相棒』の杉下右京にでもなった気分だ。

  趣味と実益を融合させるというのは、私の仕事歴の中では初めてかもしれないい。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る